囚われのアルフィー 2
パンッ、と石が割れる音がする。
工房の中、小さな作業スペースでエラは血が滲んだ手で額の汗を拭いた。
手や腕、顔に沢山の小さな傷を作り、服だって血で汚れているのに、一向にそれに構う事もせず、一心不乱に魔法付与を工房にストックされた水晶に行っている。
そんなエラの横でルークが付きっきりで指導をしていた。
「魔力をもっと細くしろ。細く、だが素早く付与するんだ」
「はい」
「脅すつもりは無いが、月光干しまで終えた水晶のストックはそうないぞ」
「分かってます」
時にルークから叱責や指導、励ましが飛んでくる。
それをちゃんと聞きながら、次の石を手に取る。
アルフィーにあげた破邪退魔の魔石にどんな魔法付与をしたかーーー残念ながら呪文も魔法陣もうろ覚えだったので、エラは一度家に帰ってノートを持ってきていた。
その呪文をもう一度覚え直し、追跡魔法にこの呪文をエラの魔力で刻んだ魔石を追うように条件付けて魔石を作っているがーーー思うようにうまくいかない。
どうにも魔法を書き込む石の魔力が小さ過ぎてエラの実力では上手く書き込めないのだ。
それでも諦めずに何度も挑戦する。
…アルフィー……。
いつだって優しい彼が、今もし酷い扱いをあけていたら……。
茶髪が赤く染まっている所を想像しかけ、エラは慌てて頭を振った。悪い想像ばかりしてしまう。
あの時、もう少し自分が注意深ければ………。
また涙が滲みそうになるのを堪えるが、視界が揺らめくのを止められない。
それでもぐっと唇を引き結んで涙を堪える。
泣く暇があったら、魔法付与を上手くできるように考えなければならない。アルフィーを助け出すために。
エラは手を止めて必死に考えた。
この方法では駄目だ。魔法付与が上手くいかない。
追跡魔法の呪文は『遠くを見ろ、風を聞け。追え。〇〇を持つ物、人、あるいは何か。我は探し求める』であり、この“〇〇”の所に探す物を当てはめなければならない。
それが迷子の髪の毛なら『この髪』だし、自分の魔力を追うなら『私の魔力』になる。
ルークの作る魔石なら『魔法付与をした魔力と同じ魔力で〇〇と書かれた石』となる。
なので、エラが今作ろうとしている魔石は『魔法付与をした魔力と同じ魔力で“〜破邪退魔の長い呪文〜”と書かれた石』となる。うん、長い。
お陰で長過ぎて全く魔法付与ができない。書き込む為の石の魔力が足りないし、エラはこれ以上魔力を細く出す事もできない。今から新たに大きな天然石に魔力付与して日光干しして…とやっていたら二十日以上かかるから、今あるフランマの石しか使えない。
…やっぱり呪文全文は無理だわ…今の私にそれだけの実力がない……。呪文をもっと短くしなければ……どこかを抜粋するのが手っ取り早いけど……どこを抜粋する?
ノートを手に取って捲っていく。何かヒントが無いだろうか。頭が悪い事が悔やまれる。もっと勉強しておけばよかった。
焦りと様々な後悔が毒のようにエラの心を侵食していく。
早くアルフィーを助け出したいのに、なんて自分は無力なんだろう…。
それでも必死にノートに目を通していく。
きっと、警察と軍が全力で探している。自分のこの努力は無駄かもしれない。ただの自己満足かもしれない。それでも。
「……アルフィー……」
優しい緑の瞳。困っていれば差し伸べられる手。いつだって紳士的で、エラを尊重して、寄り添ってくれる。
アルフィー自身はそれを騎士道精神を叩き込まれたからだ、なんて言うけれど、きっとあの優しさは彼自身の本質で、騎士道精神なんて叩き込まれなくても彼はその優しさを違う形で発揮しただろう。
心を占めるのはアルフィーばかりで、また涙が滲み、今度こそ我慢できずにはらはらと涙の粒が頬を伝った。
泣いてちゃ駄目だ、と手で涙拭い、深呼吸をしてからノートに目を落としていく。
手先で固まりかけていた血が涙で水分を取り戻したのか、ノートが少し汚れた。
小さな傷まみれの自分をアルフィーが見たら、また無茶をして、と笑って治癒魔法を使ってくれるだろう。いや、こんなに怪我が酷くなる前に呼んで、と叱られるだろうか。
少しでも気を抜くとアルフィーの事ばかり考えてしまう。
「エラ、シンディが夜食を持ってきてくれた。休憩しよう」
いつの間にか隣りにいなかったルークが工房の入り口からエラを呼ぶ。
「でも……」
「エラ、休憩しましょう?ちゃんと食べて、休憩しないとあなたの体力と魔力が先に尽きちゃうわ」
ルークの隣りからシンディも顔を出してきた。
確かにシンディの言う事も一理ある。
でも、エラが休憩している間にアルフィーに何かあったら……そう考えるととても休憩を取る気にはならなかった。
しかし、シンディがエラの元まで来て、傷だらけの手を握ったので、強制的にエラの魔法付与は止められてしまった。
そのまま手を引かれて、エラは二階に連れていかれ、シンディが持ってきたサンドイッチを食べた。
甘いカフェオレも差し出されて、甘さがささくれ立った心を少しだけ落ち着かせてくれる。
それに食事を取った事で少し魔石から離れられて、頭が空っぽになり、虚脱感が全身を支配する。
おかげで背中と肩が凝り固まっている事に気づけた。ずっと同じ姿勢で魔法付与をしていたからだろう。
焦りでぼうっとしていた頭も何だか血が回り始めたかのように視界がクリアになっていく。
焦っていても食事は必要だな、と変に実感した。
そうして気がつく。
「デイヴとダスティンは…」
いつの間にか二人はいなくなっていた事にも気が付かなかった。
シンディが眉を下げたまま小さく笑った。
「帰ったわ。デイヴ君は明日も仕事だっていうし、エラの邪魔しちゃ悪いから、って。ダスティンもね」
「そうですか…」
きっと悔しいのはデイヴも同じだったと思う。エラよりずっとアルフィーとの付き合いが長いのだから。
ダスティンも性格は軽薄でいい加減だが、決して悪い人ではないのも分かってきた。
二人ともきっと気にしている。でも今は何もできない。
エラには今、できる事がある。
ぐっとエラは勢いよくカフェオレを飲んだ。
「エラ」
カフェオレを飲み終えたエラにルークが声を掛けた。
「ーーーやるぞ」
余計な事をルークは言わない。
だからエラは背筋を伸ばした。
「ーーーはい」
アルフィー、すぐに助け出せるような魔法を私は使えないけど……。
エラは階段を駆け降りて、再び工房に戻っていく。
目の前にある小さな水晶。
それを一つ手に取る。
『寒いんじゃない?』
ヨルクドンで焦っているエラにそう言って助けてくれた。
いつも助けてくれるあなたを、今度は私が助けるから。
エラは腰を据えて魔石作りを再開した。
しかし、アルフィーを助ける為の魔石作りは現在行き詰まっている。エラの技術では魔法付与の言葉が長すぎるのだ。
ずっと一人で考えていた事に気がついたエラは、そこでやっとルークに相談した。
話を聞いたルークはノートを捲り、しばらく考えた後、あっさり答えを導き出した。
「呪文じゃなくて魔法陣の方にすればいいだろう」
「魔法陣…?」
ひくり、とエラの頬が引き攣る。
言っておくが、破邪退魔の魔法陣は恐ろしく複雑だ。あれ全部を書き込むなんて、呪文より難しい。だからアルフィーにあげた破邪退魔の魔石を作る過程で大量に失敗したのだから。
しかし、やはりそこは師匠である。
「全部を書く必要はない。お前は魔法陣がいるような魔石をこれ以外に作ったか?」
「え?無いです…」
「そうだろう。店の魔石なら呪文ばかりだからな。だから、魔法陣の一部だけでいけるはずだ。例えばマーク一つだけとかな」
「あ……」
確かにエラが今まで練習で作ってきた魔石は、全て近代の魔法なので呪文だけだ。
だからこそ、魔法陣を必要とする古代魔法を込めた魔石はアルフィーにあげた破邪退魔の一つだけで、魔法陣がたった一つの印になるのだ。
何でそんな簡単な事に気が付かなかったんだろう。
少し落ち込んで頭を俯かせると、こつん、と頭を拳で優しく叩かれた。
「気負いすぎだ。まだ半人前なんだから、ちゃんと俺を頼れ。馬鹿もん」
「………はい」
師匠の優しさに、エラの瞳に涙の膜が張る。
ぐしぐしと乱暴に涙を拭い、エラは深呼吸するとノートに目を落とした。
目についたのは、長期的な意味表す、トネリコの芽のマーク。
直感的にこれだと思った。
可愛らしい、子供が描くような細い葉っぱが並んで二つと、するりと伸びた芽。
早速エラは水晶を手に取った。
今更ですが、この世界に魔法の箒はありません。魔法付与を持続的にできるのは天然石だけです。




