傷跡 1
「気持ち悪い」
第三者にそう言われて、平気だと思っていたのに初めてショックを受ける。
悲しくて恥ずかしくて、エラは傷を隠そうと、もう服で隠れているのに手を肩に当てた。
湖群国立公園での銃撃で受けた傷はエレノアが傷跡が薄くなる魔法を掛けてくれたから、跡は残っているが薄くなっている。
幸いにも場所も肩だから普段は服に隠れているので、エラはあまり気にしていなかった。夏場も肩が出るような服さえ選ばなければ気付かれる事もない。
戻ってきてくれたアルフィーに傷を見られる時だけは緊張してしまったが、彼は痛ましそうに目を細めて「もう痛く無い?」と言葉少なに聞き、傷跡を優しく撫でたあとでキスを一つ送ってくれた。
それだけで不安が無くなり、ほっとしたのを覚えている。
だから家の中でなら、エラは気にせずに肩が出るような格好もしていた。
両親に結婚の許しを得ようとエラはアルフィーを連れて帰省していた。普段はエラに郷愁を与える長閑な景色も、今回ばかりは緊張をほぐしてはくれない。
緊張しながらも実家に帰り、いざ報告すると難色を示すと思った通り父が「エラを嫁になんかやりたくない!」と泣き喚き、でも呆れた母が「エラに嫌われるわよ」と諌めていた。
ちょっと意外だった。エラが銃撃された時、母はアルフィーを嫌っていたようだったから。
アルフィーが父の相手をしてくれている間に母にどうして許してくれたのか尋ねると、母は苦笑して「だって、エラったらお父さんそっくりだもの」と教えてくれた。
「お父さんもエラも、一度自分でやると決めた事を人にとやかく言われたからって辞めるタイプじゃ無いでしょう?だから仕方ないかなぁって。そりゃあお母さんとしては、わざわざ危ない人を選ばなくてもとは思うわ。……エラが撃たれた時は私も気が動転してたし、アルフィー君のせいでエラが狙われたと思ってたから悪く言っちゃったけど…アルフィー君が悪いわけじゃないし、彼のおかげでエラが助かったのも事実だし……とにかく、悪い人では無いのは分かったから」
「…ありがと、お母さん」
渋っていた父もアルフィーに説得されたのか認めてくれ、両親共に認められたエラはやっと緊張から解き放たれて、実家で伸び伸びと過ごす事ができた。
祖母にも二人で会いに行って報告すると、祖母は涙を流して喜んでくれた。
「女の子なのに肩に酷い傷があるから心配してたのよ」
祖母の要らぬ心配に二人で苦笑して、アルフィーの車でエラの実家に戻ると、玄関を潜ろうとしたエラを「エラ?エラじゃない?」と聞き覚えのある声が呼んだ。
振り返ったエラはそこにいた同級生に自然と笑みが浮かんだ。
「オーブリー!久しぶり、元気だった?」
「見ての通り元気よ。エラも元気そうね。で?そこの素敵な彼は?」
率直に聞かれて、エラはほんの少し頬を赤く染めつつもはにかんで「婚約者よ」と答えた。
「婚約者!?」
「うん。修行してたコブランフィールドで出会ったの」
「こんにちは。アルフィー・ホークショウです」
「オーブリー・ベイカーです」
簡単に自己紹介をお互いにしてから、オーブリーは肘でエラを小突いた。
「ちょっとやるじゃないエラ!もう結婚だなんて。結婚式はいつ?」
「まだ何も決まってないわよ。今日親に報告したんだもん。お店も持ったばかりだし、めちゃくちゃ忙しいんだから」
「ああそうだ!おめでとう、エラ。お母さんから聞いたけど、コルコットにお店出したんだってね。夢叶えてすごいじゃない!」
ストレートに褒められて、エラはまたはにかんだ。
「まだまだよ。全然軌道に乗ってないもの」
「それでもよ。ずーっと魔石工になるんだって言ってたもんね。ねえねえ、今日の夜って暇?地元に残ってる人でプチ同窓会するの。エラも来ない?」
突然話題が変わるのはオーブリーの癖だ。
旧友からの誘いは魅力的だが、今はアルフィーといるのでエラは躊躇った。エラが出掛けてはアルフィーはエラの実家で一人だし、エラと一緒に行動しては旧友達に顰蹙を買いそうだ。
しかし躊躇ったエラの背中を押したのはアルフィーだった。
「行っておいでよ。最近仕事ばかりだったし、友達とゆっくりしてきたら?」
「でも…」
「俺なら大丈夫だよ。本でも読んで時間潰してる」
そう言われるといいかな、と思える。
エラはアルフィーに礼を言ってからオーブリーの誘いに頷いた。
夜、オーブリーに誘われて参加したプチ同窓会は、広い家を持つ同級生の家で開かれており、確かに地元に残っている同級生ばかりだった。
懐かしい顔ぶれに笑顔でエラはパーティーを楽しんだ。
久々に帰省したエラの話題は当然、独立したばかりの店とアルフィーの話になる。
「聞いたわよ、エラ!結婚するんだって?」
「まだ婚約したばかりだってば!」
「結婚詐欺とかじゃないのか?都会に出た田舎者を騙す手口で、実は店の資金も持ち逃げ…」
「失礼ね!」
「ははは!冗談だって!まあエラなら大丈夫だろ」
「あんた、そういうところ変わらないわね」
「ねえエラ、お店持つのって大変?私、将来的にはお店持ちたくって…」
仲の良い友達とおしゃべりしていればあっという間に時間は過ぎる。
ぽつぽつと家に帰る人がで始めた頃、エラも時計を見てお暇しようと決め、アルフィーにそろそろ帰ると短いメッセージを送った。
家までは大した距離ではないのでエラは歩いて帰るつもりだったが、すぐにアルフィーから返信があって迎えに行くと書かれていて笑みが浮かぶ。
心配しなくても、と思わないわけではないが気遣ってくれる事が嬉しい。
「もう少ししたら私も帰るね」
「えー、帰っちゃうの」
「一人で大丈夫?」
「彼氏が迎えに来てくれるって。だから平気」
「え!?エラの将来の旦那さんに会えるの?」
「オーブリーが優しそうな人だったって言ってた!見たい!」
「普通の人だって」
見たい見たいと騒ぐ旧友達にエラの頬が些か赤くなる。ちょっと恥ずかしい。
恥ずかしいが、集まっている女子とこのまま最後まで騒ごうと雑談に興じる。
「なあエラ。お前、撃たれたって本当か?」
「え…?」
唐突に予想外な質問を会話の輪にいない同級生から投げかけられてエラは視線を向けた。
視線の先には明らかに酔っ払っている同級生の男がいた。
ーーー学生の頃に魔石工になりたいと公言し、魔石に夢中だったエラを馬鹿にしてきた人なので正直苦手な人だ。
…ていうか何で撃たれた事知ってるの?
両親が誰かに話して噂話として広まったのだろうか?
田舎町だし、ありえない事ではないけど……何で今更?
もう約三年前の事件だ。今になって掘り起こさないで欲しい。
あの事件のせいでアルフィーと別れる事になったし、体に傷が残ったから当然良い思い出なわけではない。というか、普通そんな凶悪事件に巻き込まれた被害者に無遠慮に聞くものじゃないと思う。
でも昔から不躾な人だったので、アルフィーと違って気遣いというものをしない人なんだろう。
「何の事?」
だからエラはすっとぼける事にした。
普段から肩の傷は確かにそれほど気にしてないが、だからといって全く気にしていないわけじゃない。それにあの事件はカウンセリングに通う契機になった緑眼ハンター事件の走りだから、あまり思い出したくない。誘拐された時の恐怖は覚えている。
これ以上聞いて欲しくなくて、エラは無視して女子グループとの会話に戻ろうととした。
「いやいや、何とぼけてんの?俺聞いたんだって」
「知らないってば」
「知らない事ないだろ?肩だったか腕だったか撃たれたんだって?」
「知らないってば!」
「嘘言うなよ!皆知ってるぜ?なぁ?」
皆?
思わず周りを見ると数人がエラから目を逸らしたり、気まずそうな顔をしたりと明らかに知っている反応を返した。
「……………………」
噂か何かで広まってるの?
思わずぎゅっと手を握った。
別に平気…アルフィーは気にしないでくれるし…服で隠れるし…そもそも三年も前だし……。
そう思おうとしても羞恥心のような感覚に襲われる。
何で……私が悪いわけじゃないのに…!
「やめなさいよ!どういう神経してんの!?」
「エラ、無視しよ」
エラが何も言えないのを見かねた友人達がエラを援護してくれるが、相手はやはり気遣いというものをどこかに置いて来たらしい。
「だって気になるだろ?銃創って気持ち悪い痕残っててんじゃね?よくそんな体で嫁の貰い手があったな」
今度こそエラの瞳がひび割れた。
「気持ち悪い」
第三者にそう言われて、平気だと思っていたのに初めてショックを受ける。
悲しくて恥ずかしくて、エラは傷を隠そうと、もう服で隠れているのに手を肩に当てた。
この傷は恥ずかしいものなのだろうか。
「おーいメイソン!お迎えだぞー!」
空気を読まない誰かの声がエラを呼んだ。
ハッとして振り返ると、パーティー会場である家の持ち主がエラを呼んでいて、その後ろにアルフィーがいた。
いつだって優しい黄色がかった緑の瞳を見た瞬間、エラの瞳に涙が浮かんだ。
揺れる瞳をアルフィーは認識したらしく、ふと顔を訝しげにして見知らぬ場所なのに臆せずエラのそばへやって来た。
「どうかした?」
「アルフィー…」
大きく瞳が揺れる。
ダメだ。皆の前で泣いてしまう。
エラは慌てて俯き、頭を振った。
「何でもない…もう帰る」
「……帰ろうか」
アルフィーの顔を見れなかったが、彼は何も聞かずにいつものようにエラの背中に手を添えて帰りを促してくれた。
それに少し安心して、滲んだ涙を指先で拭い取る。
「何だよ、無視しやがって」
なのに嫌な声がエラに追い打ちをかける。
「気になって聞いただけだろー?傷跡あんのにさっさと結婚するからさぁ。ああ、あれか。そいつ逃したら次が無いと思って焦って結婚したんだろ。そういう結婚って大体失敗するんだよな」
エラは緊張とパニックで、びくりと体を揺らした。
ーーー隣りのアルフィーに聞かれたくない。
どうしてそう思ったのか。とにかく惨めな自分をアルフィーに見て欲しくなかった。エラ自身に一つも落ち度は無くても。
「しかも店持ったとか、借金持ちじゃん。今時売れなさそうな魔石とかさ。そんな体に傷はあるわ、借金持ちだわ、不良物件の女なのに、そいつもよく結婚なんかしようって思ったな」
何でそんな酷い事を言うの。
酔っ払ってるから?
違う。昔から何故か嫌われていた。何かをした覚えもないのに。
体に傷があるのも、店を持つために銀行の融資を受けたのも本当だけれど、それはアルフィーや自分にとっての汚点となりえるのだろうか。
ーーーもし、アルフィーの親族にも迷惑がかかるなら……私はどうすればいいの……?
「エラ」
強張って動かなくなったエラに、優しい声が降って来た。
「大丈夫。胸を張って、背筋を伸ばして」
「…………」
エラを覗き込んでくるアルフィーに向けると、アルフィーはいつも通りの優しい瞳をエラに向けて、向かい合うとそっとエラの両手を取ってゆったりとした動作で引き上げた。
両手を持ち上げられたせいで縮こまっていた背筋が自然と伸ばされる。
「下を向いてちゃ駄目だよ。それは相手に付け入る隙を与える。真っ直ぐ前を見て。そうすれば相手が怯む。じいさん曰く、自分は気高いと信じるといいらしい。ーーー大丈夫、俺がいる」
じいさんって……国王陛下?
突然出て来た名詞にぽかんとすると、アルフィーは悪戯げに笑った。
「俺の一族がどこの誰だか忘れた?」
「わ、忘れてない…」
「じゃあ胸を張って、背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を向いて。自分は気高いと信じて。あとは俺に任せてればいいよ」
「…?」
アルフィーの言い方は優しいのに、有無を言わさない響きがあったので、エラは訳が分からないまま思わず言われた通りに胸を張り、背筋を伸ばした。
すると縮こまって見えなかったものが見えた。仲の良い友達が気遣わしげにこちらを見ていること、エラの事を嫌っている男以外の知り合い達は誰も悪ノリしてないこと、寧ろエラを貶す彼を冷ややかな目で見ている事。
大多数の同級生はエラの事を馬鹿にしてはいない、それに気づけると何だか冷静になれた。
真っ直ぐアルフィーを見ると、彼も真っ直ぐエラを見ていた。
「上出来。なら行こうか」
す、とアルフィーが自然な動きでエラをエスコートする態勢になる。
最初の頃はただただ恥ずかしかったのに、すっかり見慣れてしまった完璧なエスコートを受けながら、でもいつもと少しエスコートが違うなと感じる。
いつものエラを気遣うエスコートと違い、今回のエスコートはエラを気遣いつつも何かが違う。
何が違うのか分からないまま、エラはアルフィーに連れられて玄関口まで開けた道を歩き、会場を出て行った。
その姿に会場にいて二人の動向を見守っていた同級生全員があんぐりと口を開けていたのにも気づかないまま。
明日、この話の後半上げて、書き溜めてた番外編は終了です。もう一本上げたいけど…ちょっと時間がかかりそうです。書くの遅くてすみません…orz




