不穏な動き 5
エレノアは悶々とした気持ちで一週間を過ごしていた。
エラがアルフィー・ホークショウへの気持ちを断ち切れずにいる事は知っていた。初めての恋人だったと言うし、エラには思い入れが強い記憶なのだろう。どんな事でも“初めて”というものは記憶に残りやすい。
だからエレノアはエラをそっとしておいた。そのうちに前を向くだろうと楽観視して、ありきたりな励ましをしていた。
でもエラはいつまでも彼を忘れなかった。
だからついきつい物言いをしてしまったのだが、まさかエラがおよそ二年前の事件を引き摺っているのは予想外だった。
肩の傷は治った。痕は残ったが、エレノアが早いうちから新しい治癒魔法を使ったので、傷痕も薄くなっている。
でもずっとエラは見えない傷を抱えていたのだ。まさかあの事件を引き寄せたのは自分ではないかと考えているとは思ってもみなかった。
それに気づかなかった事が悔しい。
それなのに、あいつは何をやってるんだろう。
いや、彼には彼の事情がある事くらい分かってる。それに別れた彼女をいつまでも気にかける必要もない。
でもきっとエラの傷を癒せるのは時間かアルフィー・ホークショウしかいないのだろう。
考え事をしていたエレノアは、ペシッと誰かに額を弾かれた。
「あいた!」
「さっきから何難しい顔してるの?」
「少佐…」
弾かれた額を撫でながら、目の前にいる美人の上官ーーージゼル・ロックウェル少佐を恨みがましい目で見遣る。
「何も叩かなくても…」
「油断大敵ってね。それで?どうかしたの?」
「……悩みを抱えて泣いてる友人を励ますにはどうしたらいいかなと」
つい素直にそう尋ねると、ロックウェル少佐は意外そうに目を瞬きつつも、難題ね、と言って遠くを見つめた。
「ありきたりなアドバイスだけど、あなたが心配している事を伝えたらどうかしら?」
「心配している事を、ですか?」
それは十分に伝わっている気がするが。
「そう。もし何に悩んでいるかを話してくれたら、それを否定しない事。結構、辛いものよ。悩んでいる事を話したのに、それを否定されたり、実行できもしない助言をされても。だから、そのお友達が話してくれたら否定せずに共感する事。ーーーそれだけで嬉しいものよ」
妙に実感の篭った言葉に、今度はエレノアが目を瞬く。
「それってグ」
「余計な詮索は無用」
ぴしゃりと言われて慌てて口を閉じる。
でもーーーロックウェル少佐の言う通りなら、この前のお泊まり会でエレノアは失敗した事になる。
『お願い。何も言わないで。……馬鹿な事してるのは分かってるから』
泣きそうな顔でそう言ったエラの言葉を退けて、辛辣な言葉を吐いてしまった。
悪い事した…と反省していると、今度は優しく額を叩かれた。
「もし失敗したのなら取り返してきなさい。ラピス軍、軍属魔術師ならば作戦を成功させなさいな」
さらりと直毛の黒髪を揺らして美し過ぎる上官は微笑む。
けれどその美しい微笑みは、とある軍人の登場で木っ端微塵になった。
「なぁに?何の話ー?」
「あんたに関係ない話よ!!」
ロックウェル少佐はエレノアの背後から現れたグレイ少佐に対して今にも噛み付かんような態度に豹変する。
あまりの豹変ぶりにエレノアが目を白黒させたが、グレイ少佐は慣れたものでさらりと受け流している。
「そう怒らないでー。俺はベイリー少尉に用事があるだけだから」
「私ですか…?」
突然名前を呼ばれてエレノアは戸惑うが、グレイ少佐はどこ吹く風で睨んでいるロックウェル少佐をものともせず、エレノアに書類を差し出す。
「悪いんだけど、王宮の破邪退魔の結界の貼り直しが急遽、明日になってね」
「明日!?」
「聞いてないわよ、グレイ少佐。本来なら来週のはずでは?そんな情報、うちにも上がってない」
素っ頓狂な声を出したエレノアに対して、怒り狂っていたはずのロックウェル少佐は冷静に聞き返していた。グレイ少佐にはいつも喧嘩腰なのに、何だかんだそれは表面上だけでロックウェル少佐は冷静に情報を見分けている。
そしてグレイ少佐も喧嘩腰から一転したロックウェル少佐の態度に驚く事なく冷静だった。
「さっきの定期の軍会議で決まったんだよ。ほら、サラガス軍の動きがきな臭いでしょー?王宮の結界を延期にするか早めるか散々議論してね、王宮を守る為に早める事に決定。それで来週には魔術師を動けるようにしておけってさ」
「…何であんたが軍会議に呼ばれて私が呼ばれないのよ……!」
「それは俺が今回の張り直しの現場指揮官だからじゃないかなー」
「またあんたに先越された……!!」
「ジジは休職期間があるから仕方ないねぇ」
睨み殺さんばかりの視線をグレイ少佐に向けるロックウェル少佐。
この二人のプライベートの時の様子がとても気になるエレノアである。
「とりあえず、ベイリー少尉は明日は一四◯◯に王宮ね」
「はっ!」
下された命令に敬礼で応えれば、グレイ少佐は剽悍な態度を崩さずに情報部を出て行く。
とりあえず手元の書類に目を落とすと、今口頭で言われた事が書面にされているだけだった。
でもこれ、チャンスかもしれない。
王宮に行けば、もしかしたらアルフィー・ホークショウに会えるかもしれない。
もし居たら言ってやる。今も泣いているエラの所へ行ってと。あんたが来るかもしれないからって、ストーカー被害に悩んでるくせに引っ越しもできないおバカで一途な子なんだって。
そう決めてエレノアは仕事に励んだ。
あいつに喧嘩売ってやる。
そんな意気込みを抱えて。
翌日、エレノアは王宮に来ていた。
初めて足を踏み入れる王宮の敷地内は美しく手入れがされていた。
そんな美しい敷地に見惚れたのは一瞬で、エレノアは一度周りを見渡した。
もしアルフィー・ホークショウがいたらとっ捕まえてエラの所へ行けと言うつもりだったのだが、彼は王宮に住んでいないから勿論いない。仮に王宮にいたとしても、エレノアが入れるのは魔法を使うのに必要な場所だけ。王族の住まう区画に入れるわけではない。
やっぱり無理か…と落ち込んでいると、グレイ少佐の指揮の元、王宮の破邪退魔の魔法の張り直しが始まり、エレノアは他の軍属魔術師に合わせて魔力を送った。
破邪退魔の魔法は恐ろしく魔力を消費する。それが王宮ほどの大きさなら尚更だ。
エレノアは見事に魔力を持っていかれてフラフラになり、魔法が終わった途端その場に座り込んだ。
他の魔術師も同様だが、少し離れた所にいるグレイ少佐だけは疲れた顔をしながらも立っていた。化け物……。
そんなグレイ少佐が疲れた顔をしながらもふと振り返り、誰かに向かって手を振った。
誰か知り合いでもいたのかな、と何気なくグレイ少佐の視線の先を追って、そこにいた人物を遠目とはいえ認めた途端、エレノアはふらふらの体に鞭打って立ち上がり、その人物に向かって走り出した。
正確には走っているつもりで、全く走っている速度ではなかったのだが、相手もエレノアに気がついたのか少しだけ目を見張った。
彼は動かない。
こんな好機を逃してなるものか。
だって私はあんたの事は知っていても、連絡先まで知らないのよ!
エレノアは目的の人物まで辿り着くと、ふらつくエレノアを支えようとした腕を払い除けてガッとその胸倉を掴んだ。
「アルフィー・ホークショウ!」
「………やっぱりベイリー先輩?」
「そうよ!…うあ……」
「ちょ……!?」
が、勢い込んだはいいが、相当量の魔力を消費した後なので眩暈で視界が回った。
それでも掴んだ胸倉は離さない。
ぐるぐる回る視界のせいで吐き気が込み上げるが、エレノアはギッとアルフィーを睨みつけた。
彼が支えてくれていたのには気づかなかった。
「あんた!今すぐエラの所に行きなさいよ!」
「…は?」
「あの子、未だに二年前の事件引き摺って泣いてんのよ!?」
ほんの少しだけアルフィーの顔色が変わった気がした。
誰かにベイリー少尉、と諌められて肩を掴まれたけれど、エレノアは肩を掴んだ手を振り払い、アルフィーに畳み掛ける。
「襲撃されたのは自分がどこかであんたと旅行するって言ったせいじゃないかって!あんたと旅行行けるのが嬉しくて、どこかで喋っちゃったかもしれないって…それで泣いてんのよ!?危険な目に合わせたのは自分のせいだって泣いてんの!死ぬような思いをしたのはあの子なのに!」
「…………」
「それに!あの子、今ストーカーに悩まされてるの!家ももうストーカーにバレてるのに、あんたが来るかもしれないからって引っ越しもしないの!あんたの事なんか待つなって言っても聞かなくて!馬鹿な事してるって分かってるって言って!それでも待つんだって…!」
あまり表情を変えないアルフィーに訳も分からずエレノアの怒りが湧き上がる。
「っ……!あんな!あんな一途で良い子を何で放っておけるのよ!?来るわけないって言いながら二年もあんたを待ってんのよ!?なんで!」
「ベイリー少尉」
「なんであんなに寂しそうなエラを放っておけるのよ…!」
今度こそ誰かに胸倉を掴む手を引き剥がされる。
はあ、はあ、と息を切らしながら、今度はエレノアは抵抗せずにアルフィーから手を離した。
途端に地面に崩れ落ちる。疲れと眩暈で立っていられなかった。
「…先輩」
目の前にしゃがんだアルフィーに、目だけを向けると彼は寂しそうに笑った。
ああ、エラと同じ目だわ。
色が同じなんじゃない。寂しそうな目が同じだ。
違う場所で、二人は全く同じ目をしている。
「……俺はエラの所に行けないんですよ」
「………………何で……」
「引っ越し、するよう伝えて下さい。俺はもう二度と行かないからって」
「………………また、あの子は…………」
「…すみません」
それだけ言ってアルフィーはエレノアの前から立ち上がると、グレイ少佐に何か言って王宮の一角へ向かってしまう。どうやらエレノアを止めたのはグレイ少佐だったようだ。
分からない。
「……何なのよ……分かんなわよ…」
去っていく友達の元カレを睨みつける。
どうしてエラと同じ瞳で同じ感情を乗せてるの。
「…………あんたの事なんて……私は何も知らないのよ……」
カレッジの頃にヨルクドンのバイトで少しだけ関わっただけだ。エラを通じて知っている事しかエレノアは知らない。
「……エラが泣いてんのは……あんたのせいだって事しか分からないのよ……!」
きっと今日の伝言を伝えたら、またエラは泣くだろう。
私は友達を泣き止ませるどころか、泣かせる事しかしてない。
「……畜生」
友達の役に立てない悔しさに、エレノアは心の中で慟哭した。




