E80 スカイガーデンと、それから
俺達は、廃墟となったリンガデム・シティを後にして、隠れ家へと戻った。
すぐにレオは目を覚まし、ポチを操作した。身体が痛い程度で済んでいるようで、恐るべき体力と回復力だった。
俺はササナに微弱な力ながら<ヒール>を掛けてやる。傷は多少良くなり、程なくしてササナも、薄らとその双眼を開いた。レオのようにはいかないようで、暫くは隠れ家から動く事はできないだろう――――だが、生きていて何よりだ。
セントラル大陸から離れた場所の、消えた街の秘密。それは、治安保護機関のトップ『ゴールバード・ラルフレッド』が作った転移空間、ということだった。
その時に、俺は気付いた。
リンガデム・シティが『転移』されてきたが、俺達はそのままだった。ということは、リンガデム・シティは建物だけが転移されたということなのか。それとも、俺達人間はそのまま転移されない、という魔法公式だったのか。
どちらも有り得る話なので分からないが、何れにしても消えたリンガデム・シティはまた現れた。それはつまり、どこかには存在していた事を意味する。
一体、どこに移動していたのか。どうやって、戻って来たのか。謎は尽きない。
もう一つ言えることは、『スカイガーデン跡地』にも何らかの変化が起きた、ということ。話によれば、スカイガーデンが空中から落下してくるとき、音はしなかったという。そして、スカイガーデン跡地にも動かない化物が居た。
もしかしたらゴールバード・ラルフレッドによって、スカイガーデンもどこかに『転移』されているのかも――――…………
…………しかし、考えたって答えは出ない。化物を倒した後も、ゴールバードは現れなかった。まるで雲隠れしたかのように、消えてしまったのだ。
「それじゃあ、俺達の無事に乾杯」
「乾杯」
俺は隠れ家に戻ると、レオと二人、庭のテーブルで乾杯した。ドリンクは勿論、ラムコーラだ。
「お前、もう大丈夫なのかよ?」
「ああ。きっつい肩叩きだったけどな。おかげでコリが取れたよ」
<シャイニングハンマー>を肩叩き呼ばわりとは、レオも大した化物になったものだ。
結局、『ゴールデンクリスタル』も俺のところに戻ってくる結果となったか――――俺は取り戻したそれを左手で弄びながら、考えていた。
リンガデム・シティに真っ先に現れた『ノース・リンガデム』の住人は、街が帰って来た事に喜ぶと同時に、廃墟となってしまった街のことを悲しんでいた。住人は一人残らず居なくなっていたので、別れを惜しむ間もなかったようだ。俺達はここであったことを話し、住人から僅かながら感謝を受けた。
俺はスカイガーデン跡地に眠っている、もう一体の化物を見た。あれは、あの場所から先には行かないと言う――――リンガデム・シティの時も、もしかしたらリンガデム・シティの敷地内から離れてさえしまえば、奴等は襲って来なかったのかもしれない。
と言っても、それなりに広い街だった。敷地内から離れる前に追い付かれ、俺達は逃げていればやられていただろう。
「…………あれとも、戦うか? あれを倒せば、お前の身の潔白が証明されるかもしれない」
俺がスカイガーデン跡地の中央で眠る、化物を見ていたからだろう。俺は暫くの間、化物を眺めて――そして、首を振った。
「いや。……行くとしても、もう少し皆が回復して強くなってから、だな」
本当に、危険な戦いだった。全滅していた可能性は十二分にあった――――いや、全滅していた可能性の方が、高かった。奴の弱点が俺の勘違いだという可能性だって、幾らでもあった。
言わば、俺達は賭けに勝ったのだ。
レオも頷いて、ラムコーラに口を付けた。レオには、俺がこれまで魔界に居たという事と、成り行きで匿ってもらったメンバーの経緯について話した。
俺がこれからフィーナとの再会と、ゴボウの発見を第一に考える、ということも。…………ロイスはあれから、隠れ家の二階で眠っている。死んでしまったのではないかと思える程に奇麗な顔だったが、胸は動いていたので一先ずは大丈夫だろう。
毒に冒された様子もないし。……きっと、ロイスはあの化物の動力源だった。生きていなければならなかったはずだ。
俺が魔界での話をした時に――修行している間に、そんな事が起きていたのか――と、レオは少しだけ驚きもした。
「ラッツ。…………お前はさ、何を求めてるんだ?」
「何を?」
「その――……フィーナ・コフールや、喋るゴボウ? と再会して、どうするつもりなのか、ってことさ」
夜風が頬を撫でる。フルリュとキュートはササナの所にいる――……俺は笑い、首を振った。
「特に、何も。楽しくやれりゃ、良いと思ってるよ。ササナの時もそうだったから、それ以上は何も」
「その、ゴボウの封印? のことは?」
「約束しちまったからな」
ゴボウの封印を解いて、あいつの作った世界を見て回る。満月の夜、俺達は約束した。大した理由はない。たまたま発見されたから、俺なのだと。
なら、俺もたまたま発見したから、運命だと思って付き合ってやることにした。
きっとそれは、二人の約束の始まりだったのだと思う。
レオは軽く笑って、言った。
「そうか。なら俺達は、家族みたいなものだな」
レオの言葉に、俺も笑う。
「ああ。家族みたいな、ものだ」
誰もが運命共同体だ。この限りなく広い世界の中で、寄り添って生きる。ならば、誰かが誰かと協力して生きていく未来もまた、あっても良い筈なのだ。
テイガは一人で生きて来た事に、誇りとプライドを持っていたようだったが。奴の生き方だけが正解だとは、思わなくても良いと思う。
レオはうんと伸びをして、言った。
「よーし。んじゃあ、まずはフィーナ・コフールを助けに行かないと、だな? どこに居るのか、場所は分かってるのか?」
テイガが教えてくれた。フィーナは今、誰の情報も入らない場所――――『流れ星と夜の塔』というダンジョンで、執事のフォックス・シードネスと共に暮らしていると。何故かその名前に嫌な予感を覚える俺だったが、俺はレオに言った。
「なあ。……フィーナのことは、俺一人にやらせてくれないかな」
その言葉に、レオは眉をひそめた。
「一人? なんでだよ」
それは、もしかしたら俺の、一つのエゴのようなものだったのかもしれない。スカイガーデン、先住民族マウロの遺跡で行われた事に対して、はっきりとケジメを付けたい、という気持ちだったのかもしれない。
ロイスを救出することには成功した。……だが、フィーナは俺のせいで、今も人目を避けて生きているというのだ。
ならば今度は、俺がその空間から助け出さなければ。今もフィーナが、外に出たいと思っているのであれば――……
「他の誰でもない、俺がやらなければいけない、気がしたんだ」
俺の言葉は、きっとレオには理解できなくて当たり前だ。
それでも、レオは笑った。ふと困ったように笑って、ラムコーラのジョッキをテーブルに置いた。
「……そうか。まあ、それは任せるよ」
「他の奴等のこと、任せても良いかな?」
「まあ、こっちは構わない。……その代わり、俺とも約束しろよ」
「約束?」
レオは苦笑して、椅子の背もたれに肘を引っ掛けた。ギイ、と軋んだような音がする。
「お前を目指して、ずっと頑張ってきたんだ。……ちゃんとこれまでの事精算して、全員助けたら。ちゃんと、俺とお前で『ギルド設立』しようぜ」
――――ああ、ギルドか。
一人で旅を続けてきたから、何だか今更な発言のようにも感じた。それだけで何が変わるとも思えなかったが――こういうものは、またある意味でのケジメのようなものだろうか。
ギルド設立って、どうしたら良いんだっけ。そもそも、俺が冒険者として認められていないといけない、ということもあるな。
…………まあ、片付けりゃ良いんだ、そんなもん。
「分かった。約束だ」
「おう」
俺とレオは、その日二度目の乾杯をした。
○
リンガデム・シティに行かなければならないのは、フィーナの事ばかりではない。マウス五世に言われた、『深淵の耳』の情報についても、俺は探さなければならなかった。
奴は、俺がゴボウと接触していた事に対して知った上で、そのように言った。……ならば、そのアイテムを見付けることが、ゴボウの封印を解くための鍵になっている、と考えるのが自然だ。
加えて、俺の持っている『真実の瞳』のことを、『神具』とマウス五世が表現したこと。その事柄から、『神具』を集めることに、何かの意味がありそうなことも。
「サンキュー、フルリュ」
「いえ。この程度なら、いつでも」
俺は再びフルリュにイースト・リヒテンブルクまで送って貰うと、軽く礼を言った。何しろ、俺一人では隠れ家から外に出る事もままならない。
時刻は深夜。昼間のうちに降りて、俺はリンガデム・シティで売り捌く予定の『ペティネクレープ』の原材料を買って、リュックに詰めていた。いい加減にどこかで金を稼がないと、アンゴさんに払う分の金も無くなってしまう。
「あの、ラッツ様。私も、一緒に――……」
そう言って、フルリュは口を噤んだ。……まあ、言い出しにくいという事はあるだろう。俺もフルリュを連れて行く気はないし、何よりササナとロイスの介抱をして欲しい。
レオだけなのだ、前衛職としての体力で耐え、どうにか軽傷で済んでいるのは。ササナは今も、キュートの魔法陣を使って治療を続けている。
それに、これは俺の戦いでもあるのだから。
「……いえ。ちゃんと、帰って来てください。私、待ってますから」
「ごめんな、フルリュ。……ありがとう」
それだけ言って、俺はフルリュと別れた。
ただ、暗い森の中を歩いていく。夜に出ることにしたのは、他のメンバーに同行すると言われないためだ。フルリュかレオの許可がなければ隠れ家から出る事は出来ないし、あとはレオがなんとかしてくれるだろう。
きちんと、隠れ家でマーキングした『思い出し草』も持ったことだし……まずは、鈍器だ。武器を揃える所から、始めよう。
ふと、風向きが変わったような気がした。俺は森の中、木々の隙間から見える月を眺めた。まだ、満月までは遠い――――…………
ざあ、と吹き付ける風に、木々が揺れた。雲ひとつない星空を眺めていると、何故か妙に物悲しい気持ちになった。
「よう。珍しいな、お一人様かい?」
闇夜の影。
水色の髪に、バンダナを巻いた男が現れた。不気味な表情で、俺を見ることもなく嗤っていた。
テイガ・バーンズキッド。相変わらず、妙な雰囲気のある男だ。
そいつが話し掛けてくる事を、俺は予想していただろうか。それとも、予想していなかっただろうか。
でも、俺は特に驚く事もなく、言った。
「ああ、実は忘れ物しちまってな。皆を連れて行くのは悪いから、一人で取りに行こうかと思ってさ」
「キヒヒ。……『流れ星と夜の塔』だろ?」
どこに居るか、誰と居るかも分からないゴボウは後だ。ゴボウは満月の夜に探す。だから、それまでに――――俺は、フィーナを連れて帰る。
指貫グローブを装着した右手を、固く握り締めた。
「ゴーグルをさ。……預けていたんだ。それを思い出して」
マウロの遺跡で、俺が手渡した。それを聞くと、テイガはまた、闇と同化し、静かに笑った。
「何故、助ける。弱い者を助けていたらキリがねえぜ。俺ァ、お前さんの腕は買ってるんだ。ゴールバードの作ったバケモンを無事倒し切った訳だしな」
……どこかで見ていたのか。一度も戦いには参加しなかった癖に……大した奴だ、本当に。
テイガはふと、俺に丸めた紙を投げて寄越した。俺はそれを受け取り、広げる。…………治安保護機関の、緊急招集? セントラル・シティ集合……ああ、だからリヒテンブルクで治安保護隊員と会わなかったのか。
「良かったな、ラッツ。『ゴールバード・ラルフレッド』は、突如として治安保護機関から失踪したらしい。リンガデム・シティでの事とゴールバードの事が結び付くかどうかは分からねえが、お前がリンガデム・シティを救った事は確実に世間へと伝わる。当面、治安保護機関はお前の捜索には乗り出さねえだろう」
「…………そう、なのか」
「な? もう、お前がフィーナ・コフールと会う理由はねぇんだ。フィーナが居れば、そりゃあ治安保護機関に対して圧力も掛けられるだろうが――」
「そういう事じゃないよ」
そういう事じゃ、ない。俺は何か見返りを求めて、フィーナに会いに行こうと考えている訳じゃないんだ。
だが、テイガには俺のやろうとしている事の意味が分からなかったのだろう。笑顔を浮かべたままで、テイガは俺に聞いた。
「…………それは、お前の『正義』故か。それとも、『使命』故か。ある意味ではそりゃ、『偽善』ってもんだぜ。言っただろ、そういう思考はやがて身を滅ぼすと」
このやり取りに、解答など出ない。
「いらねえんだよ、『道理』も『常識』も。そういう曖昧で、答えの出ねえものなんかどうでもいいんだよ」
少し、言葉が荒くなってしまったかもしれない。
「俺は、俺が会いたいから会いに行くんだ。それ以外に理由なんかねえ。助けたいから助けるんだ。やりたいからやるんだ」
「…………死んでもか?」
俺はアカデミーの卒業証書等など、自分の身分に関わる物以外を抜き取った財布――……つまり、『金』をテイガに向かって投げ付けた。テイガは少し驚きながらも、俺のそれを受け取る。
こいつが拾ったものだ。返してくれたのは嬉しいが、良い事を教えてもらった。その、授業料として払ったつもりだった。
俺が、決意を固めるために必要な。
「やりたいことを、やる。それで死んでも構わねーよ」
こいつの動機は、『生きること』だ。だから、話が噛み合わない。きっと俺とは、どこまで行っても分かり合う事なんか出来ないだろう。
テイガは静かに、声を押し殺すようにして笑った。
「……やはり、変わっている。普通の人間は、そうして死んでいく。それでも生きているお前は……面白い」
はっきり、言わなければ。
「おまえらプロの常識は、俺には通じねえ。聞く気もねえ。……初心者だからな。覚えとけ」
迷う必要なんてない。俺がやりたい事をやるんだ。そうすれば、正義や悪なんていう抽象的なものに囚われず、本当に大切なことを見付けることができる、はずだ。
俺は、俺の路を。
――――俺だけの、手引きを。
「もう少し、見させて貰うぜ。お前が何を考えて、何をしようとするか」
「やめろよ気持ち悪いな。お前は情報屋をやってろよ」
「俺は、俺がやりたい事をやる……だろ? 俺もそうするさ」
そう言って、テイガはその場から離れた。
どこまでも輝き続ける三日月は、まだゴボウとの再会が遠い事を俺に教えてくれたけれど。
どういう訳か、俺の気持ちはそこまで沈まなかった。




