H106 プリンセス・俺
チークも一応参加はしたが、まともに戦える様子ではなかった。フルリュも単独の戦闘についてはあまり自信が無いと遠慮し、ササナもまた、辞退した。
巡り巡って、キュートの番。元気良く前に出たキュートは、短いスカートをはためかせ、エト先生の前に仁王立ちした。
「お兄ちゃん。――――ようやく、あたしの真価を発揮させる時が来たみたいだよ」
真価と言われましても。エト先生も何のことか分からず、キュートの発言を無視していた。
そういえば、ベティーナの<ニードルロック>を砕けなかった自分を悲観しているようだったから、何か特訓をしていたのかもしれない。
キュートは何度か垂直にジャンプすると、身体を暖めているようだった。エト先生はいつでも攻撃が出来る構えでいたが、キュートは両手を水平に広げ、手のひらを地面に向ける。なんとも奇妙な体勢になった。
キュートの真下に魔法陣が現れる。エト先生を睨み付けると、キュートは踊るように回転を始めた。
「これまでとは違うよ。本気で構えた方がいい、エトおじいちゃん」
「お爺…………」
エト先生は多少、ショックを受けているようだった。……もしかして、俺が普段からジジイ扱いしているから、俺にだけ妙に厳しかったりするんだろうか。
両手に魔法を。キュートは猫耳と尻尾をふわふわと動かし、三半規管が揺さぶられそうな程に回転すると、魔法公式を発動した。
「<キュートダンス>!!」
その言葉を、開始と判断したのだろう。
剣を低く構え、エト先生がキュートと距離を詰める。しかし――――眉をひそめたまま、エト先生はその場に立ち止まった。キュートがその場から、突如として消えたからだ。
素早いスピードはキュートの十八番、<キャットダンス>と同じものだ。しかし、わざわざキュートが魔法に自分の名前を付けるってことは――……まあ、それなりに自信がある魔法公式なのだろう。
エト先生の真後ろに、キュートは現れた。エト先生だって、ベティーナを攻撃する時には似たようなスピードを出していた。当然、キュートに反応する事も可能なんだろうが――キュートは極端に姿勢を低くして、エト先生に向かって尻を突き出していた。
…………何故尻なのかと思ったら、ヒップアタックか。
「にゃん!!」
だが、キュートが一声発すると、忽然とキュートはその場から姿を消した。まるで残像のように、あちこちにキュートの姿が現れる。
「にゃん!! にゃにゃん!! にゃにゃにゃ!!」
なんだ……この魔法? 魔法なのかどうかも分からないが……キュートはあちこちで声を発しながら、様々な場所から現れ、消えていく。
エト先生もまた、ふむ、と顎鬚を撫で。
「トリッキーな動きは悪くないが、無駄が多いな。魔力による残像は、攻撃に変換されていない。無駄遣いだ」
「な、なんだとおー!! これを受けてみよ!!」
キュートはエト先生の頭上、斜め上から出現した。既に攻撃のモーションに入っているキュート。
そうか、何の意味があるのかと俺も思っていたが、これはノーモーションでアタックを仕掛けるための残像――――中々に見事なものだったが。
エト先生の身体を通り抜け、キュートは地面に突っ込んだ。……なんだ?
「ぎゃふっ」
エト先生は転がって体勢を立て直したキュートの後ろに構えていた。俺達だって、キュートとエト先生の攻防を見守っていたつもりだ。視線で追う事すらできなかった。
「…………あれっ」
姿を見失ったキュートが、冷や汗をかいていた。エト先生は後ろから、キュートの肩を叩いた。
軋んだように、キュートの首がぎこちなく動く。
「効果的な残像というのは、こういうモノだよ」
キュートのこめかみに拳骨が当たり、きっちり三十秒ぐりぐりと動かされるまで、キュートは開放して貰えなかった。
○
「<ラジカルガード>!!」
フィーナは次々と、エト先生の攻撃を避けていった。目にも止まらぬスピードで攻撃を仕掛けて来るエト先生に対し、フィーナは涼しい顔をして、自分の周囲に的確に、魔力によるシールドを配置していく。
改めて、フィーナは元・ギルドリーダーになる程度には、聖職者としての実力があるのだということを感じさせられた。少しでも傷付けば<ハイ・ヒール>で回復し、無傷のままでいるというのに魔力は少しも衰える気配を見せない。
フィーナの周囲に発された銀色の魔法陣は、さながら結界のようだった。
「大したものだな……!! 流石、コフール一族の跡継ぎと言ったところか……!!」
エト先生の言葉は賞賛のそれだったが、フィーナはぴくりと、身体を反応させた。
どうやら、フィーナの試験は終わりらしい。レオは散々手合いをしているから分かっていると言っていたし、次はいよいよ俺の番か。
胸の前で手を組んで、フィーナはエト先生に不安気な表情を見せた。
「あの。ひとつ、聞きたいことが……」
フィーナの言葉に、エト先生は柔和な笑みを浮かべた。剣を鞘に戻すと、エト先生は言った。
「『ひとつ』である必要はないよ、フィーナ。今日からここに居る君達は、私の教え子のようなものだ。知っていることは何でも教えよう」
少しだけ、フィーナの顔から緊張が消えたようだった。
「私の父、ウォルテニア・コフールの事なのですが……」
だが、その言葉にエト先生は表情を曇らせた。
俺も、その事は気になっていた。薄れ行く意識の中、ロゼッツェルが放った強烈な一言は、未だ俺の頭の中から離れる事はなかった。……遠い昔から、フィーナの前に直接顔を見せなくなった、フィーナの親父。それは、ロゼッツェルによれば殺されたと言うのだ。
誰に? ……それは勿論、フォックス・シードネスが何かしたということは間違いが無さそうなのだが。
「……すまない。その件については、答えられない」
エト先生は、「無事だから大丈夫」だとか、「元気にしている」といった言葉を、フィーナに投げ掛ける事はなかった。フィーナは悲しみに目を逸らし、僅かに頷いた。
もしもフィーナが実家に帰る時は、俺も一緒に付いて行こう。人知れず、そんな事を考える俺だった。
「さて、これで全員の実力が分かった。戦力になりそうなのは、フィーナと……それから、ロイス。それだけだな」
……あれ、俺は?
名前を呼ばれた事に、ロイスは僅かに目を見開いていた。レオが不服そうな顔になって、エト先生に詰め寄った。
「師匠!! ……俺は、まだ駄目ってことなのか?」
エト先生は軽く首を振って、直後に笑みを浮かべた。
「レオ。お前は、一人で戦う事に関しては一人前だ。十分過ぎるほどだと言ってもいい――――だが、チームプレイとなると話は別だ。前衛という仕事は、体力の心許ない後衛を守れるだけの体力、能力がなければいかん。勿論、スキルもな」
呆気に取られたような顔をして、レオが口を開いたままで固まった。そりゃ、そうだろうな。レオは今までエト先生の下で修行をしていた訳で、当然パーティーでの戦闘なんてした事がない。セントラル大監獄では鮮やかにマグマドラゴンを一蹴してみせたレオも、リンガデムでゴールバードの鎧と対峙した時は、仲間を守るだけの実力を発揮できなかった。。
……いや、冷静に分析をしている場合ではなくてね。
「心配するな。これからちゃんと、パーティーとしての戦い方を教えてやる」
「師匠……!! よろしくお願いします!!」
そのとてつもないアウェイ感に耐えられなくなり、俺は一歩、エト先生に向かって詰め寄った。
「おい、先生!! 俺の事はどうなんだよ!!」
ふとエト先生は、俺を一瞥し。寧ろ驚いたといった様子で、目を丸くした。
「お前は話にならん。問題外だ」
……ああ、どうしてこうこのジジイは歯に衣着せぬ物言いなんだ。俺は猛然とエト先生に詰め寄り、胸倉を掴んだ。自分の額に青筋が立っているのが、自分でもよく分かる。
「ラッツ様!!」
フルリュが心配そうに声を上げるが、流石の俺も『問題外』扱いされて黙っている訳にはいかない。
唇が震えたが、俺はどうにか堪えて、笑みを浮かべた。
「問題外だってのは、ちょっと酷いんじゃねえかな。……理由を説明してくれよ」
「いや、問題外だ」
「俺の話を聞けよ!!」
久しぶりに戦闘の腕を見て貰おうと、ちょっとだけワクワクして隠れ家からリュックを取ってきたと言うのに。まさか、手前で蹴られるなんて予想外だ。
リュックから短剣を引き抜いて、俺はエト先生に向けた。戦う意志がある、と言外に含めたつもりだった。
だがエト先生は笑うでもなく、眉根を寄せてナイフを構えた俺の右腕を掴み、首を振った。
「『魔孔』が閉じたのだろう。スキルを使わなければ平気だと思っているなら、大間違いだぞ」
ビリビリと、エト先生の全身から魔力でもない、何かオーラのようなものが……迫力、と呼べば良いのだろうか。圧倒的な威圧感がそこにはあった。
と言うより、この人身長高すぎなんだよ。レオと同じくらいはある、百八十……? 俺は苦い顔をして、エト先生から一歩、後退した。
エト先生の言っている『魔孔』とかいうのが、フィーナが話してくれた『魔力の放出線』ってやつだろう。最初から何もかもお見通しで、俺の所に来たって事なのか。
しかし、問題外ってのはあんまりだ。
「魔力が出ないだけだ!! 動く事は出来るって!!」
「ラッツ。……自分の限界は見極めろ。この上、その状態でまだ戦うなど有り得ん。論外だ。お前は猿か」
焦る俺に対し、エト先生は冷静でいた。……どうして、戦っちゃ駄目だなんて言うんだろうか。この通り、普通には動けるのに。
そして、このジジイは相変わらず言葉の暴力を遠慮しないな。分かっちゃいるけれど。
「エトおじ様! ラッツさんは、私を助けようとして……」
フィーナが慌てて、俺とエト先生の仲裁に入った。エト先生は溜め息をついて、首を振った。
「……知っているよ。その件については、とやかく言うつもりはない。……実際、ラッツがフォックス・シードネスを止めてくれなければ、誰も彼の企みを知ることはなかった。犠牲は増えていた」
だが、今は戦えない。……そういうことなのか。俺は苦虫を噛み潰すような気持ちで、拳を握り締めた。
「…………分かったよ。じゃあ、俺はいつ元に戻るんだ」
それが分かれば、休む時間と動き出す日程を決められる。ゴボウを探し出すための足掛かりにもなる。……何しろ、普段はただのゴボウで、満月の夜にようやく人型になるという程度のものだ。結局どこに居るのかは見当もつかないし、あいつ自身が『動く神具』って所も収拾が付かない一つの原因になっている。
だから、ギルド設立と城を持つってことは、ゴボウが戻って来るためのきっかけにもなるんだ。まだ、あいつが俺を探してくれているのなら――……
エト先生は目を丸くして、言った。
「元には戻らないぞ」
瞬間、場の空気が固まった。……気がした。
「い、いや。冗談よしてくれよ、エト先生。……ほっときゃ治るんだろ? 魔力が枯渇しただけで、休んでりゃ帰って来るんだ。こうやって、五体満足に動けてるんだし……」
ちゃんと休めば、なんて、甘い考えだったのだろうか。
「本当の話だ。魔孔が閉じるというのは、それ相応の生命の危機を感じなければ起こらない事だ。魔力を放出することに強い拒否を覚え、通常は二度と魔力を使えなくなる。休息ではない、死滅のようなものだ。指を切り離したら、再び再生する事が難しいのと同じでな」
冗談じゃないぞ。戦えなくなったら、それこそ冒険者なんていう問題じゃない。命を狙われているかもしれないこの状況で、俺自身が戦えないなんて事になったら。……俺は皆の影に隠れて、震えている事しか出来ないじゃないか。
冒険者を辞めても、俺が狙われている事実は変わらない。
俺は愕然として、その場に膝をついた。
「なんだ。それくらいは知っているかと思っていたぞ」
知っていて、『ギルド設立』なんて話を持ち掛けるか。……まあ、俺の生きる道は『司令塔』だという事なら、まだ考えられなくもないが。
動く事ができない司令塔なんか、弱点にしかならない。そんな事をするくらいなら、俺を切り捨てて誰かがギルドリーダーになるべきだ。
レオが首を鳴らして、エト先生と俺の前に歩いて来た。
「……つまり俺達は全力で、ラッツを護るように動かないといけないんだな?」
やばい。俺は落雷に撃たれたかのような顔で、レオを見上げた。レオは既に、使命感に燃え始めている。こいつが熱くなったら、もう止まらない。俺は役立たずの烙印を押されたまま、仲間達に護られて生きていく事になる。
いや、それは有り得ないだろ!!
姫か!? 姫なのか!?
プリンセス・俺か!?
湧き上がる違和感。思わず、涙が出ちゃう。男の子なのに。……茶化している場合でもない。どうにかして、俺が元に戻る方法を考える路線でいかないと……!!
エト先生は微笑みを浮かべて、腕を組んだ。
「まあ、そういうことだ。一応、こいつも私の教え子だからな。ゴールバードの件が落ち着くまでは、死なないようにしてやってくれ」
何でこんな流れになってんだ……!? 俺は慌てて立ち上がり、エト先生とレオに顔を向けた。
「お、おい!! 俺がゴールバードとぶつかるって言ったんだぞ!? 面白いって言ってたじゃねーかよ!!」
「戦力になる人間は戦えばいい、という意味だったのだが。……お前、その身体で戦うつもりか?」
おいおいおい、ここで手のひら返す事はないだろ!! 手のひら返されたと思っているのは俺だけなのか!? 顔から血の気が引いていくのが分かる。俺は手足に冷えを感じながらも、黙って様子を見ている他のメンバーを見た。
ここはどう考えても、俺の魔力を元に戻す方向で……
おい!! 俺をそんな、暖かい目で見るな!! どうして『ラッツを護らなきゃ』みたいな目で、全員……
フルリュが、それはもう真剣な表情で、エト先生に詰め寄った。
「……戦えないラッツ様のために、私にも、何かできることはありますか」
『戦えないラッツ様』。……地味に胸に突き刺さる。
「今は、ラッツ・リチャードがこのメンバーの最大の弱点だ。それを分かってさえいれば、どうとでもなるよ。フルリュ」
エト先生が補足した言葉が、更に俺に計り知れないダメージを与えた。
弱点。ウィークポイント。護られる対象。ゴミ。
居た堪れない気持ちになってくる。俺は振り返り、空に浮かぶ島の端目掛けてダッシュした。
海に落ちれば、死ぬ事はないだろう。俺は逃げるんだ。この優秀なメンバーの中で、ただ姫として護られる訳にはいかない。そんなの、俺のプライドが許さない。
逃げるんだ!! 俺は今、さすらいの旅人になるんだ!!
走り出して間もなく、俺の腰は何者かに掴まれ、身体の自由を奪われた。
「ラッツさん!! どこに行くつもりですの!?」
「やめろフィーナ!! もう、俺のことは忘れてくれ!! ――――ぎゃああああ!!」
思わず、魔力を込めた。
気張ろうとした瞬間、身体に激痛が走った。俺は倒れ、その場で悶え苦しむ。……なんだ、この立ち行かない痛みは……!! そう、それはまるで頭痛を全身で感じているかのような……
エト先生が歩いて来て、俺の様子を見下ろした。
「閉じた魔孔に、圧力を掛けたな。……ほら、戦えないだろう? ついやってしまうと、そうなるんだぞ」
こういう……ことか……。今までは、魔力が放出されないよう意識してきたから……
既に俺はボロ泣きだった。……まさか、まさか、自分が戦えないなんて日が来るなんて。
いや、それ以上だ。うっかり身体のどこかを力んでしまったら、どうしても僅かな魔力は使ってしまう。それが出来ないってことは、もう身体を使う事は殆ど出来ないってことで…… フィーナがくすりと笑って、俺の涙を拭った。
「ラッツさん、安心してください。……ここには、ラッツさんを脅かす者は居ませんわ」
優しさが、痛い。




