第百十六話 異変
今回の話は別人視点からスタートです!
「――よーし! とうちゃーく!!」
広い平原に、そんな明るい声が響いた。
声の主は、真っ赤なバンダナを巻いた冒険者の少女だった。
斥候職の彼女が平原の澄み切った空気を吸い込んでんんーっと伸びをしていると、
「おいリンダ、一応ここはダンジョンなんだから、慎重にな」
後ろからやってきたのは、剣士風の男。
二人は、いや、彼らのパーティは、この平原、通称〈ノビーリ平原〉と呼ばれるダンジョンに、探索に来ていた。
「って言ってもさぁ。ここの敵って位階24の〈オーガ〉でしょ。わたしたちの敵じゃないって!」
彼らは〈夜明けの星〉という名前の中堅冒険者パーティで、若手ながらメンバー全員が位階30を超える有望株。
この〈ノビーリ平原〉で出てくるのは主に位階24の〈オーガ〉とその取り巻きなので、かなりの格下ということになる。
「でも、油断はダメですよ。そんなことでリンダさんが傷ついてしまったら、私は悲しいですから」
そう諭すのは、チームの良心でありストッパーでもある水魔法使いのマリアだ。
「う。マリアさんにそう言われたら、従うしかないけどさ」
「おいおい。オレと扱いが違いすぎるだろ」
うなだれるリンダと、それに呆れるアデル。
いまだにあどけなさの残る若者たちだが、冒険者歴は全員が三年以上。
いくつもの修羅場をくぐったことのある、優秀な戦士たちだ。
剣士のアデル。
斥候のリンダ。
魔法使いのマリア。
本来はここに残り二人のメンバーを加えて五人パーティを結成しているのだが、今回は新しい武器の試し切りのため、三人だけでのダンジョンアタックだった。
「ま、気合入れていこー!」
「調子のいい奴だなぁ」
調子のいいリンダに呆れながらも、アデルも本心では心配はしていなかった。
知らないエリアではないし、自分たちの戦力も充実している。
不安材料があるとすれば、リンダの空回りくらい。
「あんまり気合入れすぎて、ボスを出したりしないでくれよ」
「あはは! それもいいかもねー!」
「お前なぁ……」
そんな軽口を叩きながらも、三人は和やかな雰囲気で草原に足を踏み入れた。
――その先に何が潜んでいるかなど、まるで想像することもなく。
※ ※ ※
「あれぇ、おっかしいなぁ……」
その異常に気付いたのは、ダンジョンに入り込んで二分ほど進んだ時。
この〈ノビーリ平原〉は見晴らしがよく、不意打ちや包囲の心配がない、比較的安全なダンジョンの一つとして知られていた。
その代わりにエリアが広大で、魔物の密度が低いため、魔物狩りの効率はよくないとされている。
「ここって、こんなにモンスター少なかったっけ?」
それにしても、魔物の姿が見えなすぎる。
アデルは思わず、リンダに何度目かになる確認をした。
「偵察の時は、異常はなかったんだよな?」
「う、うん。十五分くらい前に双眼鏡で見た時は、ちゃんとモンスターもいた……はずなんだけど」
リンダの声は歯切れが悪い。
気を抜いていたせいか、はっきりと断言出来ないようだった。
しばらく、無言での行軍が続いたが、
「――わ、わたし、ちょっと三角岩の方を見てくる!」
突然にリンダがそう口にすると、駆け出してしまった。
「は? って、バカ!」
三角岩というのは、平原の真ん中に三つの岩が並んだ場所の通称だ。
遮蔽物の少ない平原の中にあって唯一奥が見通せない場所で、三つの岩が重なることで、岩のない方向以外からは入ることも中を覗くことも出来ないため、簡易的な建物のようになっている。
その三角岩の中には必ず〈オーガ〉の群れがいるというのはここを狩場にする冒険者の間では有名な話で、有名な狩りポイントでもあるのだが、
「――んな場所に斥候一人で行って、怪我でもしたらどうするんだよ!」
当然、魔物にやられるリスクも大きい。
アデルはマリアと顔を見合わせ、すぐさまリンダを追いかけた。
※ ※ ※
「くそ! あいつなんでこんな時だけ無駄に本気出すんだよ!」
斥候職のリンダの敏捷は高く、二人はなかなか追いつけない。
それでもせめて見失うまいと必死に追いかけていると、
「――リンダ!」
三角岩の入口で、ようやくに追いついた。
リンダは三角岩の入口の前で立ち尽くしているだけで、特に怪我などもしていないようだ。
アデルは安堵のため息をつき、すぐにリンダを連れ戻そうと近寄るが、
「おい、あんまり勝手な……」
「……いない」
リンダの口から漏れた言葉に、動きを止めてしまった。
「いない、って……」
視線を、三角岩の中に向ける。
「え?」
確かにそこはもぬけの殻。
魔物の動きが不規則なこの平原において、唯一絶対に魔物がいるはずのその場所には、何の生き物の気配もなかった。
まるで魔物が忽然と姿を消したように、そこには……。
「……ん?」
だがそこで、気付いてしまった。
「なんだ、あれ」
普段であれば魔物がたむろしているはずの場所に、何かが落ちている。
アデルはふらっとそこに近付き、「それ」を見てしまった。
(これは……角?)
それは、見覚えのあるアイテムだった。
(――間違いない! これは〈オーガの角〉! 〈オーガ〉のドロップアイテムだ!)
確信した瞬間に、ぞわりと背中を走る悪寒。
ここに〈オーガ〉のドロップアイテムがあるとしたら、ここまでの道中で魔物がいなかったのはいなくなったからじゃなくて、倒されたから。
だとすると、ここにはこの〈オーガ〉たちを倒した何者かが……。
(って、呑気に考えてる場合じゃねえ!)
思考は、一瞬。
それよりも今は動くべきだと考えて、アデルは急いで顔をあげて、
「リンダ! マリア! 今すぐここから離れ――」
出そうとした指示はしかし、わずかに遅かった。
「……え?」
突然、三角岩の入口に、大きな影が差す。
「――ガァアアアアアアアアアアアアアア!!」
聞くだけで、身体が竦むほどの咆哮と、今まで見たモンスターの中でも群を抜く巨体。
「……〈オーガキング〉」
位階45を誇る圧倒的な格上モンスターが、アデルたちを見下ろして怒りの形相を向けていた。
※ ※ ※
――イレギュラーモンスター。
そんな単語が、アデルの頭には浮かんでいた。
ダンジョンにはたまに、場違いなほどに位階の高い魔物が生み出されることがある。
もし出てきたら返り討ちにしてやる、そんな威勢のいいことを、アデルは酒の席で口にしていたが……。
(……ダメ、だ。勝ち目は、ない)
アデルの位階は31で、相手は45。
位階に10の差があると、たとえ人数差があっても戦闘は絶望的だと言われている。
何より目の前の怪物の威容が、戦う前からアデルの心を折ってしまっていた。
なら、最適解は……。
「リンダ! マリアを連れて逃げろ!」
アデルは震える足を動かして、リンダたちを庇うように、前に出た。
「な、何言ってるのさ!」
「ごちゃごちゃ言ってるんじゃねえ! 全滅したいのかよ!」
「だ、だからって、アデルを置いて逃げるなんて、やだよ!!」
目の前の〈オーガキング〉から目を離さないまま、絶望的な言い争いを続ける。
(クソ、どうしてだよ! どうしてこんなことになったんだ!)
アデルたちがダンジョンに入って、まだ五分と経っていない。
ほんの五分ほど前まで自分たちは、明るく笑い合っていたはずだ。
それが今は、命の危険に震え、勝ち目のない絶望的な戦いに身を投じようとしている。
(……これが、ダンジョン、か)
リンダに油断するなと言いつつ、結局アデルが一番、気を抜いていたのだろう。
ダンジョンは容易に冒険者の命を奪う。
それを知っていたはずなのに、忘れてしまっていた。
(オレはバカなリーダーだった。でも、せめてこいつらだけは……!)
そう心に決め、命を懸けた突撃を敢行しようと覚悟した瞬間だった。
――突然、〈オーガキング〉の巨体に斜めに線が入った。
誰もが、〈オーガキング〉本人にすらも何が起こったのか理解出来ないまま、ズルリ、と〈オーガキング〉の身体が線に沿うように斜めに分かれて……。
「……死ん、だ?」
真っ二つになったその身体は崩れ落ち、光の粒となって大気に溶けていった。
わずかな静寂のあと、その場には〈オーガキング〉どころか〈オーガキング〉のドロップアイテムすら残っておらず、残されたのは、呆然と立ち尽くす三人の冒険者たちだけ。
(何が、起こったんだ?)
辺りを見回しても、自分たち以外の人の姿も、魔物の姿も見当たらない。
「自分たちが助かった」ということ以外、何も分からなかった。
だが、分からないながらもアデルは、もう一度〈オーガキング〉の異変に思いをはせる。
――そうして、まるで「左下から右上に鋭い刃物で抜き撃ちでも放たれたかのような傷」を思い出し、ブルリと身震いをしたのだった。
絶禍の太刀最強!!
いつもと様子の違うダンジョン、現れるイレギュラーなモンスター、そして主人公による救援!
ヨシ! 王道展開だな!





