K157 裏切りと覚悟と現実
四人までにしよう。
トーマスの提案によって生み出されようとしている架空の世界。それと真実の世界とを結ぶ『ゲート』を移動出来るのは四人にしよう、とトーマスは言った。
それは、不自然だ。沈黙していたゴールバードが顔を上げて、トーマスに初めて意見をした。
「あまり利便性が良いとは言えなくないか? 全員が移動する必要があった場合、場所を変える必要があるし、何より――……」
その言葉を、トーマスが遮る。その質問が飛んで来る事は初めから分かっていた。そう、言外に含めるかのように。
「あまり、悟られたくないんだ。もしも『ゲート』の存在がばれ、それが解析されるに至った時に移動出来るのが『五人』では、『紅い星』に悟られてしまうのが、早くなるかもしれないだろう」
「しかし、トーマス……」
「一瞬でも長く、『魔界』を生かしたいんだ」
自分達が、『紅い星』の討伐に失敗した時に。敢えて口に出さないのは、失敗しないという前提があるからに他ならない。
しかし、万が一失敗した時の事は。そういう意図で発された言葉に違いなかった。
ゴールバードはそれきり、黙り込んでしまった。オリバーが不満そうに魔法公式を叩き、不貞腐れてトーマスに意見をした。
「分かったから、やるならさっさとやろうぜ。どうせ俺達が勝つんだ」
その言葉に、トーマスは笑った。
「はは、そうだな」
何だか、何時だか出会ったマウス五世の姿とは全く似ても似つかない。同じなのは服だけで、見た目も中身も……。随分と傲慢な雰囲気が見て取れる。酒場で飲んだくれてくたびれているような雰囲気ではなかった。
圧倒的な自分への自信と、相応するだけのプライド。それを、持っているように感じた。
そして、この世界に新たな『ルール』が創られた。
改変履歴を持たない、流動的な『変化』でしかないそれを、トーマスやリリザが創ったと特定する事は不可能だった。
何故なら、その瞬間にそれは世界の一部となったからだ。
内部から、その魔法公式を特定する事は困難。解除出来ないとあらば、一度現地に降り立ち、その足で歩いて『ゲート』の存在を突き止めなければならない。
そうして移動する際に、移動出来るのが『五人』だと分かれば、それは『境界線』を乗り越えた五人が創ったものだと判明してしまう。『紅い星』と戦った自分達であると、分かってしまう。そうすれば、『境界線』に秘密がある事にも気付くかもしれない。
それが、トーマスの言い分だった。
四人になったからといって何がどうなるとも思えないゴールバードは、口を噤んだが疑問は持っているようだった。
時は止まり、再び俺の隣にトーマスの紛い物が現れる。
「どうだい、ラッツ・リチャード。これを見て、そろそろ気付いたかな?」
「…………何に気付けって言うんだ」
こんなモノを見せて、一体どうしたいのか。俺に、どんな『試験』を与えようとしているのか。……分からん。
次の瞬間、懐かしい景色が辺り一面に広がった。何処からとも無く香ってくる、大地の匂い。草原と洞窟、自然に包まれた雪の降らない北国。
ノース・ロッククライム。……俺の、故郷だった。
トーマスはその胸に小さな赤子を抱き、笑顔のままで民家の扉を叩いた。
少し疲れた雰囲気の男女が、扉を開いてトーマスを見た。……直後、顔色を変える。トーマスが何者であるかを、その二人は知っているようだった。
…………俺の、両親?
胸騒ぎがした。ざわざわと、俺の中で根底にあった筈の何かが崩れ落ちていくような感覚があった。……どうして爺ちゃんが赤子を抱いて、俺の父さんと母さんに向かっているんだ。
俺の産みの親は、何処に行ったのか。
隣に居るのは、角を隠し、恰も人間の姿のようになった夢魔族。ヘレナ・ゴディール=ディボウアスだ。
笑みをたたえたまま、トーマスは口を開いた。
「この子は、ラッツ・リチャード。まだ、産まれて間もないが――……同じ『リチャード』として、この子を預かって欲しいんだ」
同じ、『リチャード』として。
両親と血が繋がっていない。それは、知っていた。でも今までの流れの中に、俺の『親』に当たる人物は存在しなかった。
それがつまり、どういうことか。考えれば直ぐに分かることを、俺は必死で考えまいとした。
だが、真実は残酷だ。時としてそれは、何の準備もしていない人間の首を絞め、地に落とす。
「私のことは、『祖父』と。そのように、して貰えないか。年齢的に、無理があり過ぎる。母親は、いない」
瞬間、世界が暗転した。
トーマスは寿命を越えた存在とはいえ、『人』だ。男性である以上、母親が居ないわけがないだろう。ならこの物語の中で、俺の『母親』に相当する人物は、一体誰だったのか。
……いや。そんな筈はない。だって、俺は人間だ。人間として、人間の生き方をしてきた。
そんな筈は。
「だが、そうではなかった」
トーマスの姿をしたそれは暗闇の中に浮かび上がり、俺に理知的な瞳を向けて微笑んでいた。
彼は言う。
「君は、世界に唯一と言われた『夢魔族』と『人間』との間に産まれた、言わば人類と魔族の『ハーフ』なんだ」
彼は言う。
「君は、魔族の血を持っていたから様々な魔族と直ぐに仲良くなり、屈託なく心を通わせる事ができた」
彼は言う。
「君は、魔族だったからこそ、『夢魔族』の生み出した魔法を自由自在に使う事ができた」
彼は言う。
「君は、リリザ・ゴディール=ディボウアスと魔力の性質も量も同じだ。だから互いに引き合い、出会うように仕向けられた」
彼は言う。
「だが君は、人類でも魔族でもない」
「君は、この世界において只一つの『異物』だ」
「君は、ある意味では産まれてくる世界を間違えたとも言える」
――――彼は、言う。
「君が数多の冒険者ギルドから拒まれたのは、当たり前とも言えることだ。『人間』としておかしな程に早く、人間界に存在する全ての『基礎スキル』を手にしていた」
俺は、ただ、その場に立ち尽くした。
トーマスの姿をしたそれは、肩を竦めて俺に苦笑した。僅かに首を振り、それは当然だと言わんばかりの態度を取った。
「異例な程に成長の早い、アカデミー生徒。それが嘗ての『伝説の大泥棒』トーマス・リチャードの親族だと分かったら、普通はどうするかな? ……受け入れられないだろう。そんな人間が自らのギルドに入り、次は何とも分からぬ大犯罪を犯すかもしれない。上級スキルを覚えた時、君は容易くギルドリーダーを追い抜かし、或いは絶対的存在になるかもしれない」
圧倒的な真実の前に、言葉もない。
「しかし、君は気付かない。人間と同じ身体を持ち、魔族と同じだけの魔力に対するセンスを持った君は、その違いに気付かなかった。『基礎スキル』を覚える程度なら、世に居る様々な『上級スキル』を覚えている同世代の者達よりは楽な所業だろうと考えた。事実、そういう側面はあった」
確かにレオやチークを始め、様々なアカデミー生徒と会って来たが、豊富にある基礎スキルのバリエーションを全て覚えよう、等と考える者は居なかった。ならば逆の発想で全て会得してやろう、と思った俺。それを成し遂げた俺は、異様に周囲から持て囃されていた。
これだけやれば、世間も俺を認めてくれるだろう。ここまで頑張れば、将来の負荷を少しでも減らすことが出来るかもしれない。
そんな事ばかり、考えていた。そうして、俺は前代未聞の金字塔を打ち建てた。
それは、周囲からしてみれば『異常』だったのか。
「全てのスキルを取得する為に、必要となる時間を計算して確かめてみればいい。それは通常有り得ないことだからこそ、君が異端の人物であることを示している」
それは通常有り得ないからこそ、努力の果てに見出した一つの解答だと思っていた。
「では、聞こう。ラッツ・リチャード。……我々が望むのは、『この星に対するメリット』。それが、君をこの先へと向かわせるための対価だ。こればかりは、失敗は許されないぞ」
『境界線』は、真っ直ぐに俺を指差し。
「君は、人間でも魔物でもない。なら、その先に何を望む?」
俺は。
…………俺、は。
その場に、立ち尽くす。頭は真っ白になってしまい、思考を動かそうと命令しても、目の前に突き付けられた真実が重く伸し掛かって来てしまい、現状を考える事すら出来なくなった。
瞬間、『境界線』を越えた時に見た、黒い手が絡み付いて来る。全身余すところなく、まるで影のように俺を蝕んでいく。
俺は、トーマス・リチャードの息子だった。そして、ヘレナ・ゴディール=ディボウアスの息子だった。……リリザとは、片親の繋がった家族同士。
俺が、望むものは――――…………
視界が急速に、『境界線』から遠ざかって行く。落下していくような感覚にも似ていたが、歩いてもいないのに後退しているようにも感じられた。その思考停止が『境界線』の狙いだとも気付かず、黒い手が俺を遠ざける。
纏わりつく。蟲のように。
今まで努力したと信じてきたことは、全てまやかしだったのか。乗り越えたと感じられた事は、単に才能によるものだったのか。
ならば、『人間』は努力しても、変われない事もあるのか。
ならば、『魔族』は努力しても、受け入れられない事もあるのか。
俺が異端だというだけで、世間は相変わらず『努力』をせず、『経験』を積まず、或いはどこまでも走り続ける事の出来る輪のように、同じ所を回転しているに過ぎないのか。
もしもそうだとしたら、俺がやれる事なんて。これから、何も。
脳裏に、涙を零したリリザの表情が浮かんだ。……そうだ。あいつは、何百年と続く魔族と人類の戦いを知っている。……その、愚かさも。
『境界線』を乗り越えてなお、望みを叶えられなかった事を知っている。際限なく魔力を使う事が出来るようになっても、強さを手に入れたその先には何も無い事を知っている。
…………無意味か?
ならば、リリザを助ける事は、この先の絶望を再び見せるという現実にしかならないのか?
――――いや。
不意に、背中に何かが触れた。
その瞬間に混濁していた思考はクリアになり、遠方を見渡す事が出来るようになった。
それは、人肌の温もり。腹まで腕を伸ばし、しっかりと抱き締めてくれた。
包み込まれるような愛情を持ち、冷え切った俺の心を温めてくれる。……その確かな力に、溢れんばかりの勇気と、希望を。
「ラッツさん」
そうだ。諦める事はない。……諦めなければ、どんな事だって解決出来るかもしれない。でも諦めてしまったら、そこから先に行く事はできない。
そこから先の、限りない景色を見る事だって出来ないんだ。
「私が、ここにいます」
平和。誰も見たことが無いなにか。……良いじゃないか。見たことが無いものを創り出した時にどんな感動が待っているか、見てみたいじゃないか。
他の誰でもない。俺には、俺だけが出来る事があるんだ。生い立ち、歴史、過去。そんなもの、どうでもいい。過去ってのは、失敗するものだ。後から考えると有り得ない程に恥ずかしい失敗をしても、それから学んで進化していくものだ。
「サンキュー、フィーナ。……迷いが晴れたよ」
俺は、どう足掻いたって。
俺でしか、ないのだから。
「大したもんだ、お前さん等。俺の限りないエゴとは違う方法で、『境界線』を越えちまうのか」
白い世界に、黒い影。相変わらず俺をどうにかして引きずり込もうと、その力を強めている。黒に塗り潰されていく空間の中に、いつかの鼠の姿があった。
マウス五世。……こいつが、フィーナをここまで連れて来てくれたのか。
フィーナの手に握られた何かが不意に巨大化し、俺とフィーナを『黒い影』の存在から守る。
これは、巨大な……盾? 直後、その盾から陳腐なメロディーと共に、何者かの声が聞こえてきた。
「ぱっぱらぱぱぱーん!! どうだっ、得体も知れない『敵』どもよ!! これが最終地球防衛軍梅こぶ茶推奨隊隊長、チーク・ノロップスターの防御壁だああァァァッ――――――――!!」
お前。一体、何をやってるんだよ。
場の空気が緩み、俺は思わず笑みを浮かべた。
今度は、『境界線』ってやつに教えてやらないとな。俺が誰で、何を望むのか。それが奴等にとって望まれる事かどうかってのは、その先に考える事だ。
背後から支えてくれるフィーナの手を、すうと握り。
引っ張られるような力に、抗う。懸命に両足を突っ張り、勢いを殺す。
拳を握りしめ、括目する。緊張の為に怒らせた眉は戻る事は無かったが、代わりに精一杯、肺の中を空気で満たした。
ここから先は、運頼みだ。認めてくれる事を、願うのみ。
「――――なら俺は、『失敗』を望む!!」
空気が固まる事が、よく分かった。俺は作戦が成功したことに、僅かながら安堵していた。
フィーナでさえ、目をぱちくりと瞬かせた。呆気に取られた様子で、マウスが俺の事を見ている。俺の身体に伸びる黒い影さえ、思考停止したかのように動きを止めていた。
チークの盾が、元の小さな姿に戻る。それを、しっかりと握り。
俺は再び、トーマスの姿をした者の下まで走った。フィーナ、マウスも俺に付いて来る。遥か遠く、目を丸くして俺を見詰めているトーマスの姿が、段々と大きくなってくる。
「……何を、言っているんだ? ラッツ・リチャード。……『失敗』を齎すことが、この星にとってメリットになると。そう、言うのか?」
はっきりと、胸を張って。顎を引いて。
俺は、笑顔のままで答えた。
「誰だって、永遠に成功を続ける事は出来ねえよ。問題なのは失敗することから学んで、新しい何かを作って行くことだ」
ああ、大丈夫だ。
「だから、俺は『失敗』を望む。失敗することが、経験することが、新たな未来への第一歩だ。そうやって世界を良くしていく事を、俺は約束する」
これは、限りない進化の過程。世界が絶えず成長していく事を、信じる一手。何度かは、同じ事を繰り返し失敗するかもしれない。でも、その失敗は無駄にはならない。いつかは失敗を乗り越え、新たな道へと踏み出す時がくる。
『紅い星』と戦う事になるのも、了承済みだ。過去、人類や魔族が犯した全ての過ちを、俺は背負う。
人として、魔族として、背負ってみせる。
トーマスに似た『境界線』に微笑み、俺は言った。
「二度同じ轍は踏まないって、信じたいんだ。……爺ちゃん」




