第百四十九話 光の導き
フィルレシア皇女の放った光の魔法は、恐慌に陥りかけていた集団の空気を一瞬で変えた。
さらに……。
「――皆さん、安心してください!」
皇女は集団から一歩前に出ると、学園にいる時と寸分たがわぬ品の良さと落ち着きを供えた所作で、その場の全員を見渡す。
彼女は全員の注目が集まったもっとも効果的なタイミングで、口を開いた。
「確かに、中層の魔物は強敵です。ですが、光魔法の使い手である私がいれば、怖れる必要はありません!」
広場に響いた力強い台詞が、浮足立っていた生徒たちの頭に染み渡っていく。
彼ら彼女らは顔を見合わせると、口々につぶやいた。
「そ、そうか。中層の魔物は闇属性だから……」
「あの魔法があれば、きっと……」
格上の魔物の襲撃と、ダンジョンのルールを無視した奇襲。
突発的な命の危機によってもたらされた恐怖と混乱は、皇女の言葉によって塗り替えられていく。
――それは単純に、闇属性の魔物には光属性の魔法が効果的だから、などという理屈だけではない。
絶体絶命の窮地をあっという間に覆してみせた、圧倒的な魔法の威力。
そして、その魔法を放ったフィルレシアの見せる、この状況にあってもいささかも揺るがない態度が説得力となり、生徒たちの心を掴んだのだ。
(……我ながら、茶番ですね)
生徒たちに笑顔を振りまきながらも、フィルレシアは自嘲気味に考える。
この状況で恐ろしいのは、魔物の質よりもむしろ数だ。
いくら光魔法が強力とはいえ、それだけで襲い来る全ての敵を屠るというのは現実的ではない。
――魔術師を示す言葉の一つに「三度奇跡を起こす者」というものがある。
それは、奇跡と呼ぶにふさわしい力を持つ魔術師を称える言葉であると同時に、その欠点を痛烈に揶揄する言葉でもある。
限られた者しか使えないこの魔術という力は、武技と比べて総じて効果範囲が広く、連発が可能な反面、燃費がすこぶる悪い。
一般に「魔術師が習得している中で最大の魔法を使えば、たったの三回で魔力切れになる」というのが通説であり、「三度奇跡を起こす者」という言葉の由来だ。
(まあ、実際には三回というのは多少誇張されていますし、マナポーションで軽減出来るところでもありますが……)
ただ、魔術師が根本的に長期戦に向いていないことは事実。
そしてだからこそ、生徒たちの動揺を抑えることが重要になってくる。
もしここで空気を変えなければ、恐慌に駆られた生徒たちの一部は、
「な、なんで浅層にこんな数の強い魔物が……」
「う、うわああああ! 逃げろおおお!!」
などと見苦しく叫び、算を乱して逃げ出していただろう。
そうやって恐慌に陥り、組織立った対応が出来なくなった集団は、脆い。
犠牲を抑えながらこの窮地を乗り越えるためには、何よりも心の拠り所が必要だった。
「もちろん、私一人で全ての敵を退けることは出来ません! ですから、貴方方の力を貸してください!」
そう皇女が訴えれば、すぐに熱狂に燃えた生徒たちが呼応して、さらにそれに引きずられて多くの生徒たちが追従する。
(これで、一つの峠は越えましたね。あとは……)
その熱に感じ入ったような演技を見せながらも、その笑顔の裏で彼女は冷静に計算を巡らせるのだった。
※ ※ ※
「……よろしかったのですか?」
皇女と教官の指示の下、生徒たちがせわしく動き回る中で、側近のスティカが小声で尋ねる。
それに対して、フィルレシア皇女は視線をそちらに向けないまま、小さな声で返答する。
「目立たずに済ませたかったというのが本音ですが、あの状況では仕方ありません。潜伏はもともと無理筋でしたし、露見した時のことを考えればここで出ないというのも不自然でしょう」
状況はまだ予断を許さず、打たされた手は最善とは言い難い。
ただ、フィルレシア皇女の口元には、演技ではない笑みがあった。
「しかし……ふふ。いい拾い物をしました」
言いながら、フィルレシアが楽しげに撫でるのは、右手の指に嵌まった竜の指輪。
(指輪一つで、魔法の強さがこうも劇的に変わるとは、少し甘く見ていたかもしれませんね)
奇襲を捌くために使った、〈ジャッジメント・レイン〉。
〈ホワイトドラゴンリング〉の補助を含んだその威力は、魔法を放ったフィルレシア皇女の予想すらも超えていた。
むしろただの中層の魔物に過ぎない〈ヴァンパイアスネーク〉相手では過剰火力だったとすら言えるが、決して無駄ではなかったとフィルレシアは考える。
窮地に陥ったところを、それを遥かに凌駕する圧倒的な力でねじ伏せたことで、一瞬、生徒の思考にぽっかりと空白が出来た。
いわば思考が停止した無防備な状態だったからこそ、そこにフィルレシアの演説がするりと入り込んだのだ。
この指輪の力がなければ、これほどまでに楽に生徒たちを掌握することは出来なかっただろう。
(彼が無事に帰りつけたのなら、たっぷりと返礼をしないといけませんね)
そして、転移罠に嵌まった彼がここで死ぬだろうとは、彼女はあまり考えていなかった。
練習場で見せた魔法の威力を考えると、運悪く深層の最深部にでも放り込まれていなければ、きっと無事に帰ってくるだろう。
(……と、あまり他所事に気を取られている場合でもありませんか)
ざわつく気配にフィルレシアが視線を向けると、そこには新たな魔物の群れ。
「き、来ました! 浅層の魔物十二! 中層の魔物四! ウルフ型多数です!」
索敵と報告役を任された男子生徒の声に、フィルレシアは再び、白い竜の指輪が嵌まった指を魔物へと向け、
「――ふふ。では精々、愉快に踊ってもらいましょうか」
長く激しい戦いの予感に、その唇の端を小さく持ち上げたのだった。





