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第百四十八話 暴走


「――襲撃だ! 全員、急いで広場に逃げ込め!」


 ネリス教官の叫びに、生徒たちは半ばパニックになって動き出す。


 幸いなのは、生徒たち全員が入れるほどの避難場所が、すでに確保されていることだろうか。

 魔法陣から現れた〈エルダートレント〉の姿はもうどこにもなく、広場には一応の安全地帯が確保されていた。


 ただし、ろくに後ろも警戒せずに逃げ惑う生徒たちを、襲い来る魔物が見逃すはずがない。

 現に今、逃げる途中で転び、動けなくなった生徒に向かって、闇色の狼の牙が迫っていた。


「――潰れてろ!」


 だがそこに駆け込んだネリス教官が、あまり上品とは言えない叫びと一緒に、拳を打ち放つ。


 圧倒的な位階の差から生まれる破壊力は容易に〈シャドウウルフ〉の身体を砕き、その身を地面と同化させた。


 ありがとうございます、と頭を下げる生徒を乱暴に引き起こし、広場に送り出しながら、叫ぶ。


「落ち着け! 襲ってきてるのは大半は浅層の魔物だ! 黒い奴だけ警戒しろ!」


 浅層の魔物の属性がランダムなのに対し、中層の魔物は闇属性。

 大抵が黒系統の色をしているから、それだけでほぼ判別がつく。


「複数に襲われることにさえ気を付ければ、お前らが負けるような相手じゃない! 冷静に広場に集まって迎え撃て!」


 ネリス教官は生徒たちを鼓舞するようにそう口にしながらも、頭の中では全く逆のことを考えていた。



(――この感じ。やっぱ小規模なスタンピードみてえなことが起こってやがるな)



 なんらかの原因でダンジョンの魔物、もしくは魔物を生み出す源である魔力が飽和し、ダンジョンの中から外へと魔物があふれ出していくのが、一般に「ダンジョンスタンピード」と呼ばれる現象だ。


 本来は年単位で魔物の討伐が滞り、じわじわと溜まった魔物や魔力が閾値を超えて爆発するものだが、今回は例外。



(――原因は十中八九、あの黒い塔のダンジョン)



 ダンジョンの中にダンジョンが出来たことで、中心部の魔力濃度が一気に飽和近くまで引きあがった、というのが彼女の予想だった。


 それが魔物を刺激したか、あるいはダンジョン内ダンジョンの方から魔物があふれたことで、元のダンジョンの魔物が飽和したか。

 どちらにせよ、このダンジョン内においてスタンピードと似た現象が起こっているのは間違いがない。


(今はまだいい。だが……)


 スタンピード中の魔物にそれまでのダンジョンの常識は通じず、ただ本能によって近くにいる人間の位置を察知し、集団で襲ってくるという。


 今のところは浅層の魔物にちらほらと中層のものが混じる程度だが、時間が経てばその比率がどう変わるか分からない。


 万が一、深層の魔物まで出てくるようなことになれば……。



(――クッソが! 楽しくなってきたじゃねえか!)



 思い浮かんだ最悪の可能性に、思わず口角が上がる。


 しかし、そんな悲観的な思考とは裏腹なネリス教官の奮闘に感化されたのか、生徒たちも次第に立ち直ってくる。


 冷静ささえ取り戻せば、そこは腐っても帝国の英雄養成校が誇るエリートたちだ。


「こちらへ! 慌てずについてきてください」


 実力のある者を先導として、一部では整然とした避難誘導が始められている。

 時間さえ稼げば、広場への退避は問題なく行えそうだ。


「ま、しゃあねえな! 給料分くらいは仕事してやんよ!」


 退屈な授業なんかよりは、こちらの方がネリスの性には合う。

 さながら獰猛な獣のように、襲い来る魔物たちを両の拳で迎え撃つ。


(とは、言ったものの……)


 腐ってもエリート校の戦闘授業を受け持つ教官。

 この程度の敵に後れを取るようなことはないが、何分数が多い。


 特に、広場に通じるこの通路に合流する支道は二つある。

 そこから駆け込んでくる魔物を、一人で捌くのは流石に限界がある。


「……ちぃっ!」


 今も別の分かれ道に気を取られすぎたせいで、〈シャドウウルフ〉が一体、ほかの小道から飛び出してきて、




「――こいつらは、ボクが引き受けます!」




 冴え冴えとした剣閃が奔り、その身体が一瞬にして両断された。


「……セイリア・レッドハウト」


 思わず、その名を呼ぶ。

 そんな間にも、彼女は手にした奇妙な片刃の剣を閃かせ、後続の〈シャドウウルフ〉たちを切り伏せていた。


「おいおい……」


 助けに入るべきか、迷う暇すらない。


 あっという間の蹂躙劇。

 教官の目から見ても完璧な見切りと斬撃で、七、八匹はいた〈シャドウウルフ〉の群れが瞬く間に掃討されていた。


 位階60。

 格下とはいえ、学園入学直後の学生が相手にするには厳しい相手を、全て一撃。


(あの武器、デタラメすぎだろ……)


 目を引いたのは、真っ赤に燃え盛る片刃の剣。

 確か、「例の大会」でレオハルト弟が使ったことで注目された「刀」とかいう武器だったはずだ。


 間違いなく、魔法の武器。

 それも、今までネリスが目にした中でも最上のものに見える。


(……何より、あの武器と本人の戦闘スタイルの相性が良すぎる)


 純粋な剣技で言えば、学年で一番だと目していた生徒ではある。

 だが、入学当初は攻撃力の不足での伸び悩みの気配も見せていた。


 しかし、その特別な魔法武器はその問題を一瞬にして解決してしまった。

 結果生まれたのは、同年代の中でも頭一つ抜けた敏捷さでもって攻撃を見切り、敵の急所を的確に斬りつけて一刀の下に屠っていく最凶の剣士。


(こりゃ、ディークの奴は苦労しそうだな)


 そんなことを考える余裕が出来るほど、セイリアの参戦は撤退戦の状況を好転させていた。

 そして、



「――広場への避難、終わりました!」



 トリシアーデからもたらされた、待ちに待った報告。

 ネリス教官は、セイリアと一瞬だけ目くばせをすると、



「――〈猛火紅蓮掌〉!」

「――〈血風陣〉!」



 それぞれが撃てる最高威力の遠距離技を放って、その場を離脱する。

 そして、二人が広場への入口を潜り抜けた、その直後、



「――今! 撃って!」



 トリシアーデの号令と共に、横一列に並んだ生徒たちが一斉に魔法を撃ち出す。

 一人一人の魔法の威力は低くとも、束ねればそれなりの破壊力になる。


 二人を追いかけて集中砲火を浴びた魔物たちは苦痛の叫びをあげ、残らずその場に屍を晒すことになったのだった。



 ※ ※ ※



(……ふぅ。とりあえずこれで、第一段階はクリア、か)


 通路にほかの魔物がいないのを確認して、ネリス教官は一息をつく。

 さしもの彼女も、ここまでの連戦に神経を尖らせていた。



 ――だからこその、一瞬の弛緩。



 しかしそれを、魔物たちは的確に突いた。



「――キャァアアアアアアアア!」



 突如としてあがった、女生徒の悲鳴。

 しかしそれは、教官たちが警戒していた広場への入口とは真逆の方向。


「なっ!」


 その光景を目にした瞬間、ネリス教官は瞠目した。


 現れたのは、〈ヴァンパイアスネーク〉の群れ。

 それが本来は通行不可能なはずの「木々の壁」の間から飛び出してきたのだ。


(しまった! スタンピードの特性!)


 広場の四方を覆うのは、密集した木々。

 それはダンジョン的には「壁」として扱われ、普段であれば魔物がそれを超えてくることはない。


 ただ、スタンピード中は違う。

 魔物はあらゆるルールから解き放たれ、わずかな隙間からでも、容赦なく人間を狙って襲ってくる。



(――ダメだ! 間に合わない!)



 木々の壁をすり抜けてきた個体は、十数体。

 それが示し合わせて、入口を警戒して戦力を集中した最悪のタイミングで襲いかかってきた。


 ……これを防ぐ術は、もはや存在しない。


 惨劇の予感に、ネリス教官が唇を噛んだ、その時、





「――〈ジャッジメント・レイン〉」





 厳かな宣告と共に、戦場に鮮烈な光が降り注いだ。

 その光は生徒たちの間を縫い、襲いかかる黒い蛇だけを精確に撃ち抜いていく。



「こいつ、は……」



 あまりにも、圧倒的な光景。


 ほんの、数秒。

 たったそれだけで、我が物顔に広場を駆けていた闇の魔物たちは全て、地面の染みへと変わってしまっていた。



「油断大敵、ですよ。ネリス教官」



 突然の事態の急変に、呆然と立ち尽くす教官にかけられる柔らかな声。

 思わずネリス教官が顔を上げるとそこには、優雅で完璧な笑みを浮かべた一人の女性がいて……。



「――フィルレシア、皇女」



 断罪の天使のごとくまっすぐに伸ばされた彼女の右手には、純白の竜を象った指輪が煌めいていたのだった。

真打登場!!

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二巻
ついでににじゅゆも


― 新着の感想 ―
[一言] あ、エンチャントのない指輪だ!!
[一言] 情は人の為ならず。ですね 指輪をあげといて良かった。正解
[一言] 何をやらかして結果としてあんなのはえて大惨事になったのか、推論が出来るけどおおはずしするのがてまふぉだからなぁ…穴掘って叫ばないと
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