独りの時間 side AIfie 2
ある夏の日、アルフィーは職場の同僚や先輩達に誘われて、付き合いで飲みに行った。先輩の一人がちょっとした魔法研究を完成させたらしい。
本音を言えば何かあった時に、アルフィーは何もしていなくても母や祖父母が責められる可能性があるのであまり行きたくはなかったが、一度でいいから飲みに行こうと言う先輩達を毎回断り続けるわけにもいかないし、今回はバッカスも行くらしいので行ってみる事にした。
アルフィー達が来たパブは広く、円卓の席だけでなく端の方にはソファ席まである。奥には何故かビリヤード台が置いてあり、どこかのグループが勝負をしているし、近くの席では同じく仕事帰りらしい女性達がシードルを豪快に傾けている。
「乾杯ーー!」
「乾杯」
景気良くビールの入ったジョッキを鳴らす同僚達に合わせてアルフィーもジョッキを持ち上げて、隣りに座るバッカスと合わせた。一番テンション高いのは研究を完成させた先輩ではなく、それをずっとサポートしていたチーム員達である。
アルフィー含めて総勢十名の飲み会は、研究の苦労話を肴に盛り上がり、次々とビールをおかわりしていった。アルフィーにとって興味深い話もあり、この飲み会に参加してよかったな、と思った。
一時間もすれば酔いが回ってきたらしく赤ら顔で上機嫌に酒を煽る者が大半を占めて、コミュニケーション能力の高い先輩なぞ他所のテーブルに混ざり込んでしまっている。
アルフィーは最初の一杯以降は水を挟みながら酒に呑まれないようにしている。もっと飲め!という同僚達に正体を無くすほど酔った事もなければ、吐くまで酔った事もないし、そこまで飲もうと思った事もないと言えば同僚達には驚かれ、女性陣の既婚者には将来的にお嫁さんに迷惑をかけない良い旦那さんになるわ!と褒められた。
それに対して数人の既婚男性が居心地悪そうに視線を逸らし、女性陣の追求を受けている。
嫁に迷惑をかけない旦那ね。
「………無理だろうな」
みんなの興味が自分から他に移ったので小さく呟く。
酒で嫁に迷惑をかけないという話が無理なのではない。
アルフィーには結婚するつもりがなかった。
だってそうだろう?
エラの安全の為に彼女を手放したのに、他の女なら良いなんてそんな不誠実な話があるか。そんなのエラにも、他の女にも失礼だ。
そっと左耳のピアスに触れる。
もう左耳にあるのが当たり前になってしまったピアスは、きっと魔石の効果が切れてしまって普通の黒水晶になっても左耳に着け続けるだろう。
今でもずっと忘れられない彼女との思い出として。
アルフィーがピアスに触れたせいか、先輩の一人がアルフィーに声をかけた。
「なあホーク、なんでお前、いつもピアスが片方なんだ?」
それにアルフィーは澱みなく答える。
「片方失くしたんですよ。気に入ってたから、そのまま片方だけ付けてます」
「だからって片方……変わってるなぁ、お前。右側も開いてるだろ?新しく買って両側に付けるとかすればいいのに」
「そう思って探しても良い物が見つからなくて。だからこのままでいいかなぁと」
嘘だ。
元々このピアスは片方しかない。エラが作った破邪退魔の魔石。これ以外を着ける気はない。
そもそもピアスホールを開けたのだって、反抗期の頃に自分の中のどうしようもない怒りをどうにか発散させようとして、吐け口を求めた結果だ。自傷行為に近い気持ちで開けただけなので、元々オシャレを楽しむ為に開けたわけではない。
だからエラがこのピアスをくれた時、少し意外だった。ピアスなんて着けてなかったのに、開けていると気づいている事が。
夜闇のような美しい濡羽色の髪を思い出した。アルフィーにとっては世界で一番美しい黒色。
「おーい、このお姉さん達も混ぜろよー!」
他のテーブルに行っていた先輩が数人の女性を連れて戻ってきて、それに独身の男性陣が歓声を上げる。魔術研究所に就職するくらいだから、あそこの研究員はみんな研究馬鹿だが、だからといって研究が恋人というわけではない。
まあ自分には関係ない。
アルフィーは水の入ったコップを傾けた。
「なかなか綺麗なお姉さん達じゃないか?」
「バッカス」
そんなアルフィーの隣りにバッカスが戻ってきたが、視線は金髪の女性に注がれている。
バッカスの視線に気がついたのか飲み会に混ざった女性がこちらを見て微笑み、バッカスが軽く手を振る。
「好みなら声かけてこればいいだろ」
「それ、そっくりそのままお前に返すぞ」
「…………………」
ぐうの音も出ない。
聡いバッカスは察しているのだ。アルフィーがエラと別れた原因を。
そして今でもアルフィーがエラの事を想っている事も。
「あんまり話題に出すとお前が怒りそうだからやめるけど……俺はあの頃のお前の方が人間味があって好きだったよ。……今のお前はロボットみたいだ」
「……そうかよ」
「別にいいけどな。仕事は真面目にするし、頭はいいし、魔法の腕だって特上で、一人で閉じこもってるわけでもないし……でも、彼女と喧嘩したって悩んでるお前の方が良かったよ。こんなスカした野郎でも悩むのかってちょっと優越感あったのに」
「おい、最後は聞き捨てならないぞ」
最後の揶揄につい眉を顰めると、バッカスが笑ってアルフィーの肩を叩いた。
「気にすんなよ。……とりあえず、先輩達がふざけてお前のピアス取ろうとしてるから気をつけろ」
ひっそりと教えられた悪戯にアルフィーは口端で笑った。
「………そんな事されたらブチ切れる自信がある」
「だから今教えたろ。何とかしろよ」
「ああ」
そっと、まるで壊れ物を扱うかのように優しくピアスに触れる。
これに自分以外の手が触れるなんて不愉快以外の何者でもない。
先輩たちの興味を逸らすにはどうするのが効果的か。
一番手っ取り早いのは興味を他のものに移す事だ。
アルフィーは数瞬考え、そして手の平を天井に向けて軽く掲げた。
「……《その叡智を示せ》」
「え?何か言………おわ!」
バッカスが驚くのも無理はない。
アルフィーの手の平の上に魔法でできた水が出現して、ある架空の動物の姿を形取っていくからだ。
バッカスが驚いて身を引くのを少しだけ笑いながら、アルフィーの手の上には水でできた大きな猫ほどの大きさのドラゴンが一瞬で出来上がった。周りからも魔法に気がついた人から歓声があがる。
「え、その魔法まさか……」
「そ、ドラゴンの魔法だよ」
「お前、それ古代魔法だろ?使えんの!?しかも詠唱短縮で!?」
「本当は詠唱破棄したいんだけどな。父さんに教えてもらった」
「マジか。…にしても全身水のドラゴンか…」
「ああ」
そんな気はしてた。
自分では見えないが、デイヴ曰く、モルガンといい、水の馬といい、アルフィーの周りにいるらしい妖精達は水でできた妖精ばかりだから。
アルフィーが作り出したドラゴンは四つの翼を持った蛇のような見た目のドラゴンだ。翼というよりヒレに近いのかもしれないが、なんせ全部水でできているので判断できない。
ドラゴンは意志を持っているかのようにアルフィーの手の平から飛び上がり、くるくると頭上を旋回し出した。
ドラゴンの魔法とは、己の魔力を細かい魔力操作でドラゴンに具象化するものだ。呪文や魔法陣を理解すれば発動できる魔法とは違い、己の魔力を操作する必要があるので魔石にはできない魔法だ。なので魔術師の勉強をした人にしか使えない魔法である。具象化したドラゴンは術者の魔力が続く限り存在し、攻撃にも防御にも操作する事ができる。
この魔法の面白い所は、具象化するドラゴンは個人によって見た目が全く違う事だ。
この魔法を目の前で使ってくれたのはマテウスと父だけだが、マテウスのドラゴンは、翼や立て髪が白炎を引き、乳白色で四足歩行の体に長い首、神々しい顔つきの美しく大きなドラゴンだったし、父のドラゴンは薄い灰色と水色の体に、腕と一体化した翼を持ったドラゴンで手の平サイズだ。
どちらが優劣という事はないが、父とマテウスでドラゴンの大きさが違い過ぎて、父は自分のドラゴンは小回りが効くがもう少し大きい方が良かったといい、マテウスは自分のドラゴンは出す場所を考える必要があるからもう少し小さい方がいい、と言っていた。
そのせいでアルフィーが初めて魔法が成功した時の二人の感想は大きさが理想的だ、だった。
ちなみに水という流動体でできたドラゴンなので防御には向かないかな、と思ったが、マテウス相手に腕試しをしたところ、防御の際には一瞬で氷を作り出してくれた。
バッカスは水のドラゴンを眺めた後、アルフィーに向き直った。
「これを覚えた理由は何となく察せるけど、何で出したんだ?」
「ドラゴン出しておけば、興味が移るだろ」
あっさり答えたアルフィーの目論見通り、先輩達の興味はピアスからドラゴンに移った。
「すげーーー!おい、ホーク!これ、ドラゴンの魔法だよな?」
「ホークのドラゴンは水でできてんのかぁ」
「これ使ってる人を初めて見ました!」
「あら、アタシ使えるわよ」
「先輩のドラゴンってどんなのですか?」
みんなの興味がピアスに戻らないように、使えるといった先輩にアルフィーが話を振ると、何故か先輩はしまった、と言わんばかりに顔を引き攣らせた。
「絶対に出さないわ。アタシのイメージとかけ離れたドラゴンなのよ」
「そう言われるとますます見たい」
「見せろよー」
「絶対に嫌!あんた達、絶対馬鹿にするから!」
「しないって。どんなドラゴン?ピンクのドラゴンか?それとも可愛いドラゴンなのか?」
悪手を打った先輩に同僚達が群がるのを眺めながら、アルフィーは自分のドラゴンを呼び戻して肩に乗せる。魔法でできているので肩が濡れる事はない。
そんなアルフィーにバッカスが呆れた溜め息をついた。
「…お前、悪い奴だなぁ」
「人の心理を理解せずに安易にできるって発言する先輩が悪い」
アルフィーからすれば魔石のピアスから興味が失せればそれでいいので、先輩には悪いが助け舟は出さない。
バッカスは少しの間、気の毒そうに騒ぐ先輩達を見た後、アルフィーの肩に乗るドラゴンに目を向けた。
「俺もできるかな。今度教えてくれ」
「いいよ」
「本当に綺麗なドラゴンね。わたしも作れるかしら」
突然会話に混ざってきた女性の声に、バッカスと共にそちらを向けばバッカスが手を振っていた金髪の女性が立っていた。少しだけバッカスが色めきたった。
どうやら本当に気があるらしいので、アルフィーは適当に影を薄くしようと決める。
「初めまして。フラヴィア・ロスよ」
「初めまして。バッカス・ベインです」
「アルフィー・ホークショウだ」
短く自己紹介をして握手をした後、アルフィーは水を飲んで、さも興味ありませんという態度を取る。実際、エラ以外の女に興味がない。
しかし、相手は違うらしい。
「ねえ、あなたのドラゴン、見せてくれない?」
アルフィー達の前に座ったフラヴィアは上目遣いでそう言った。
……何だか媚びられている気がする。
いや、この女の背が自分より低いからそう思うだけか?
「どうぞ」
とりあえずドラゴンを操作してテーブルの上で滞空させる。
フラヴィアは少しだけドラゴンを見ていたが、すぐにアルフィーに向かって極上の微笑みを向けた。
「すごいわ。こういう魔法が使えるのって強い魔術師でしょう?あっちで聞いたんだけど、ゴブランカレッジの卒業生らしいじゃない。本当にびっくりだわ。頭がいいのね」
「……別に。試験の結果ならバッカスの方がいいですよ」
アルフィーは彼女に気のあるバッカスの為、バッカスの良い所を伝えた。事実、試験結果はいつもバッカスの方が上だったし、頭がいいなと感じる事も多いので嘘は言ってない。
「あらそうなの?でもやっぱり魔法は使えればこそでしょう?」
「バッカスも十分使えます。なあ?」
「まあ一応」
「でもこのドラゴンはすごいわ。バッカスもこの魔法は使えるの?」
「いえ、この魔法はまだですね」
「じゃあアルフィーの方が多く魔法が使えるじゃない。やっぱりすごいのね」
「……そんな事はないです」
真面目に返してしまう。別に何もすごくないと思う。頭のいいバッカスならすぐ覚えるだろうし、習得だってあっという間だろう。
ってか、なんで俺にばかり話しかけるんだ。
友人が気にかける女性が自分にばかり話しかける居心地の悪さに、アルフィーはドラゴンを消して席を立った。
「ビール貰ってくるよ」
いつもなら女性に声をかけておかわりがいるか尋ねるが、面倒事が嫌で自分勝手な様子を見せた。さすがに母に叩き込まれたレディファーストも使う相手は限定する。
ビールを貰ってからちらりとバッカスを見れば、フラヴィアと話していたので邪魔をしないようデールのいるテーブルにお邪魔させてもらった。デールは他の先輩達と研究している魔法について話していたので、その話に混ざるが、五分もするとまたフラヴィアが隣りにやってきた。
「ビール貰ったら戻ってくるかと思ったのに酷いじゃない」
「…別にバッカスだけと飲んでるわけじゃないんで」
拗ねたような表情で、でも男心を擽ぐるように上目遣いで、ぐっとアルフィーに体を寄せてくて小声で話してくる。しかも両手でグラスを持っているので、胸元が開いた服から下品にならない程度に強調された谷間が覗いている。
明らかに女を武器にしていた。
さすがにここまでくると、いくら鈍感なアルフィーでも自分目当てに話に来ているなと分かったが、アルフィーからすれば迷惑なだけだった。
どうやって切り抜けようと考えるが、ここで同じテーブルにいたフラヴィアの連れの女性が冷やかしの歓声を上げた。
「なぁに、フラヴィア。そのヒト、狙ってんの?」
そうすると他の同僚達もアルフィーの方を見て、興味津々の顔をした。
「え、マジ?ホーク狙ってんの?」
「こいつはいいぞー!なんたってゴブランカレッジ卒でデールの相手ができる真面目っぷりだ!将来出世間違いなし!」
「しかもホークってオレらと同じく彼女いないしなー」
「かーーっ!こんな美女に言い寄られるなんて羨ましい!」
「付き合っちまえよ。こんなブロンドの美女、そういないぞー」
好き勝手言う同僚達に呆れて、アルフィーは軽く言い返した。隣りで照れているフラヴィアは無視する。
「ブロンドなんてそう珍しくないでしょう。俺の母親も金髪だし、従兄弟も三人が金髪ですよ。今時、染めてる人も多いし」
「クールぶるなよ、ホーク」
「こんな美女だぞ?お試しでデートでも行ってこい」
「そーだそーだ。あわよくばそのままベッドへゴーだ!」
「フォー!」
「こんな美女の誘いを断るなんてゲイと思われても文句言えないぞー」
「ははははは!」
ゲラゲラ笑う同僚達に、何故か関係ない周りのテーブルからもよく分からないエールが送られるが、アルフィーは一切合切無視した。
鬱陶しいな。
金髪なんて好みじゃない。欲しいのは夜闇のような濡羽色の髪だ。
あざとい仕草もいらない。甘えるのが下手で、控えめに頼ってくれた方がいい。そうしたら甘やかすから。
ーーー信頼しきった顔でへにゃりと笑ってくれたあの笑顔以外いらない。
隣りにいて欲しいと心底願ったのは、今も昔もこれから先も……たった一人だ。
「で?で!?どうすんだ、ホーク!」
「フラヴィアちゃん、だっけ?デートに行ったらこいつにピアス買ってやってくれよ。いつも片方だけなんだ」
「そうなの?ちょっと見せてー」
無視していた視界の端で、誰かの手が動いた。
その動きに気づいた瞬間、溜まっていた鬱憤が怒りとなって表出した。
「触るな!」
フラヴィアが無遠慮に伸ばした手を避けながらアルフィーは怒鳴った。
普段大人しいアルフィーが怒鳴ったせいで、さすがに悪ふざけをしていた先輩達も驚いて動きを止める。
やってしまったと思ったが、これ以上大切なピアスを笑いの出汁にされるのは御免だと思い直し、怒りを鎮めるように冷たい魔石に触れながらはっきりと告げた。
「本当に大切なものなんですよ。触らないで下さい」
「あ、ああ…」
「お、怒ることはないだろ…悪かったって」
テーブルの雰囲気が悪くなってしまい、アルフィーは溜め息を吐くと財布を取り出して幾らか掴むと、デールに押しつけた。
「おい、ホーク?」
「雰囲気悪くしてすみません。帰ります」
引き留めようとする声を無視してアルフィーは店を出て行った。
飲み会なんて来るんじゃなかった。




