第百七十五話 謎の錬金ショップの謎の店主
三人称???視点です
ちなみに???が誰かは本文二行目に明かされます!
「――三日後に、例の店を開けてくれませんか?」
めずらしく間を置かずに訪問してきたフィルレシアの唐突な提案に、彼女、スフィナは動揺した。
「例の店? 提案は具体的にしてもらいたいところだね。いきなり例の、なんて……」
「貴方が道楽で開いている店です」
知らないとは言わせませんよ、と言わんばかりのフィルレシアの視線に、スフィナは開いた口を閉じて、黙り込むしかなかった。
それを見て、よろしい、とばかりにうなずいた皇女は、当然の権利のような顔で話を続けた。
「その店で会ってもらいたいのは、レオハルト公爵家の次男、アルマ・レオハルト。……私に、この『指輪』を贈った人間です」
「……へぇ」
ちらり、と視線を送ると、フィルレシアの指にはあいかわらずの白い竜。
国宝級の指輪をあっさり譲り渡したという少年に、スフィナは少しだけ、興味を引かれた。
だが、
「三日後、学園が終わって少ししたら店に向かうようにと言付けておきます。その方が、貴方も心の準備が出来るでしょう?」
続いて口にされた、その労わるような口調が、スフィナの反骨心に火をつける。
「心の準備? ははっ! たとえ相手が国宝を入手出来るような大貴族であっても、この天才たる僕が臆することはないよ!」
反射的に見栄を張るスフィナを、フィルレシアは慈愛すら感じる笑みで見守ると、
「ええ。そうだといいですね」
と、笑顔のまま返したのだった。
※ ※ ※
そして三日後。
スフィナは開店準備を始めながら、フィルレシアの話を思い出していた。
(あの〈英雄〉レオハルト公爵の息子、ねぇ。〈ホワイトドラゴンリング〉を手に入れた経緯については、興味が引かれない訳ではないけど……)
詳しい話を聞けば、彼もまた、スフィナに「何か」を作らせるために店に来るらしい。
それを聞いた途端、彼に対して抱いていた興味が大きく萎んでいくのをスフィナは感じていた。
(やっぱりそういう手合い、かぁ)
伯爵家に生まれたスフィナは社交界においても有名で、その優れた錬金術の腕前にすり寄ってくる者が多かった。
そして、そんな彼らが錬金を依頼してきた品々は、大抵がどうしようもないものばかりだった。
例えば……。
狭い部屋で香として焚き染めれば、どんな貞淑な妻も淫欲の虜にしてしまうという媚薬〈インキュバスブラッド〉。
たった一匙グラスの中に落とすだけで、どんな屈強な男であっても身体が痺れ、数日はまともに戦えなくなるという粉薬〈エレファンキラー〉。
完全に無味無臭で、飲んでも基本的には何も起こらないけれど、数十回に一回、およそ3%の確率で相手を死に至らしめるという最低最悪の猛毒〈バブルポーション〉。
(……本当に、くだらない)
特に〈バブルポーション〉などは、もっとも卑劣な毒薬だとスフィナは思う。
博打のような成功率が逆に災いして、毒見役がいてもそのチェックを免れることも多く、万が一成功してもその毒性の低さゆえに検知されにくい。
また、「必ず殺す」訳ではないがゆえに、使用する際の心理的抵抗が少ないのも最悪の毒と言われる所以だ。
何より……。
(――あの薬はほとんど「暗殺専用」。魔物を倒すには、まるで役に立たない)
〈バブルポーション〉の強みは唯一、露見しにくいことだけ。
単純に魔物に打ち込むのならもっと使いやすい毒もあるし、即死に限るとしてももっと強力なものもある。
だからこのポーションは正真正銘、後ろ暗いことに使うためだけに生まれた薬なのだ。
魔物によって人の生活が脅かされているこの状況で、人を殺すための毒をこぞって追い求めるのは、あまりに浅ましすぎる。
こんな青臭い台詞は誰にも言えないけれど、スフィナが錬金術師になったのは、人を救い、助けるため。
決して人を貶め、苦しめるためじゃない。
だからこそ、〈インキュバスブラッド〉や〈バブルポーション〉のような、「人を救わない」薬ばかりを求めてくる貴族には、スフィナはほとほと愛想が尽きていたのだ。
(……っと)
だからこそ、身バレのリスクは可能な限り防ぐべき。
一通りに準備を終えると、最後の仕上げとして、特区の「天才」が最近開発したという魔道具〈鑑定偽装〉の装置を起動させる。
(これも、完全に「対人専用」。無駄なものを、と思わないでもないけど……)
この魔道具は、最近特区を中心に台頭してきた〈おてがルーペ〉や〈ディテクトアイ〉といった「相手の強さや名前を知る魔道具」に対するカウンターアイテム。
効果範囲内の人間に対する鑑定結果は偽装され、装置にあらかじめ設定された情報が表示されるようになる。
(――ヨシッ! レベルは三に、名前もいかにも一般人らしい、ありふれたものに変えた。これで完璧だ!)
懸念点があるとしたら、市井の人間と触れ合う機会が少なかったため、名前のサンプルに乏しいことと、スフィナが手に入れた試作品は半径二メートルほどしか効果がないこと。
しかしこれも、店のカウンターから出なかったら問題ないはず。
また、魔道具の効果範囲については、現在は大貴族の後ろ盾を得て、大規模版の開発が進められているという情報も、スフィナの耳に入っている。
(特区の天才錬金術師、か。以前は、魔物に対抗するための装置を精力的に開発していたはずなんだけど、ね)
魔物にこちらを鑑定してくるものはいないため、やはりこの〈鑑定偽装〉の魔道具も、人相手にしか使えない魔道具だ。
一部の利己的な貴族たちのせいで、世の中がだんだんと誤った方向に進んでいるような、そんな感覚がスフィナにはあった。
「っ! あれは……」
ちょうど全ての準備を終えたところで、店に向かってくる少年の姿を捉えた。
いかにも貴族らしい仕立ての良い服に、豪奢な金髪。
帝国貴族の子息らしからぬ暢気な表情をしているのは少し気にかかるけれど、間違いないだろう。
(……あれが、アルマ・レオハルト)
残念ながら、スフィナには学園からの情報を手に入れられる伝手はほぼないため、彼に対する事前情報はない。
ただ、直接目で見たその印象は、一言で表せば凡庸。
いや、いっそ能天気と評する方が適切か。
(……フィルレシアも何を考えているのだか。まあ、会って話せば、皇女への義理としては十分なはず)
そもそも錬金を続けてきた一番大きな理由が、弟の病気を治す手段を探るため。
もうその手段が判明した今、貴族連中に付き合う必要もあまりない。
(いくら大貴族の息子とはいえ、僕に有益な素材、とりわけ〈世界樹の葉〉なんてとんでもないものを持っているはずもなし。ここからは、僕の流儀でやらせてもらう!)
スフィナはバッと黒いローブをなびかせると、手のひらに「人」という字を三回書いて呑み込んで、じっとその時を待つ。
気分はさながら、熟練のハンターとその獲物。
狩りの瞬間を想像し、武者震いする足に静かに力を込める。
こういうのは最初が肝心。
少年が入ってきたら一発かましてやろうと、スフィナは黒いローブの下でその真っ青な唇を笑みの形に結んで、そして、ついに少年が店に足を踏み入れた、その瞬間――
「……ぃらっしゃいませぇぇ」
――彼女の口から、ヘナヘナな声が漏れた。
……これが、スフィナがこっそりと錬金術ショップを営んでいる理由。
誰もが羨む才能、齢十五にして、英雄学園に特例すら認めさせるほどの錬金術師、スフィナは……。
(――う、うああああ! やっぱり知らない人こわいぃぃぃぃ!!)
極度の「人見知り」だった。
天才の意外な弱点!





