第九十七話 準決勝
「――じゃあアルマくん。必ず勝ってくるから、待っててね」
セイリアは自信に満ちた口調でそう言い残すと、いかにも自然体、といった様子でリングの上に向かっていく。
(……まあそれも当然か)
残念ながら、いまだに対戦相手の試合は一度も見れていないけれど、トリシャが集めた情報によると特筆するべきところがあまりない選手らしい。
少なくとも、フレデリック先輩に比べれば、一段も二段も劣る。
「二年Bクラス、シギル・ミニーク。位階70ちょうどの剣士で、学年が変わってから急に力を伸ばしてきた生徒の一人らしいね。一、二回戦はともに開幕〈スティンガー〉を撃って、一回目は〈スティンガー〉の撃ちあいで競り勝って勝利。二回目は相手が〈パリィ〉に失敗して勝利。さっきの三回戦は相手が棄権したことによる不戦勝」
実力がないとも言えないけれど、それ以上に幸運でここまでやってきた生徒、という印象だそうだ。
(特に心配するべき要素はない……はずなんだけど)
強いて言うなら、第三回戦を不戦勝で抜けてきたことくらいだろうか。
不戦敗した相手も実力は互角程度だったらしいので、何かしらの不正の疑いは一応考えられる……んだろうか。
でも、少なくともセイリアは誰かに毒を盛られたり脅されたり、という隙はなかった。
その点に関して言えば心配はないはず。
(流石に考えすぎだと思うけど……)
そんな一抹の不安を拭いされないまま、ついに準決勝が始まった。
※ ※ ※
リングの上に出てきたシギルという少年は、どことなく不気味だった。
フードを目深にかぶっていて表情は見られないけれど、その口元が小さく動いているのは、ぶつぶつと何かをつぶやいているようにも見える。
(まさか、中身が入れ替わってる、とかじゃないよね?)
妄想のような可能性だとは、自分でも分かっていた。
それでも万が一の可能性を考えて、念のためレンズで見てみるけれど、
LV 70 シギル・ミニーク
表示された名前にもレベルにも、事前情報との差はない。
(気のせい、だったかな?)
ただ、何か違和感がある。
僕がその理由を突き詰めようとした時、
「――僕は、ね。新天地に行くはずだったんだ」
不意に聞こえた少年の声に、その思考は寸断された。
「神託が、あったんだよ」
「神託?」
思いもかけない問答に眉をしかめるセイリアに少年はフードをまきあげ、熱っぽく告げる。
フードの下から覗いたのは、予想に反してごくごく普通の少年のもの。
ゲームで言えば「モブ」と言ってしまえるようなその顔はしかし、異様な熱にギラついていた。
「そうだよ! 僕は、選ばれたんだ!」
そう言って、くすくすくすと一人で笑いだす少年に、さしものセイリアも言葉を失った。
そこで一段落がついたと見て取ったのか、あるいは早くこの舌戦を打ち切った方がいいと判断されたのか。
「――で、では! 準決勝第一試合、始め!」
そんな掛け声と共に試合の開始が宣言される。
セイリアはすぐに距離を取りつつ剣を構え、しかしその対戦相手たるシギルは手にした剣を構えもしなかった。
試合が始まったことに気付いていないように、ただ熱に浮かされたように何かをつぶやき続けている。
「ああ、そう! そうなんだ! ほんとは、さぁ! 僕はこんな大会、出るつもりなかったんだよぉぉ!」
高まっていく少年の異様な熱に反して、会場を包んでいた呆れるほどの熱気は今はやんでいた。
戸惑いが支配する中で、少年の声だけがたった二人きりのステージに朗々と響く。
「でもぉ、突然神託が変わっちゃったんだよぉ! 『気にかかる一年生がいるから、出場して戦ってこい』って、さぁ! ねぇ、その一年生ってキミ? ねぇキミ?」
「何を、言ってるの?」
まるで理解不能な言動に、思わずあとじさるセイリア。
けれど、少年、シギルという名のその異様な剣士はその熱を少しも下げることもなく、
「いいや、だけどきっと、違うよねぇ! だってキミはあんなに……『遅い』んだから!」
「ッ! ――剣技の八〈血風陣〉!」
少年の叫びを耳にした瞬間に、耐え切れずにセイリアが動いた。
衝動的にも見えるその行動はしかし、理には適っていた。
(――入った!)
間合いは十分。
定石上、距離を取った状態での〈血風陣〉を受ける手段は、同じ剣技には存在しない。
――これで勝負はついた。
その場にいた誰もがそう思っただろう。
なのに……。
「――あぁぁ! やっぱり『遅い』よ!」
こともなげに、シギルはその一撃を「躱し」てみせた。
「……え?」
信じられない光景だった。
放たれた高速の斬撃を、シギルはただ無造作に横にズレることで避けたのだ。
「バカな! 位階70に出来るような動きじゃねえぞ!」
実況席のティリアさんが愕然とする中、剣聖が席を立って怒声をあげる。
……そうだ。
今の動きは絶対におかしい。
セイリアは速度特化の剣士で、レベル百越えのフレデリック先輩ですら速度という面では互角だった。
そのセイリアが放った〈血風陣〉を、たったレベル70の少年が武技による補助もなしに避けられるはずがない。
(何か、何かが……!)
僕は反射的にもう一度レンズを起動して、シギルの表示を見る。
そうして「それ」に気付いた時、僕は思わず「あっ」と声をあげていた。
LV 70 シギル・ミニーク
表示されたステータスに、不審なところなどどこにもない。
けれどその端に、小さな本の印がついていた。
(――こいつ!?)
ぞわっと背筋が震えた。
あの〈赤の剣聖〉とネリス教官にすらついていなかった、図鑑マーク。
それがつくような人間が、ただの「モブ」な訳がない!
「気を付けろ! そいつは普通じゃ……」
そんな警告は、遅すぎた。
いや、二人がリングの上に登った時点で、もうその結末は決まっていたのかもしれない。
「――やっぱりつまらないよ、キミ」
シギルの姿がかき消える。
いや、消えたと錯覚するほどの速度で移動した少年は、次の瞬間にはもうセイリアの前に立っていた。
「なっ! い、〈一閃〉!」
そこでとっさに最速の剣技を繰り出したセイリアは、やはり一流の剣士だったんだろう。
でも、それすらシギルという怪物に対しては足りなかった。
「……え」
先制かつ最速で放たれた剣技。
それがシギルの肌に触れる前に、後出しで放たれた武技でもなんでもない少年の剣はもう、しっかりとセイリアの胸に突き立てられていて、
「――はい、おわり」
驚愕の表情を残したまま、セイリアの姿はリングの上から消えてなくなったのだった。
急転直下!!





