H111 燃える火花は崖に咲く
走って来たのか、ただでさえ暑苦しい体型の男は汗だくで、余計に暑苦しさを醸し出していた。はちきれんばかりの腰巻きが、大変きつそうに見える。
膝に手を付いて、はあはあと息を荒らげている武闘家の男。ロイスは見たことがない相手だ。きょとんとして、目を丸くしていた。
「お前は……えーと……」
呼び掛けようとしたが、名前を知らなかった。俺は言葉を失って硬直していたが、不意に男は顔を上げて、眉根を寄せて俺の事を見た。
「ラッツさん、でしたか!? あんた、スキルが使えないんですよね!?」
なんだか、その男には妙な剣幕があった。俺は若干引き気味に、男の問いに答えた。
「……お、おう。なんだよ」
「バカなんすか!?」
俺は躊躇なく、武闘家のデブを殴った。
殴り飛ばされて仰向けに倒れ込んだ男は、白目を剥いていた。……何なんだ、こいつは……。まさか、俺にそんな事を言うためにここまで追い掛けて来たんじゃないだろうな。
……あれ? そういえば、俺がスキルを失ったという話は、この男が居なくなってから話された事だ。……ということは、もしかして俺とガングの喫茶店での話を、こいつは追い掛けて聞いていた、ということか。
何の意味があって……
ロイスが男に近寄って、中腰になって男を見下ろした。
「あのー……貴方は……」
白目を剥いていた男は急に目を見開いて、起き上がった、びくん、とロイスが一瞬だけ反応する。……俺はさっさと、ハバネロフラワーを取りに行きたいんだが。
「このダンジョンは、止めといた方がいいっす。あんたがどの程度腕のある冒険者かわかりやせんが、ここのダンジョンマスターは泣く子も黙る、『シャドウフレイム』ってぇ亡霊の魔物でして」
なるほど、無謀な俺を止めに来たって所か。そういえば、こいつは冒険者バンクの前でも男達との言い争いで、ダンジョンを抜けて来たような事で話し合いをしていたな。
もしかしたら、ダンジョンの事はそれなりに詳しいのかもしれない。
でも、今の俺には無用な気遣いだ。確かに無謀と言えば無謀なのかもしれないが、そうしなければ俺は元に戻らない訳だし。選択肢なんて初めから無い。
「行こうぜ、ロイス」
「……あ、はい」
「待ってくだせぇ!! どうしてもと言うなら、あっしも連れて行ってくだせぇ……!!」
俺とロイスは、その場に固まってしまった。
「…………なんで?」
「そのままでは、死にに行くようなもの……!! ギルド『荒野の闇士』のギルドリーダーとして、バカを見過ごす訳には」
俺は躊躇なく、武闘家のデブを殴った。
「誰が馬鹿だコラ……って、え? 『荒野の闇士』のギルドリーダー?」
まさか。こんな、見るからに弱そうな奴が……? 荒野の闇士と言ったら、色々な場所に拠点を構え、無属性ギルドとしてもかなり登録人数の多いギルドだ。属性ギルドと同じ位には有名で、未開拓のダンジョンも次々と攻略している。
それが、俺のパンチ一発避けられない男がギルドリーダーときた。……いや、嘘だよな? これは流石に、本気にしなくて良いレベルの嘘だと……思うが。
武闘家の男は正座をして、俺の前に構えた。
「――――改めまして。あっしは『荒野の闇士』の現ギルドリーダー、ゴン・ドンジョと申しやす。動きは鈍いが身体はバカ硬いってのが信条でして、体力の高さなら誰にも負けやせん」
なんか、聞いたことがあるような名前だ。……あれ? 荒野の闇士のギルドリーダーって、こんなんだったっけ……。全然闇士っぽくないし、確かもっと優雅な感じの見た目だったような……気がしたけれど。
何にしても、フルリュとキュートを失ったこの状況でメンバーが増えるというのは、別に悪い事じゃないけれど。……しかし、信用するに足る人物なのかどうかも、まだ分かってないしなあ。
俺は頭を掻いて、眉をひそめた。
「……別に、いいよ。ちょっと行って戻って来るだけだし、そんなに気を遣わんでも」
「いや、そのバカさが命取りに成り兼ねやせんぜ」
俺は躊躇なく、ゴンと言うらしいデブを殴った。
「とりあえずお前、バカバカ言うの止めろよ」
「……すいません。口癖でして」
まあ、なんとなく悪い奴では無さそうなのは分かった。全身で不器用を絵に描いたような奴だが、一応それとなく誠意は伝わってくる。
しかし、最大の問題は、そう。
弱そうだ。
○
黙っていても付いて来るので、もう放っておくしかない。俺は付いて来るゴンを受け入れ、そのまま進んだ。ダンジョンの中は複雑に岩の橋が掛かっていて、殆どが橋と階段で構成されている。時折噴き出すマグマが、ここが安全ではない事を教えてくれた。
まあ、確かに炎系のダンジョンというのは、敵も強い事が多い。水の魔法が使えれば分かり易く弱点を突くことができるが、今の俺には<ブルーカーテン>が使えないときた。
ロイスに頼るしかないという状況は、俺がパーティーの弱点だということを意味している、という事はあるのだが。
「……前方、距離は四十メートル。岩の陰で隠れて、僕等を狙っている魔物がいます」
そう宣言して、ロイスは弓を構えた。<ホークアイ>も付与して、ロイスは瞳孔を開いて距離を見定める。
「敵は……『マグマゴブリン』が二体ですね」
「分かるのか?」
「ちょっと、訓練したので。目が良くなったんですよ」
ロイスは軽く笑い、魔力を高めた。ロイスの攻撃と言えば<ライトニング・アロー>と<シャイニング・アロー>だったが、今のロイスが組んでいる魔法公式は、それには当て嵌まらない。
俺からすれば、僅かな時間。ロイスは爆発的に魔力を放出する。常時魔力を高めたりせず、かつ詠唱するスキルが少ないのは、弓士として敵がこちらの行動に気付く前に仕留めると、訓練されているからだという――――足を開き、ロイスは宣言した。
「<ハイドロ・アロー>」
水鉄砲と呼ぶにはあまりに強大な水のバズーカが、岩陰に向かって放たれた。一体のマグマゴブリンはロイスの攻撃を避け、もう一体は被弾する。あっという間に一体のマグマゴブリンは倒れ、光となって消滅する。その場に『ゴブリンの角』をドロップした。
ロイスは俺からマグマゴブリンを遠ざけるように、岩の橋を駆ける。相手も遠距離攻撃を持っているのだ、その場で佇んでいたら俺も攻撃を受けると予測したのだろう。
小さな身体は素早く動き、一気に橋の向こう岸まで駆け抜けた。マグマゴブリンはロイスに照準を定め、無詠唱の<ダイナマイトメテオ>をロイス目掛けて発動させる。
「流石に、ノーモーションは厳しいですね……!!」
ロイス目掛けて一発、隕石が迫った。ロイスは大きく右に跳躍し、隕石の攻撃をかわす。続け様に何度かジャンプをすると、<ダイナマイトメテオ>を避けると同時にマグマゴブリンから距離を取った。
いやー、ロイスは強いな。初めから分かっていた事ではあるけれど。ロイスが更に後ろへと離れると、マグマゴブリンは魔法の圏内にロイスを入れようと、近付いて来る。
瞬間、ロイスは笑みを浮かべた。
「魔法にも銃にもない弓の強みは……リーチです」
そうか。一瞬だけマグマゴブリンの魔法の圏内に入ったのは、罠を仕掛ける為だったのか……!! ロイスの跡を追い掛けたマグマゴブリンは、見事にロイスの『モンスターロック』に引っ掛かり、足を止める。
全く見えなかった。いつの間に設置したのだろうか。
壊れるまでは一瞬だろうが、隙を作り出せたというのが大きい。ロイスは再び<ハイドロ・アロー>を放ち、マグマゴブリンを多量の水で消火した。
俺の出番どころか、ゴンの出番もなく。俺達はただ、橋の向こう側で手を振るロイスに向かって歩いて行った。
「なあ、これでも厳しいと思う?」
俺がゴンに向かって問い掛けると、ゴンは俺から目を逸らした。
「いや、しかし……マグマゴブリン程度なら、倒すことができるのもおかしくねぇっす……」
「無傷で倒せる? お前」
ゴンはそれきり、何も言わなくなった。
見た目で言うなら、ゴンよりも遥かに弱そうなロイス。だが、その内側に秘めた実力は並の弓士では太刀打ち出来ない。俺はロイスの頭を撫でて、微笑みを浮かべた。
ロイスはと言うと、少し照れたように、俺にはにかんだ。
嗚呼。ロイスよ。どうしてお前は男なんだ。
「ラッツさん、見てました? 今の!」
「おー、すごいぞロイス。雷以外の矢も撃てるようになったんだな」
「<パラレル・アクション>を使えば、もう少し短い時間で倒す事ができます……ただ、<パラレル・アクション>は魔力を消費するので、雑魚敵相手には使えないんですけどね」
マグマゴブリンを『雑魚敵』呼ばわりするロイス。……こいつは知らないのかもしれない。たった今、ロイスが無傷で葬ったマグマゴブリンは、セントラル大監獄の塔を護る地上の番人なのだ。
ロイス……恐ろしい子……!!
などとふざけている状況でもないので、俺は辺りを見回した。それなりに下まで潜ったが、『ハバネロフラワー』はまだ発見できていない。
リュックから予め買っておいたドリンクを、ロイスに手渡した。気温がかなり上がって来ているので、こまめに水分補給をする必要がある。
「それにしても、見付からないな。『ハバネロフラワー』」
「そうですね……そもそも、植物が見当たらないです」
ドリンクを飲みながら、ロイスが呟いた。熱で体力を消費し過ぎる前に、どうにかして見付けないと。……さっきゴンが言ってた、『シャドウフレイム』というダンジョンマスターの事も少しだけ気になる。
何か良い方法は……そうだ。
俺はリュックから『真実の瞳』を取り出して、辺りを見回した。もしも『ハバネロフラワー』に魔力があるなら、僅かな反応でも見ることが出来るはずだ。
「ラッツさん……? 水晶玉は望遠鏡代わりにはならねえっすよ?」
『真実の瞳』を見たことのないゴンが、まるで見当違いな事を言う。
「ちげーよ、これは『神具』だ。水晶玉じゃねえ」
近くに二つ、魔力の反応。これは、ロイスとゴンのものだ。少し先に行った場所に、魔物の反応が……三体。
なんだ……? 遥か下に、強い魔力反応がある。マグマよりも更に下か……? 真実の瞳を通して見ると、その魔力反応は確実に、他の魔物よりも大きく見えた。
俺は崖の下を見下ろし、魔力反応の正体を確認しようとした。もしかして、あれが『シャドウフレイム』なのだろうか。思い出し草の効力があるうちに、撤退したいものだが……まだ、距離は遠い。上がって来るなら魔力反応で確認出来るだろうし、こまめにチェックしないとな。
――――――――あ!
「おい、あれじゃないか? 『ハバネロフラワー』」
俺が指差した先を、ロイスとゴンも見た。見ているだけで落ちそうな崖に三人、姿勢を屈めて下を見る。蒸気に息が詰まりそうになったが、あの崖の途中に咲いている、赤い花。危うくマグマの赤に混ざり見逃しそうになったが。
ロイスが一瞬だけ表情を明るくさせるが、すぐに現実に気が付いた。
「あ、そうですね!! ……でも、取れそうにないですね」
完璧に偶然だったが、あれを持って帰れば良いんだな。……しかし、『ハバネロフラワー』は崖の途中に咲いていて、下に降りる事は大変そうだ。落ちればマグマまで一直線、下には足場がある様子もない。……流石は、活火谷ってとこか。
だが、所々飛び出ている岩を掴んで降りる事は、無理ではなさそうだ。
――――付いて来て、良かったな。俺にもできることがある。
「ラッツさん? どうしたんですか?」
「いや、取るよ。あれくらいなら」
俺はリュックから一本の矢と登山用のロープを取り出して、矢にロープを括り付けた。しっかりと、俺の腰にも巻き付ける。
簡易的な、命綱だ。壁に矢を突き立てると、俺は意を決して岩を掴み、崖の外側に出た。
身体は安定している。やはり、降りようと思って降りられない崖ではないな。
「ほ、本気っすか!? 落ちたら即死っすよ!?」
「じゃあ、もう少し地下まで潜ってみるか? ここまで無かったんだ、もう二度と見付からないかもしれないぜ」
「でも、それは危険で……」
伊達にセントラル大監獄の壁や、流れ星と夜の塔は登っていない。ゴンは知らないかもしれないが、俺は凹凸のある側面は登り慣れているのだ。
邪魔をされなければ、間違っても落ちる事はない。
第一、落ちても大丈夫だ。場合によっては、思い出し草を使ってリタイアする事も出来るのだから。またこの道程を行くのは骨が折れるが、死ぬよりはマシだろう。
ロイスが俺の肩を叩いて、言った。
「ラッツさん。それなら、僕が……」
「ロッククライミングの経験はあるか?」
ロイスは、首を振った。まあ、そうだろうな。弓士とは関係のないことだ。炭鉱に慣れている俺の方が、まだ『魔孔』の痛みを差し引いても安全だろう。
「……すいません」
「気にすんな、このために来たんだから。……まあ、それじゃあ行ってくるよ」
崖をしっかりと両手で掴み、俺は足を降ろしていく。どこか、引っ掛けられる場所を探した。うっかり魔力を放出しないよう、意識して力を込めていく。
思い出し草を使えば、リタイアはできる。そうと分かっていても、怖いものは怖い。努めて下を見ないようにしながら、俺は少しずつ下を目指した。
セントラル大監獄、そして流れ星と夜の塔。壁をよじ登ったり降りたりする機会は俺にとって意外と多く、また場慣れもしている。ちょっとやそっとでは、落ちない自信もあった。
「ラッツさん!! マグマの噴出があったら、<ハイドロ・アロー>で押さえます!! 気にしないで、降りてください!!」
ロイスが弓をいつでも構えられるように前に出してから、そう言った。……確かに、岩石が欠けて落下するのか、時折マグマは噴水のように噴き上げる。……俺の真下で起こったら、ロイスを頼るしかない。
とはいえ、そこまでの距離でもない。俺はそれなりの速度で、活火谷の崖を降りて行った。
あと、少し――――
俺は左手を伸ばし、体勢を崩さないように注意しながら、『ハバネロフラワー』に手を伸ばした。




