独りの時間 side Alfie 1
首都ストーナプトンの家から、ゴブランフィールドとは反対に車を走らせる事三十分で着く場所。
広い敷地内には大小合わせて七つの鉄筋コンクリート製の建物が建っており、建物はそれぞれ年代を感じる緑が蔦った物から近代的な物まで様々だ。
その中でも二番目に新しい建物の中にアルフィーはいた。
白衣を羽織り、目の前の魔法の結果をノートに書き付けてアルフィーは隣りの部屋へ向かう。
「七十五番駄目でしたよ」
そう言って声を掛けた相手は自分より七つ歳上のデール・アレンだ。
デールはそれを聞いた瞬間に、顔を強張らせてがっくりと床に膝を着いた。
「何故……!何が駄目なんだ!?何故うまくいかない!?」
「うーん……水魔法の掛け合いが悪いのは間違いないんでしょうけど………」
「これが上手くいけばモザイク病で苦しむ農家を救えるのに……!」
唸るデールを無視してアルフィーは魔法研究の過程を記した書類をめくっていく。
アルフィーは大学卒業後、院には行かなかった。
実を言うと院試験には受かっていた。でも行かなかった。
理由は単純で、これ以上ゴブランフィールドにいては何の為にエラと別れたのか分からなくなるから。
ーーー恥も外聞も何もかも捨てて、会いに行こうとしてしまうから。
だから物理的に離れる為に就職した。
魔術研究所に何とか就職したアルフィーは、希望だった風魔法の研究チームや水魔法の研究チームではなく、樹木魔法の研究チームに配属され、そこで新米研究員として働いている。
といってもアルフィーは院に行っていないため、ここの育成制度で修士や博士に相当する資格をこれから手に入れなければならない。
何の因果かバッカスも同じ所に就職し、あっちも同じ樹木魔法の別チームに配属された。同じ建物内にいるのでたまに会う。
エラと別れて一年。左耳に変わらずある黒水晶の魔石と共に、アルフィーの心には今でもエラがいる。
忘れないようにしている。自分の身勝手で泣かせた女の子がいると。
アルフィーは聞かれなければエラと別れたと話す事はなかったが、逆を言えば聞かれれば素直に別れたと伝えた。アルヴィンもダイアナも怒るし、ハンナは愕然とした顔で立ち尽くし、母は泣き出すし、デイヴには殴られるし、マテウスにも修練と称して魔法でぶっ飛ばされるし、散々だった。
でもそれでいいと思った。
誰が狙ってくるか分からないが、これだけ周りに好印象のエラをアルフィーが見向きもしないと示せば、エラが狙われる事は無くなるはずだ。
実際、二ヶ月前に一度変な輩に狙われたが、奴らは茶髪の女が死んでもいいのかと言った。
故にアルフィーは全力で反撃に出た。
茶髪の女など存在しない。エラが狙われないように、パソコンで作った茶髪の女の子の写真を適当に分かりやすく飾っただけで、アルフィーを狙う上で有効打になる茶髪の女など存在しないのだ。ダイアナと伯母が美しい茶髪だが、護衛官に守られるあの二人を狙えるならアルフィーを狙う意味など無い。
全力で反抗したアルフィーのおかげで、変な輩は捕まり、世界光教団の過激派だという事が分かった。
エラの事が悟られなくてよかったと思った。これだけ様々な小細工をして意味が無ければ、そもそも別れた意味も無くなる。
でも左耳のピアスだけ外さない。さすがにこれがエラから贈られた物だと気付かれはしないだろうと思うからだ。
「うーん何が駄目なんだろうなぁ……あ、ホーク、お昼行ってきていいぞ」
ホークというのはデールがアルフィーの苗字から取った愛称だ。初めて出会った時の自己紹介で、確かに鷹みたいなやつだな、と何故か言われ、それ以来そのままホークと呼ばれている。
今では定着したので、他の先輩達にもホークと呼ばれている。
「じゃあ行ってきます」
別の建物にある食堂へ向かえば、たまたまバッカスと合流でき、一緒に廊下を歩いた。
研究員として働きながら、たまにバッカスと食事を一緒に摂ったり遊んだりする。
アルフィーの日常はエラがいない事実だけを除けば、変わらず過ぎていった。
アルヴィンが入院したと聞いたので、アルフィーはアルヴィンが入院している病院にやって来た。
この国の王子の入院という事で、アルヴィンの病室の出入り口には軍が張り付き、護衛をしている。アルフィーは見知ったアルヴィンの護衛官に声をかけ、部屋に入れてもらった。
一般的な病院の個室よりずっと広い部屋にアルヴィンはいて、身の回りの世話をする王宮の侍従とメイドも一人ずつ付き添っている。どちらともアルフィーの顔を見ると丁寧に頭を下げてから個室を出て行き、アルフィーはベッドに近づいた。
ベッドの上ではアルヴィンが歴史関係の雑誌を読んでいて、アルフィーが近づくと顔を上げて軽く手を振った。
「お、来てくれたのか。また入院したよ」
「平気か?」
「体は別に。定期的な血液検査の値が悪いからって入院になった。……まあ確かに最近調子は良くなかったけど」
「調子良くないなら早めに言えよ…」
「疲れてるだけかと思ったんだよ。外遊してたし、公務も立て続けにあったしさ」
けらけらと笑うアルヴィンの腕には点滴が刺さっていて、その先には透明な液体の入ったバックがある。
「お前は相変わらずか?」
アルヴィンに聞かれてアルフィーは肩を竦めてた。
「変わらないよ。今は樹木の魔法を研究してて、モザイク病を防ぐ魔法の開発をしてる」
「モザイク病?」
「植物のウィルス性の病気。よくある病気なんだけど治療法がなくて、これになると植物が最悪枯れるし、伝染もする」
しばらくお互いの近況を話していると、病室のドアがノックされた。
誰だ?と思うが、この病室に入れるのは護衛官達や侍従達が許可した者だけだ。つまり親族か病院関係者か、あるいは事前連絡したアルヴィンの個人的な友人達など。
そして入ってきたのはアルフィーもよく知る人だった。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ダイアナ」
ひょっこり顔を出したのは儚げな印象のダイアナだった。
ダイアナはアルフィーを見ると少し顔を顰めて、それに気づいたアルフィーは苦笑を禁じ得なかった。
ダイアナはエラを振ったアルフィーに怒っているのだ。
「久しぶり、ダイアナ」
「久しぶりね、アルフィー」
でも会話はしてくれる。
今日は気まずそうに視線を彷徨かせて、やがてきゅ、と唇を一文字に結んだ。
「……昨日、荷物が届いたの。日持ちしないからお兄ちゃんにもと思って」
「荷物?誰から?」
「………エラよ」
固い声で呟かれた名前にアルフィーは全く反応を示さなかった。
アルヴィンは一瞬気遣うような視線をアルフィーに向けたが、すぐに妹に視線を戻した。
「エラから?何が送られたんだ?」
「コーディアルシロップよ。沢山作ったからどうぞって手紙に書いてあったわ」
「へえ…この時期ならエルダーフラワー?」
「そうよ。家で少し飲んだけど、とても美味しかったわ。だからお兄ちゃんにもと思って持ってきたんだけど……」
そこでダイアナは戸惑ったように言葉を切った。
それに気が付いたアルフィーは腰掛けていた椅子から立ち上がり、徐に荷物を手に取った。
「じゃあ帰るわ。またな、アルヴィン。ダイアナも」
「え……帰るのか?」
「いい時間だしな」
戸惑った様子のアルヴィンにいつもの調子で答えると、困ったように口を閉ざし、ダイアナも怒っているような、でも泣き出しそうな複雑な顔で固まった。
ーーー本音を言っていいなら、エラの作ったコーディアルシロップは飲みたい。
別にコーディアルシロップなんて特別好きなわけではなかったが、エラの作ったエルダーフラワーのシロップは柑橘類が好きな彼女らしくレモンが効いていて美味しいから。
でも駄目だ。少しでもエラに興味を示せば、彼女に何があるか分からないし、アルフィーはエラから貰ったピアスを外せないでいるから、これ以上彼女の危険を増やす事はできない。どこに目や耳があるか分からない。
もう二度と、エラを危険な目に合わせたくない。
それはあの時から変わらない。
何か言いたそうな顔をするダイアナの横をすり抜けて、アルフィーは病室を後にした。




