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花の日 7

 アルフィーは雑貨屋でハンカチを買った。

 不本意だが、オスカーにもマチルダにもプレゼントをあげてハンナだけ無いというのも気が引けるし、怒り任せに魔法を掛けた負い目もある。それにエラの助言のおかげでハンナの態度の意味も分かったような気がしたのだ。

 マチルダにあげたいというキーホルダーを貰うためエラの家に寄ると、家の中に上げられた。

 寄っただけなので玄関口で待っていると、エラは鞄を無造作にソファーに置いてから、戸棚に手を伸ばして開戸を開け、そこから少女趣味なキーホルダーを取り出した。

 遠目にも分かる。二十歳を過ぎた娘にあげるようなキーホルダーではない。いや、ああいうのが好きな人も中にはいるのかもしれないが、少なくともエラの趣味じゃないだろう。

 ついでにマチルダにも受けるか微妙なキーホルダーだ。マチルダが身につけているものは、シンプルなものが多いので、こんなリボンやハートのキーホルダーは好きなんだろうか。

「これなんだけど…どう?」

「…まあ、渡すだけ渡してみるよ」

 アルフィーの一言で察したらしいエラが肩を落とす。

「…やっぱり変よね。マチルダちゃん、小学生でしょう?」

「今年で八歳…だったかな」

「微妙…そのくらいの歳だと、段々キャラものとか嫌がる時期に入ってくるもんね……こういうのも嫌がるかなぁ……」

「渡すだけ渡してみるから。エラもいらないんだろ?」

「要らない。本当に要らない。使い道皆無」

 酷い言われようだ。

「でも、こんなものマチルダちゃんも要らないわよね。ごめん、やっぱりやめた方が…」

「いや、貰うよ。今更マチルダだけ何もないのも可哀想だし」

「…そう?」

 本当に申し訳なさそうにするエラは、自分が要らない物を人に押し付けている事に罪悪感でも感じているのだろう。

 同時に要らないものだが、せっかく父親が贈ってくれたものを無駄にしたくないという願望を叶えられそうでほっともしている。

 すぐ表情に出るエラはとても分かりやすい。

 ……そういう所だよなぁ。

 エラは気がついてないが、エラはフランマの周りの商店からとても可愛がられている。ルークはあんな可愛い弟子が自分から来てくれるなんて、なんて羨ましいんだと嫉妬されている。

 何故かというと、エラが真剣に魔石作りに向き合っているのを全員が知っているからだ。

 魔石は科学に成り代わられてルークのような個人事業主は減っている職業だ。大きな企業もない。魔力付与や魔法付与が難し過ぎるのだ。中小企業では決まった魔石しか作らない。

 コブランフィールドのあの辺りでは、ルークが廃業したらもう魔石には頼れないだろうと全員が思っていた、と親しくなったゾーイに聞いた。あの辺りの店は経費削減の為に防犯面や室温などをルークの魔石に頼っているらしい。エラも自慢していたが、ルークの作る魔石は長持ちする。だから、月々電気代やガス代を払うより、高価でもルークの魔石を買って魔力を自力で調達すれば長い目で見ると経費削減になるのだ。

 もう五十代のルークがいつまで魔石工をやってくれるかーーーみんながぼんやりと焦燥感を胸の片隅で感じ始めた頃、弟子入りしてきたのがエラだったらしい。

 若い女の子が、魔石工を目指して頑張っていると聞いて、皆が興味を惹かれて用事にかこつけてフランマを除けば、ルークの指導を受けて真剣に魔石に向き合っている女の子がいた。

 しかも不慣れな様子で接客して、見かねた誰かがしたアドバイスーーーもといお節介を素直に取り入れて、些細な事でも人懐っこい笑顔でちゃんとお礼を言うものだから、いつの間にかあの辺りの商店の人達はみんなでエラを可愛がっているらしい。

 そりゃあそうだろう。すぐ顔に出る、という事は魔石に向かう姿勢の真剣具合もすぐ分かるという事だ。つまり、みんながエラが本気で魔石工になりたい事を知っているし、笑顔で言うお礼は本当にありがたい事だと思っているという事だ。

 仕事に真剣で、年寄りのお節介を邪険にせずにお礼を言うエラが可愛がられるのは必然だろう。

 そういう所をアルフィーも好きになった。

 帰る前に抱きしめたくなって、両手を広げるとエラが少しだけ恥じらう様子を見せつつも、そろりと寄ってきた。

 抱きしめるとお互いの顔が見えなくなるが、代わりに体温と女性特有の柔らかさが感じられる。アルフィーの肩に頭を預けたエラのセミロングの黒髪が視界に入った。

 愛おしさが込み上げてきて離したくなくなる。

「エラ」

 自分でもびっくりするほど優しい声音で呼びかけると、エラが頭をもたげる。

 そっと彼女に唇を寄せると、僅かにエラが身体を緊張させた。慣れない様子が可愛い。

 ほっそりとした腰を逃げられないよう左手で緩くホールドし、安心させるように右手で華奢な肩を抱けば、そうなるのが当たり前のようにエラが両手をアルフィーの肩に置いた。

 互いにほんのり緊張を孕んだまま唇を重ねる。

 一瞬離して、角度を変えて何度も。

「…ん、…」

 鼻から抜けるような小さな声を出したエラを、今すぐ目と鼻の先にあるベッドに押し倒したいなんて野蛮な事を考え、理性を総動員させる。

 最後に頬にキスをして、腰を抱いたまま身体を離すと頬を上気させたエラが緑の瞳を僅かに蕩けさせていた。

 その表情やめてほしい。こっちだって健全な男なのでそれなりに肉欲はあり、それを必死に理性で繋ぎ止めているのに、そんな理性を容易く破壊しにかかってくるのだ。

 自分が理性強くて良かったと本気で思う。

「今日は大人しく帰るけど、明日も来ていい?」

「うん…待ってる」

 残念そうな表情がまだ一緒にいたいと言ってくれているようで余計帰りづらくなるが、終電というものがある。

 いや、まだ終電まで時間はだいぶあるが、あまり遅く帰るとマチルダは寝てしまうし、寝静まった頃に帰って誰かを起こすのも悪いから仕方ない。

「じゃ、また明日」

「また明日ね」

 名残惜しく思いながらもエラから手を離して別れを告げ、ドアノブに手を掛ける。

 扉を開けるとまだ肌寒い。

 手を振るエラに手を軽く振り返して、アルフィーは家に向かって歩き出した。





 首都、ストーナプトンの中心街より少し外れた所にある白亜の王宮。屋根はこの国で愛される妖精の月と同じ緑色。

 そこには祖父母と伯父家族が住んでいる。

 アルフィーもたまに遊びに行く。従兄のアルヴィンとは仲がいいし、公務が忙しくてなかなか会えない祖父が寂しがるからだ。

 その王宮が見える位置にアルフィーの家はある。

 高級住宅街ではないが、官僚や軍人など国の為に働く人達が集まる場所で治安は良い。

 そんな治安の良い場所で、がっつり警護されている家がアルフィーの家だ。基本的には母が家にいる時のみ警護されているが、母がいなくても最低限の警護は魔法によってされている。

 ちなみに母が今はいるらしく、最悪な事に警護している軍人の一人がマテウスだ。

「…はあ……」

 マテウスとは仲が良い。魔法を教えてもらったし、兄のように慕っている。

 でも、気安い間柄という事はあまり知られたくない事も筒抜けになる可能性が高いという事だ。

 今回の件がどこまで筒抜けになっているかは分からないが、怒り任せに魔法を使ったなんて絶対に知られたくない。絶対に叱られる。

 ただでさえ母や祖父母から怒られると予想して憂鬱なのに、マテウスにまで知られて叱られるなんて。

 いや、俺が悪いんだけど。

「ただいま」

「あ、おかえりー」

 よりにもよって、最初に顔を出すのが何故マテウスなのか。

「……………………」

「どうかしたー?」

「………別に」

 変な顔をしてしまったアルフィーをマテウスが首を傾げてにこやかに続ける。

「今日は帰ってこないかも、って聞いてたけど帰ってきたんだね」

「…反省したんだよ、これでも」

 この調子だと色々聞いてくるだろうか。

 少し身構えるアルフィーに、マテウスはにこりと笑う。

「何だよ」

「何があったかは大体ロルフさんから聞いたけど、今後はしちゃ駄目だよ」

「……分かってるよ」

「ま、アルフィーが手を出すなんて初めてだし、ハンナちゃん側にもだいぶ非があるから」

 ぽん、と肩を叩かれる。

「好きな子を馬鹿にされて腹が立つ気持ちも分かるしね」

「……でもやり過ぎた」

「閉口の魔法でしょ。攻撃的な魔法を使ったわけじゃないし、それに反省したみたいだしね」

 苦笑するマテウスは本当になんて事ないと思っているらしい。

 それに少しだけ安堵する。骨の髄まで騎士道精神を教え込まれてきたので、女の子に魔法を使うのは何だかすごく悪い事をした気になっていたが、それが少し緩和される。

 そこへパタパタと軽い足音がした。

「アルフィーお兄ちゃん?」

 やってきたのはマチルダで、パジャマ姿の彼女はアルフィーを見ると眉をへの字に下げた。

 マチルダが何故そんな顔をするのか分からず困惑していると、マテウスが身を屈めてきた。

「アップルパイを食べたからアルフィーが怒ったのかなって思ってるらしいよ」

 ひそりと耳打ちされた内容にアルフィーは更に戸惑う。さすがにマチルダには怒ってない。

 小さな拳を握りしめて、口を一文字に結んだ従妹は小さな声で「ごめんなさい」と呟いた。

 視線を合わせようとマチルダに近寄ってしゃがむと、マチルダの濃い金髪の向こうに青い瞳が不安そうに揺れていた。

「マチルダ、俺、別にマチルダには怒ってないよ?」

「…本当?」

「うん。でも、外に出た時は勝手にどこかには行かないでね」

「だって…外、珍しいもの沢山あるから」

「そうだよな。でも、車に轢かれたりしたら大変だから勝手にどこかに行っちゃダメだよ」

「はぁい…」

「いい子だ」

 よしよしと金髪を撫でてやると、不安そうに揺れていた青い瞳が嬉しそうに眦を下げる。

 そこへ、更に足音が近づいてきて次に顔を出したのはハンナと母と叔母だった。

「あら、おかえり」

「ただいま、母さん」

 意外そうに息子と同じ緑の目を少しだけ見開いた母は、その直後ににっこり微笑んで、小首を傾げた。

 思わずアルフィーは身構える。これは穏やかに叱る時の母の癖だ。

「アルフィー、あなた、昼間にハンナちゃんに魔法使ったのはいただけないわ」

「……分かってる。悪かったって」

「私に言ったってしょうがないでしょう?ハンナちゃんに謝りなさいな」

「…………」

 はあ、と心の中で溜め息をつく。その通りなのは分かっている。

「…悪かったよ、ハンナ」

 ハンナに一言謝ると、ハンナはぐっと口を惹き結んだ。とん、と叔母に小突かれている。

「別に……」

 どこか不服そうなハンナに、エラの一言が蘇った。

 憧れのお兄ちゃん。

 …うーん…やっぱり俺の迂闊な行動が原因かなぁ…。

 エラの言う通りなら、高校生のハンナがアルフィーに不服そうなのも分かる気がする。

 なんというか、憧れには清廉潔白でいて欲しい、という願望が打ち砕かれてしまい、現実が受け止められないという事だろうか。

 アルフィーは心酔するほどの憧れを持った事はないが、魔石工に憧れるエラがヨルクドンで詐欺を働いた魔石工にショックを受けていたのを見たので、それに近い心理状態なのかもしれない。

 最もアルフィーが朝帰りした理由は魔力が枯渇したという情けない理由だけなのだが。

 ハンナの機嫌を取るにはどうすればいいのか。

 アルフィーは仕方なく鞄を漁り、買ってきたハンカチをハンナに向かって放り投げた。

 自分に向けて放られた小さな箱をハンナは慌てて手を差し伸べて受け止める。コントロールが悪いのは大目に見てほしい。

「ちょ…!何!?」

「やる。花の日おめでとう、一日遅いけど」

 ぞんざいにそう告げると、ハンナが目を見開いた。

 繁々とハンカチに目を落とすハンナの心情まではさすがに分からない。

「ハンナ、何もらったの?」

 アルフィーに怒られてなくて安心したのか、いつもの調子を取り戻しつつあるマチルダが首を傾ける。

 アルフィーは鞄の中からもう一つのプレゼントを探しながら短く「ハンカチだよ」と教えてやる。

「じゃあ学校持っていけるね」

「そうだな。はい、マチルダ」

 子供らしい感想のマチルダに、エラからもらったキーホルダーを見せる。

「わあ、可愛い」

 子供っぽいキーホルダーだが、子供のマチルダの目には可愛く映るらしい。

「昨日会ったお姉さんがマチルダにあげるって。花の日おめでとう、マチルダ」

 するとマチルダがきょとん、とした顔をして、ハンナと同じく繁々とキーホルダーを見つめた。

「どうかしたか?」

「貰っていいの?」

「?もちろん」

 アルフィーが内心で首を傾げつつ頷くと、マチルダが本当に嬉しそうに破顔してアルフィーの首に抱きついてきた。

「うわっ……」

「やったー!ありがとう!アルフィーお兄ちゃん!」

 子供とはいえ、今年八歳の従妹の勢いが強くてしゃがんでいたアルフィーは体勢を崩し掛けたが、何とか踏みとどまってマチルダを抱き止める。

 シンプルな物しか持っていないマチルダが、意外にもはしゃくほど喜ぶので、ちょっと目を白黒させていると、マチルダがコソコソ話をするように手をアルフィーの耳に当てた。

「あのね、可愛いの好きなんだけどね」

「うん」

「あたし、すぐに失くしちゃうから欲しくても買ってって言えなかったの。だからね、嬉しい」

「そっか」

 外ではすぐ勝手な行動を取りがちなマチルダだが、アルフィーが思ってた以上に彼女は賢いのかもしれない。

 ぽんぽんと金髪を撫でると、マチルダが嬉しそうに笑う。

「鞄にしっかり付けておいたら失くさないよ」

「そうする!ママ、アルフィーお兄ちゃんにキーホルダー貰った。鞄につけてー!」

 喜び勇んで、母親の元へ戻るマチルダが可愛い。

 一仕事終えたアルフィーは自分の部屋に向かおうと立ち上がると「そういえば」と静かに見守っていたマテウスに声を掛けられた。

「そのピアス、破邪退魔の魔法が込められてるんだって?」

「そう」

「へえ、すごいねぇ。今度俺にも会わせて欲しいなぁ」

「別に、エラの働いてる場所くらい知ってるだろ」

「知ってるけど、そのうちでいいからちゃんと紹介してよぅ。エイブリー様達の次でいいからさ」

「そのうちな」

 適当にマテウスをはぐらかしてアルフィーは部屋に向かった。






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