F91 『アイアンキング』
どうにも、三十階の『プリティジョーカー』との戦闘後から、ベティーナの戦力が飛躍的に上昇した。
ただでさえ速かった詠唱は、最早ただ聞いただけでは何を言っているのか理解出来ない程のスピードになり、魔法陣を同時に二つも操作して大魔法を撃ち出す。詠唱が入るので同時に二つは出せないが、予め魔法陣に魔力を流し込んで置くことで、発動までのスピードが上がるのだという。
「凍てつく龍の吐息を白とし氷山の一角に潜む魔を黒とする汝の求む声より舞い降りて今ここに太古の災いを齎し給え<フローズンストーム>!!」
大魔法は、俺の移動先からは避けて放たれた。とても今までチームプレイで苦戦していたとは思えない程、スムーズな連携。俺達の目前で立ちはだかり、活目して威厳を放っているダンジョンマスター『ボーンケルベロス』に、動きを封じる意味も込めた凍結の大魔法が向かっていく。
リュックから取り出した二本の短剣には、既に<ホワイトニング・イン・ザ・ウエポン>が掛かっている。<限定表現>込み、付与魔法も全て掛けた後の攻撃が、骨の怪物に向かって連撃を放つ。
「<ソニックブレイド>!!」
残像となり拡散された攻撃は、凍結された骨に衝撃を与える。骨と骨の間を通り抜け、俺はスピードを出し過ぎてすぐには殺せない勢いを、靴の底を地面に打ち付ける事で減速した。
三十九階、『ボーンケルベロス』。ベティーナと二人になった時は少し危ないかと思われたが、思わぬ戦力の強化でここまで上がってくる事ができた。
「少年よ、あと一撃程だろう。止めを刺さなければ起き上がって来るぞ」
「ああ、分かってるよ」
クールがそう言うが、既にベティーナは大魔法の詠唱に入っている。息を切らしながら身の丈程もある杖を振り、足下に魔法陣を、口では詠唱を。ベティーナから桃色のオーラが吹き出し、魔法公式が構築されていく。
「天界が定めし雷帝の戦神の指示を受け、神の名の許に捌きの鉄槌を下せよ。公平なる裁判に身を委ね、彼の者に相応しい罰を与え給え――――<シャイニングハンマー>!!」
相手の動きが遅くなったからか、最後は幾らかローペースな詠唱で発動された。
ボーンケルベロスの頭上に電気を纏うハンマーが現れ、対象に向かって振り下ろされる。判決と呼ぶべき最後の大魔法はボーンケルベロスを粉々に砕き、もろとも光の屑となって消えていく。
光が収まると、ベティーナは溜め息をついて、その場にへたりこんだ。駆け寄って、俺はリュックから『ハイ・カモーテル』を取り出してベティーナに渡す。
「おつかれ、ベティーナ。サンキューな、お前のお陰でここまで上がって来られてるよ」
そう言うと、ベティーナは僅かに頬を染めて、俺に微笑み掛けた。
「へへ……私、頑張るから!!」
…………何か、とんでもない勘違いをされている気がするのは。……俺だけだろうか。
クールがベティーナの肩に留まり、その顔を俺に向けた。ここまで上がって来たことで、俺にも雰囲気的にではあったが、この状況がおかしいのだという事が理解出来るようになってきた。
「あと少しだな、少年よ。次を越えれば、いよいよ残り十階を切るぞ」
「…………ああ」
プリティジョーカーと戦っていた時、結局クールは現れなかった。それが、いつの間にか当然のように現れ、俺の隣に戻って来ている。何が起こっているのかも分からなかったが、クール自身もあまり気にしていないらしい。
敢えて聞くような事でもない。……そう、こいつの存在について、そもそも疑問があったのだ。
思い出した俺の記憶には、ダンディフクロウは出て来なかった。少なくとも嵐の日、崖際でフォックス・シードネスと幼き日の俺が対峙した時には、このフクロウは居なかったという事だ。
そして、もう一つ。
「ふー。……いよいよ、残り十階を切ったわね」
ベティーナは額の汗を拭いて、俺にそう言った…………何かが、おかしい。
誰もこの状況に違和感を覚えていないのか。若しくは、見えてすらいないのか。それは分からないが……ベティーナは特に気にした素振りもなく、扉を開いて階段を登っていく。
俺はリュックからハイ・パペミントを取り出して、飲む。いい加減、体力回復にも限界が近付いている。塔を登り切るまでは耐えてくれ、俺の身体。青みがかった石の床を歩きながら、俺は軋む身体をどうにか動かしていた。
階段を上がるのだって、長く続けば苦しくなってくる。少し休むべきか? いや、もう少しなら大丈夫だろう。そんな問い掛けを何度も自分にしているうちに、いつの間にかこんな所まで来てしまった。
ふと、ベティーナが黄金色の扉の前で立ち止まった。額縁に描かれた絵を見て、硬直しているようだった。俺は疑問に思い、ベティーナを追い掛けて階段を上がっていく。
「どうした?」
四十階に到達したことによって、ついに青い室内も色が変わる。今までの石と比べると、やや黄色っぽい石で構築された室内。壁の中心に設置してある黄金色の開き戸を前にして、焦燥にも似た表情で扉を見詰めているベティーナ。
その額縁に描かれた絵画を見て、俺も身体を硬直させた。
「これは――――」
絵画に示されている魔物は、銀色だった。円柱状の光を放つボディに、黒い十字の線が入っている。円柱状の側面、中央からやや上ほどに小さな赤い宝石のようなものが一つ、嵌め込まれていた。それは一つではあるが、まるで無機質な光を放つ眼のようであり、体表と同色の円錐の形をしたものが、円柱状のボディの上に乗っていた。
いや、この帽子のような円錐状の部分と、円柱状のボディは、もしかしたら繋がっているのかもしれない。線が入ってはいるが直径は同じ程であり、どうにも不器用なそれは白銀に光り、表現することも難しい。
そして、その肩と思わしき部分からは、いつか見たような銀色の『腕』のようなものが伸びていた。
「ねえ、これって……」
「……ああ」
ゴールバードの用意していた、球体の鎧の延長。いや、それともロイスを拘束していた『あれ』こそが、この魔物をモデルにして考えられたものなのだろうか。
まるで感情を持っていないかのような、硬質的で艶のある身体。『肉体』と呼ぶべきなのかどうかも疑わしい。
しかしその魔物は、何者も寄せ付けまいとするような、奇妙な迫力を持っていた。
「もしかしてこの中ににも、人が居るのかな」
ベティーナはその部分について気にしているようだったが。俺は首を振って、ベティーナの肩を叩いた。
「この間のあれは、人工的なもんだ。今回はダンジョンマスターなんだから、多分違うだろ」
「……そう、だよね」
ベティーナは不安そうな様子だ。中に人が入っているかどうかという事もあるが、次の魔物からレベルが飛躍的に上昇するのではないか、という恐怖もあるのだろう。
確かに、この銀色のボディがゴールバードの繰り出してきた鎧と同じ材質で構成されていたとするなら、かなりまずい。攻撃方法も皆目見当もつかないし、物理が効くのか、魔法が効くのかも分からない。
俺も指貫グローブを装着し直して、意識を集中した。
「『アイアンキング』だな。身体は鉄で出来ているため物理攻撃に強く、また電気を受けると感電して、暴走を始めるという。その瞬間だけ防御力が下がるから、その間に攻撃することが望ましいと言われる」
クールがぶつぶつと呟いていた。…………それは、本当だろうか。もしもその情報が信頼できるものであるならば、攻略はぐっと楽になるだろう。
ゴールバードの鎧は、少なくともボディは電気を通さなかったが。やはり、あれとはまた違うものなのだろうか。
クールは俺に顔を向けると、顰め面をした。
「少し休んでから向かった方が良いのではないか、少年よ。随分と疲労が見えるぞ」
俺はふと笑い、クールに向けて首を振った。
パペミントを使ったって、疲労は回復しない。だからといって、この場で寝転んで休む訳にも行かなかった。
俺には、時間がない。
幸い、まだ大きな怪我はせずにここまで登り詰める事に成功している。なら、ノッているうちに登れるだけ登っておかなければ、損ってもんだろう。
それが自分を騙すための言葉で、本当は身体が音を上げ始めているということは、俺自身が一番よく分かっているけれど――……
それでも、行こう。
「扉、開けるぜ」
俺が言うと、ベティーナは呆けたような顔で言った。
「……あれ? もしかして、ずっと話し掛けてた?」
俺は、ベティーナのおかしな様子のことを黙っていた。
「いや。……今、話し掛けた」
もしもそれを喋ってしまったら、何か大切なものが壊れてしまうような、そんな気がしたからだ。
扉を開けると、真正面に絵画の通りの、無機質な魔物がそびえるように立っていた。顔が無いので当然表情はなく、腕もだらりと垂れ下がっている。ぴくりとも動かない――――本当に、そのままでは銅像か何かのようだ。
反対側の扉を護るように、ただその場に立っている。奴から俺達までの距離は、まだかなりある。当然、向こうは俺達に気付いているだろうが……
恐る恐る、扉を閉めた。リュックから取り出したのは、前と同じ鈍器だ。とにかく、こいつでダメージを与えられないレベルの相手なら、俺が剣や何かを取り出した所で相手になどなるわけがない。
そうしたら、ベティーナの大魔法だけが頼りだ。今回の魔物には、ゴールバードの鎧と対峙した時にあった『口』がない。ということは、俺の知っている弱点は存在しない、ということだった。
ベティーナの盾になるように前へと出て、俺は緊張に喉を鳴らした。
「さあ、行くぜ……!! <限定表現>!!」
静かに、大地の魔力を吸収して魔法を発動させた。
ほんの僅かな動きにも、あるいは隙間風のような小さな変化にも反応できるように。全身に神経を集中させる。大人の一抱え程もある胴体に視線を合わせ、鈍器を構えた。
ベティーナも杖を構え、真下に魔法陣を描いていつでも魔法が唱えられるように準備を済ませた。
そして俺は、鈍器を構え。
静寂の中、僅かに相手が動いたような気がした。……だが、実際には動いていない。このすっとぼけた見た目に反して、恐らくスピードは速いのだろう。
……そして俺は、鈍器を構え。
…………そして…………
「なあ、ベティーナ」
「…………なに?」
「動かなくね?」
「えっ?」
俺は構えていた鈍器を一度降ろし、改めて『アイアンキング』を見た。……ただ立っているだけで、全く魔力反応も、動く気配も見当たらない。これだけ見ていると、単に置物ではないかとさえ思える。
不気味だ。いつ動くのか分からないということは、こちらから攻撃する事も危ない可能性があるということ。
カウンター戦術、というものがある。じっと相手の動きを見て様子を窺い、何らかの兆候が見えてから、相手の動きを予測して反撃を合わせるといった戦い方だ。
後出しジャンケンのようなものだ。その行動に反応する事が出来るなら、最強にもなり得る戦略。見てから対応できるのだ。負ける訳がない。
通常は相手の攻撃を予測し切れなかったり、予測出来ても反応出来なかったりで、後手に回って得する事は殆ど無い。先手必勝、という言葉があるくらいだ。
…………しかし。
俺は、ゴールバードの鎧との一戦で、あの恐ろしいスピードと正確性を見ている。
妙に重なってしまうのだ。
「どうしよう? ……とりあえず、魔法を撃ってみる?」
クールの言う事を信じるなら、撃つべきは電魔法の<シャイニングハンマー>だ。……しかし、ベティーナの強大な魔力反応に手を出して来ないとは言い切れない。
……なら、定石は弱い攻撃から、だろうか。
「いや、俺が物理攻撃でいってみる、ちょっと離れててくれ」
大概の反撃は、塔の目の前で戦った『ビッグ・トリトンチュラ』のように、放出するタイプの魔力反応に対して反撃してくることが殆どだ。もし反撃専門だとしたら、見え見えの隙を作り出す大魔法よりも、コントロールの効く物理攻撃の方が勝手がいい。
<限定表現>は、セントラル大監獄の包囲網も抜けてきた。使う事が出来たからといって、他の魔力反応も安全とは言えない。
リュックから弓矢を取り出した。一切の魔力を使わず、物理攻撃で距離が離れ、最も安全な武器といったら、やっぱりこれだろう。
照準をアイアンキングに合わせ、弓を引く。<限定表現>中ではあるが、ここは通常攻撃で行くべきだ。
三種の属性矢は僅かに魔力反応を出す。<限定表現>は大地の魔力を融合させることで、利用魔力を大幅に増やして攻撃する魔法公式だ。だから、通常攻撃は<限定表現>の恩恵を受けられない。
ベティーナが部屋の端に寄った事を確認して、俺は矢を放った。
アイアンキングのボディから鋭く伸びた棘に突き刺さり、俺の右手に穴が空いた。
「――――えっ」
という事に気が付いたのは、既に貫かれた後の事だった。




