喧嘩 2
バッカス・ベインは伯爵家の末裔である。
だからといって伯爵家の過去の威光があるわけでもなく、もちろん国政に影響力があるわけでもない。ただの民間人である。
でも何故かこの国の王子の従兄弟であるアルフィーとは友人になった。不思議なものである。
初めて見た時のアルフィーはバッカスからすると、人当たりは良いが馬鹿な事をしない堅物だった。
例えば誰かがパーティーに誘っても、女子を誘って呑みに行こうと誘っても、基本的にアルフィーは勉強を理由に頷かなかった。
その時は王族の末端だとは知らなかったので、面白味のない奴だなと思ってはいたものの、難しい神秘魔法を使いこなしている様子から興味を持って話しかけるようになった。
そのうちに仲良くなり、母親がプリンセス・エイブリーだと教えてもらった。
あの時の驚きは一生忘れないと思う。だって飲んでいたジュースで盛大に咽せて、しかも一部が鼻の方に行ったらしく鼻は痛いわ、呼吸もできんわで大変だったからだ。
でも知った事で理解もした。
調べたらアルフィーは王女の息子として生まれた時にお披露目されているし、公務はしてないようだが、アルヴィン王子やダイアナ王女について調べると従兄弟として名前が紹介されており、仲が良いと書かれている。
同時に中高生の時はアルヴィン王子と二人で行動しており、級友達を寄せ付けなかったというようなネット記事も見つけた。
これか、と思った。彼は自分の行動で親族に迷惑が掛かるのを厭うて他の大学生達のような馬鹿をやらないのだ。
あとは護衛の問題もある。羽目を外して自分を危険に晒し、そのせいで家族が巻き込まれるのが嫌なのだろう。
そうでなくても変な輩は多い。バッカスは一度アルフィーが妙な新聞記者に付き纏われているのを見た事がある。まあバッカスが助ける間もなく、神秘魔法を上手く使って逃げおおせていたが。
そんな苦労の多い友人はーーー何故か今、図書館でとても落ち込んでいる。午後のセミナーでは何とか切り替えて受けていたが、終わった今は溜め息が多い。
「……何だよ、どうしたんだ?」
秋に起きた誘拐事件の精神的なものに苛まれているのだろうか。
PTSDは死に直面するようなストレスを受けると発病する事がある。もちろん、最初の頃は否が応でも思い出してしまうものだが、いつまでも過去の映像のフラッシュバックしたり、神経が常に張り詰めていて摩耗する事が続いているのなら発病しているのかもしれない。数年経ってから気付くという事もあるようだし。
しかし、バッカスの心配とは裏腹にアルフィーの元気がない理由は全くもってくだらない事だった。
「……エラと喧嘩した」
「はあ?」
つまり彼女と喧嘩したと。
「何で?」
「……………どう考えても俺が悪い…」
「珍しい」
普段から理性的なアルフィーにしては珍しいが、割と彼女が絡むとこの友人も普通の男のようで、ちょくちょく普段のお前ならこんな事せんだろ、と突っ込みたくなるような事をする。ヨルクドンのバイトに彼女連れて来て車中泊させるとかいい例だ。今回もその延長だろう。
どんよりと落ち込む友人にバッカスは呆れた。自分が悪いと思ってるならさっさと電話でもして謝ればいいのに。
「何があったわけ?」
「……ちょっと言いたくない。黙って」
「はいはい」
しばらくバッカスは自分の課題に必要な本を読んでいた。アルフィーも課題をこなしているのは変わらないが、何度もため息をついている。
一時間もした頃、ぽつりとアルフィーが話しかけてきた。
「……バッカスが俺の立場なら、彼女を守れる自信ってあるか?」
「……え、何?」
あまりにも唐突に話しかけてきたので、反応が遅れた。
アルフィーは課題から目を上げる事もせず、もう一度バッカスに尋ねた。
「お前が俺の立場なら恋人を守れる自信があるか聞いた」
どうやらアルフィーが半日悩んでいた事の核心らしいと理解して、バッカスは核心に迫ろうと質問で返した。
「どういう意味?」
アルフィーが眉を中央に寄せた。
辛抱強く待っていると、友人は諦めたのか課題から目を逸らし、採光用の窓から見える空をぼんやり見つめた。
「……この前誘拐された時に脅された。言う事を聞かなければエラを殺すって」
「あー……」
バッカスは本を机の上に置いて、友人の苦悩を察した。
アルフィーの誘拐事件についてバッカスは詳細を知らない。アルフィーが聞いてくれと話したら聞いただろうが、野次馬根性で根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、無事を喜ぶだけに止めた。
神秘魔法と防御魔法を使いこなす友人が捕まるなんて、テロリスト達はなんて恐ろしいんだと思っていたが、なるほど、彼女を人質にされたのか。それじゃあどんな屈強な男でも太刀打ちできなくなるだろう。
「後からの調べで、エラは脅し文句に使われただけなのは分かったんだ。あの時、彼女に差し迫った身の危険は無かった。………でも、俺は生きた心地がしなかった」
「……………」
「捕まってた時だって、エラの事ばっかり考えてた。無事かどうか分からなかったし、テロリストに聞くなんて馬鹿もできなかった。無事な姿を確認した時、心底安心した。でも思った。俺じゃ彼女を守れない」
ぐ、とアルフィーが口を歪ませた。
もうアルフィーは窓の外ではなく、机の上に視線を落としていた。
「……頭では分かってるんだ。もう、エラと……別れた方がいいって……それが彼女の安全の為なんだって……」
「アルフィー……」
「……だから聞いた。お前が俺ならエラを守れるか?って」
そんな事態、稀中の稀だろう。
そう言いたいのに言葉が出てこない。
理性的な友人はその強靭な理性のせいで、今苦しんでいる。
感情的になれたら彼はどれほど楽だろうか。
「……俺なら守れない。でも守るための努力はする」
結局、当たり障りの無い答えしか返せない。
「そうだよな」
どこか自嘲めいた苦笑を滲ませたアルフィーもおそらく良い答えは期待はしていなかったのだろう。
「……とりあえず、早く彼女と仲直りしろよ。このまま自然消滅なんてするなよ」
「……分かってる」
力なくアルフィーが返した。
それから二時間近く、二人は図書館で勉強に励んだ。
大学でバッカスと別れた後、アルフィーは家に向かうかフランマに向かうか迷い、結局フランマに足を向けた。
今日もエラは夜勤だ。きっとあの喧嘩の後、帰って寝て、また出勤しているはずだ。ちゃんと寝れただろうか。
すでに妖精の月は空に輝いていて、今日は月光干し日和だ。
そんな妖精の月を見上げて、アルフィーは白い息を吐き出した。
昼間、つい怒ってしまったーーーあまりにもエラが無防備に外で寝ていたから。
エラは自分が狙われている自覚がない。アルフィーを狙う輩に取っては最大の弱みなのに、その自覚がない。
でも仕方のない事だというのはアルフィーも分かっている。
何故ならアルフィーはオータムフェスティバルでエラが狙われた事をまだ告げる事ができていない。話すタイミングも逃していたし、何より怖がると思ったからだ。
だから今まで普通に生きてきた彼女が、何の忠告も無しに突然周りに気を配れなんて無理な話だった。
そんな事は分かっているが、どうしても怒りを我慢できなかった。
あんなガラス張りの、外からでもよく見える場所で、不用心にもすうすうと眠りこけてアルフィーが近づいても全く起きなくて。
もしここで誰かに狙われたらどうするんだ。ガラス張りのよく見える場所だ。狙撃だろうが魔法だろうが、敏腕の暗殺者なら一発でエラの命を止める事ができるだろう。
そう考えたら呑気なエラにカッとなった。
それでついつい怒ってしまい、エラも言い返してくるもんだから喧嘩に発展してしまった。
はあ、とまた溜め息を漏らす。
どう考えても自分が悪い。せっかくノートを持ってきてくれたのに、その好意を無碍にしてお礼も言ってない。
どうやって謝ろう。何て言って謝ろう。
いい考えも浮かばないまま動かしていた足は、いつの間にかフランマについた。
地元民ばかりの商店街に馴染む、少し古い作りのフランマはもう閉店していて真っ暗だ。
でも二階には明かりが灯っている。きっとエラがいるのだろう。
しかし何と言えばいいのか。腹が決まらず、フランマの前で呆然と、心の中で右往左往していると、急にスマホが着信を告げた。
スマホを取り出して画面を確認し、その途端、アルフィーは気まずく思いながら通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『もしもし、アルフィー?』
目と鼻の先にいるのに、電話の向こうでエラが応えた。
それが何だか今の自分達の距離みたいで、無性に寂しくなる。
このままなんて嫌だ。
でもどうすればいいのかーーー……。
「あの、さ、エラ…」
昼間はごめんーーーまず謝ろうとした時。
『…ごめんなさい』
エラの方が先に謝ってきた。
思わずアルフィーの言葉が止まる。
『カフェで寝こけたりして………常識無いわよね。ごめん…恥ずかしい事しちゃった』
違う、エラは悪くない。
仕事明けで疲れていたのだろう。眠くて当たり前で、カフェで居眠りしたのだってそんな長時間じゃなくて。
本来ならそんな怒るような事ではないのだ。
ただアルフィーが心配から自分勝手に詰っただけで。
「…俺の方こそごめん…ノート持ってきてくれたのに」
『ううん』
「エラは悪くないよ。俺が……余裕なくて…怒ったりしてごめん」
『…ん、いい。私も悪かったんだし…』
いや、エラは悪くない。
悪いのはいつまで経っても本当の事が言えない自分だ。
「……この前誘拐された時」
本当はもう気づいている。
タイミングを逃したとか、エラを怖がらせたくないとか理由を付けて話さなかった。
でもきっと本当は嫌われたくないだけ。そんな恐ろしい事に巻き込まれるのはご免だと、エラが離れていく事が嫌なだけだ。
結局、どれほどエラから離れた方がいいと分かっていても、エラから別れようなんて言われたくないと画策している時点で離れる事は無理なのだと漸く悟る。
「……脅されたんだ。言う事を聞かなければ、エラを殺すって」
電話の向こうでエラが息を呑む気配がした。
「ごめん。それで、何か焦って…」
『……私、何か気をつけた方がいい?』
今度はアルフィーが呆気に取られる番だった。
『アルフィー?』
不思議そうにエラが呼びかけてくる。
我に帰ったアルフィーはつっかえながら何とか言葉を絞り出した。
「あ……じ、じゃあ、ああいうガラス張りのカフェで俺を待ってる時は奥の席で待ってて。その方が外から狙われにくいから…」
『あ、そっか。分かった』
素直に頷く様子が目に浮かぶ。
「…エラは嫌じゃないの?」
『何が?』
「こうやって狙われるからああしろ、こうしろ、って言われるの。俺、絶対に『そんなの無理』って言われると思ってたんだけど」
何だかおかしくなって思っていた不安を笑いながらぶちまけると、電話の向こうでエラが少し唸った。
『… もしこれが束縛する為とかだったら拒否するけど、私の安全の為でしょう?そりゃ全部は無理だし、アルフィーみたいに魔法を駆使するなんてできないけど……できそうな事ならいいかなぁって』
「…そっか」
エラの返事はすとんとアルフィーの真ん中に落ちた。
明確な理由はないが、何となく納得できた。
おかげでもうすっかりここに来るまでの鬱々とした気分はなりを潜め、何だかすっきりしたような、ぽっかり穴が開いたような、妙な気分になった。
明かりの付いているフランマの二階を見上げる。
きっと真面目に夜勤をやっているだろう彼女の邪魔をしたくない。
ここまで来たけれど、仲直りもできたし邪魔しないよう帰ろう。
「じゃあ俺、帰るね」
『……帰る?』
あ、と思った時には遅かった。
フランマの二階のカーテンが開いて、エラが顔を出したのだ。
韜晦の魔法で姿を眩ましていたので、エラに見つけてもらえないかと思い、慌てて魔法を解いて防御の魔法に切り替えた。
途端、窓越しに二人の目が合う。
『いるならいるって言ってよ!』
「あー…邪魔しちゃ悪いかなと……」
『だからってこんな寒空の下で電話する事ないじゃない!馬鹿なの!?』
「魔法使ってるからそんなに寒くないよ」
仲直りしたばかりなのにまた罵倒されて、何だかおかしくなって笑ってしまう。
何がおかしいのよ、とエラが文句を垂れるが気にしない事にする。
「じゃあ帰るよ」
『…気をつけてね』
「エラもね。ルークさんの魔石で守られてるから大丈夫だとは思うけど…変な事があったら連絡して」
『心配し過ぎよ。でも分かった』
バイバイ、とエラが手を振るのでアルフィーも振り返し、防御から韜晦の魔法に切り替えて家路に着いた。




