第百七話 奇跡なき戦場
いよいよクライマックス!
まさかのシギル視点風味の三人称です!
「――は、ははは! やった! やってやった! やっぱり僕の方が強かったんだ!!」
アルマを殴り飛ばした拳を握りしめ、シギルは壊れたように笑う。
「そうだ! あの試合は何かの間違いだったんだ! 僕は強い! 僕は選ばれたんだから!!」
試合ではあれほど生意気だったアルマという下級生も、リングの外では弱かった。
背後から全力で殴りつけたら防御すらする暇もなく吹き飛ばされ、あっさりと奥の倉庫に突っ込んでいった。
「ひ、ひひっ! ひひひひっ!」
右手に残る、はっきりとした手応えを反芻する。
あの「アルマ」とかいう下級生を確かに殺したのだという確信と喜びが、シギルの心を沸き立たせる。
「神様! 見ていますか! 神様ぁ!」
自分が「神様」と呼ぶ男のことを、彼は詳しくは知らない。
この「神様」という呼び方だって、シギルが勝手に考えたものだ。
帝都で接触してきた男をシギルも最初は疑っていた。
けれど、試供品として渡された「薬」の効果はすさまじく、その効能に、その力で他人を蹂躙する喜びに、シギルはすぐに夢中になった。
一週間も経った頃には、もう薬なしで過ごすことなんて考えられなくなっていたし、何より薬が与えてくれる多幸感と万能感が、シギルの心からいつしか疑いの気持ちを取り去っていた。
直接接触があったのは一回だけで、あとは取引場所に手紙と薬が入っているだけの関係。
けれどシギルはいつしか薬を渡してくれた「彼」のことを信頼していた。
ただ、最初のうちはまだ、「彼」のことは怪しい薬の売人程度としか思っていなかった。
(神様が神様だと気付いたのは、確か……)
大会用に特別に「調整」された薬を飲んだ時、だっただろうか。
アレを飲んだ瞬間に世界が輝き始め、いつも僕を導いてくれて、さらにはこんな素晴らしい光景を見せてくれる「彼」は神様に違いないと気付いたのだ。
(あれ? でも、そういえば、大会の時の手紙だけは、いつもと何か違っていたような……)
一瞬だけ、そんな疑念とも言えない疑念が頭に浮かんだけれど、シギルはすぐにそれを忘れてしまった。
とにかく、シギルはやり遂げたのだ。
生まれ変わった、最強になったはずの自分の敗北という汚点を、相手を殺すことによって見事に消してみせた。
ニヤニヤとした笑いを隠せずに、シギルが会場に戻ろうとした、その時、
「――〈リアレイス〉」
聞こえるはずのない、聞こえてはならない声が耳に届いて、シギルは振り返る。
「……ひか、り!?」
振り向いたシギルの視界を突然、真っ白な光が覆った。
いや、それだけじゃない。
「なんだ!? なんだよ、これ!」
天から降り注ぐように、天使の羽根が光の中を舞っていた。
それはまるで、本当に神様……天界からの贈り物のようで、シギルは何も分からないままにしばしその光景に見惚れて……。
「――ありがとう、ティータ。教えてくれた魔法、早速役に立ったよ」
だからこそ、そこに立っていた相手に気付くのに、遅れた。
「……ウ、ウソ、だ」
そこに見えた人影に、シギルは思わず、あとずさった。
薄暗い倉庫の闇の中から現れたのは、彼が殺したはずの少年、アルマ・レオハルトだった。
※ ※ ※
「――ありえないありえないありえない!」
シギルだって武芸者の端くれ。
いや、薬によって感覚が鋭敏になっている分、ほかの者よりも勘は鋭い。
だから、攻撃の手応えで、相手にどれだけの効果があったかくらいは分かる。
「殺した、はずだ! 絶対に!!」
なのに、倉庫から現れたアルマは平然としていた。
まるで攻撃そのものがなかったかのように、平気な顔でシギルの方へと歩いている。
「……やっぱり、殺すつもりだったんだね」
それからアルマが口にした言葉は、シギルには理解不能なものだった。
「参ったな。本当は、表彰式でトロフィーがもらえるまで波風は立てたくなかったんだけど」
「あ? ……え?」
狂った思考で、薬に溶かされた脳で、それでも気付いた。
――目の前にいるこの少年は、自分のことなどなんの脅威にも感じていない、と。
気付いた途端に、感情が沸騰した。
「ふざ、けるなぁぁぁ!!」
叫ぶ。
怒りが、苛立ちが、収まらない。
「ルールに守られて、リングに守られた虫けらがっ!! ただ偶然で僕に攻撃を当てただけの雑魚がっ! 僕に! ぼくにぃぃ!!」
先走る感情に、言葉が上手く練られない。
それでもシギルのありあまる魔力は、ただ怒りを見せるだけで大気さえ振るわせてみせた。
あの「薬」を飲む前の自分なら、それだけで竦んでしまうような圧。
けれど……。
「……偶然、かぁ。なら、もう一度試してみる?」
それを受けてなお、目の前の少年は不遜な態度を崩さなかった。
シギルの怒りのボルテージは臨界にまで達する。
ただ、だからこそ、シギルにはその挑発を無視するという選択肢は取れなかった。
(そうだ! そうだそうだそうだ! 僕に攻撃が当たったのは単なる偶然! 同じ奇跡はもう二度と起こらない!)
さらに言うなら、少年が持っているのは、〈折れた刀〉だ。
大会のルールでは命中したらそれで勝負がついていたけれど、実際の戦闘ならそんな刀で繰り出された攻撃が、鋼鉄のような皮膚を手に入れた今の自分にかすり傷一つつけられるはずがない。
この勝負、受けたところでシギルにはなんの損もない。
「やってやる! やってやるよぉ! ただし今度は、手加減はなしだぁ!!」
そう口にすると、シギルはすさまじい速度で地面を蹴った。
それも一度だけではない。
二度、三度、いや、数えきれない回数地面をステップして、まるで不規則にアルマの周りを回る。
どんな熟練の戦士も、あの大会に出場したどんな猛者であっても影すら捉えられないほどの高速移動。
(これだ! 最初からこうしていればよかったんだ!)
しかも、その動きはどこまでもランダムかつデタラメ。
シギル本人にすら予測もつかない不規則な動きで、アルマを翻弄する。
なまじ動きに意図を込めるから、それを読まれたり、誘導される。
なら最初から自分にさえ分からない動きをすれば、絶対に自分の速度を捉えられるものはない!
もはや観念したのか、アルマはもうシギルを目で追うことすらあきらめ、静かに刀を構えていた。
そして、その小さな身体に凄まじい魔力を込め、
「――〈次元断ち〉」
赤い燐光を纏わせながら、折れた刀を振るった。
だがその時、シギルはすでにアルマの視界外。
どうあっても見ることの出来ない斜め後ろの位置を移動しているところだった。
(あぁぁぁ! 哀れ! 哀れだなぁぁぁぁあ!)
刀を振るその姿の、悲しいほどの遅さ、見当外れさ。
かつての自分を思わせる無力な少年の姿に、シギルは愉悦の笑みを抑えきれない。
確かに技は放たれた。
その斬撃はきっとどこかに出現するのだろうし、偶然にも死角である背後を狙って撃っていた、なんてこともあるかもしれない。
(けれど、予測出来たとしても、そこまで! 背後の「どこ」かは分かるはずがないっ!!)
果たして、そんなシギルの予測の通り。
どんな凄腕の剣士であっても、シギルの位置を予測することなど、出来るはずもなく、
「は、ははははは! 今度こそ、僕の勝――」
やはり予測は当たらなかったとシギルが勝ち誇り、無防備なアルマを今度こそ葬り去ろうとした瞬間、
――胸に、衝撃が走った。
足がもつれ、身体のバランスが崩れる。
「がっ、あっ?」
無様に地面を転がり、視界の上下が二転三転となる中で、
「……ぁ、あ?」
彼は、自分の胸がバッサリと、身体が両断されるほどに深く斬りつけられているのを見た。
「う、ぁ……ぐ」
呼吸が、上手く出来ない。
血がドクドクと流れ出し、身体から力が失われていく。
(ああ、そんな……。そんな……)
シギルだって武芸者の端くれ。
受けた攻撃の手応えで、その攻撃の威力くらい分かる。
――今この瞬間に死んでいないのが不思議なほどの、明確な致命傷。
体温と一緒に自分の命が失われていくのを感じながら、シギルの頭に浮かんでいたのは、たった一つの疑問。
「どうし、て? どうして、僕の動きが、読、め……」
そうしてそれが、意識が落ちる前の、彼の最後の言葉になったのだった。
※ ※ ※
「……はぁ」
残された少年、アルマはため息をつくと、ゆっくりとシギルの方に近付いていく。
それから、どこか申し訳なさそうに頭をかいて、
「……騙して、悪いんだけどさ」
彼だけにしか見えないメニュー画面に視線を向けた。
そこに映し出された、二度にわたってシギルを切り裂いた「その技」の説明を一瞥すると、
《絶禍の太刀:刀の十五番目の技にして最終奥義。極みに至った抜刀は時空をも超越し、その場にいる全ての敵に回避不能の超極大ダメージを与える》
「――相手の動きを先読みなんて、出来る訳ないじゃん」
そんな身も蓋もない台詞を、倒れたシギルに投げつけたのだった。
これがアルマ・レオハルト!!





