妖精
祖父は魔法音痴だ。頭は良いのに壊滅的に魔法ができない。魔力操作が下手過ぎるのだ。
でも魔法が上手く使えないだけで魔法の知識はあるし、勉強だけでなく自分が住む町の地質についても博識で、祖父は町の人から頼りにされていたし、尊敬もされていた。
逆に今は亡き祖母は、全く賢くなかったが魔法を使う事に限っては得意だった。祖母は祖父に出会うまでとにかく波乱な人生を送った人で、初めて祖母の半生を聞いた時は目が点になったし、普段は明るい祖母がそんな波乱な人生を送ってきた事が衝撃だった。
そんな祖父母はお互いに互いの足りない所をカバーし合って生きてきたが、歳を取り、祖母が病に倒れて他界してから祖父は魔法に頼らず生きてきた。
そんな祖父がぽつりと言ったのだ。
「ばあさんが生きてた時は、よく魔法で温めてもらったなぁ」
冬が近付いてきた秋の終わり。それは庭仕事をする祖父を風の魔法を使って冷たい秋風を防いだ時に祖父が懐かしそうに言った。
「じいちゃん、今は寒い時ってどうしてるの?」
「ばあさんがいないから、ひたすら着込んでストーブだな」
その会話は妙にアルフィーの頭に残った。
そしてアルフィーは魔石工房フランマを訪れていた。
魔石工房フランマを知ったのは偶然だった。カレッジに通っていると、主に女子大生達が入学式直後くらいに防犯対策で騒ぐのだ。何でもそのフランマの魔石には姿隠し等の一般的には難しいと言われる神秘魔法が魔石として売られており、安全に家に帰れるとか。
神秘魔法を使いこなしているアルフィーはあまり興味がなく、それまで噂は聞き流していたが、魔法無しで冬を耐えている祖父が心配でどうにかしてあげたかったので、大学近くの商店街にあるという情報だけを頼りにスマホで探してやって来た。
いかにも地元民向けの商店街にある魔石工房は、木の枠組みが外観からも分かる古き良き建物で、中に入るとカラン…とドアに設置されたベルが鳴る。音に驚いて見上げるとベルの中で何かが光を反射した。
不思議に思って覗き込むと、暗くて分かりにくいがどうやら石が仕込んであるようだ。
盗難防止とかの魔法が付与された魔石なのか?
「いらっしゃいませ」
奥からいかにも職人という感じの気難しそうな顔をした初老の男性が出て来た。髪に白い物が混じり始めている。
柱や梁の木の温かみを感じる店内にはいくつもの魔石が置かれており、幻想的にキラキラと光を反射している。そんな中、気難しそうな男性は店の雰囲気に似合わないので、何だかこの地の名前の通り伝説の鉱山妖精みたいだ。
もっとも男性は小さくもないし、顔色が赤や黒というわけでもない。デイヴ曰く、伝説のような鉱山妖精など見た事がない、との事なのであの見た目は創作なのかもしれない。
ともあれ、この男性は人間で、たぶんこの工房の主人だろう。
アルフィーは店内を見渡し、すぐに赤い石の山を見つけた。近くの札には女子の興味を引きそうな綺麗な飾り文字で『火の魔法。寒さ対策にどうぞ』と書かれている。この店主が書いたのだろうか?
「すみません、この火の魔石をください」
「三つ以上買うのを勧めますよ」
アルフィーが火の魔石を指差して男性に言うと、男性はすかさず答えた。
「三つ?」
「この魔石は一つ発動すると五度くらい温度が上がります。外で使うなら三つくらいが丁度調整しやすいんですよ」
「なるほど。じゃあ三つください」
アルフィーは男性に言われた通り三つ魔石を買い求めた。男性はプレゼント用だと知ると、革の紐に通して簡単なブレスレットにしてくれ、素朴な紙製の箱に納めてくれた。
そして冬にもう一度祖父の家を訪ねた時にその魔石を渡した。
魔力操作が苦手な祖父でも、魔石を発動する事はできて、初めて魔石を発動した時は祖父は少年みたいに喜んだ。
「これはすごいな。昔、ばあさんに温めてもらった時を思い出すよ。アルフィーやロルフがいなくてもこれで寒くないな」
「喜んでくれてよかったよ」
「これ、夏用に涼しくなる魔石もあるんじゃないか?」
「あー…どうだろう?でも冬の暖を取る魔石があるなら、夏用に涼む魔石があってもおかしくはないよね。もしかして真夏季を気にしてる?」
「ああ。もう歳だからな、気温の変化に体がついていかん。真夏季の間は家に閉じこもっているようにしているよ。夏用の魔石があるなら真夏季も過ごしやすいかなと思ってな」
真夏季とはこの辺りの地域特有の現象だ。
祖父の住むコーリーはラピス公国最北端と言っても過言ではないので、基本的に夏は涼しく過ごせる。
でも地形と風、その他の影響により毎年夏にここが北だという事を忘れるほど暑くなる時期がある。あまりの暑さに倒れる人が続出するので、自然の悪戯とはいえ、年老いた祖父が堪えるのは当たり前だ。
だからアルフィーはすぐに頷いた。
「じゃあ夏前に同じ店に行ってみるよ。涼しくなる魔石があったら買ってくるね」
「ねえねえ、アルフィー見てちょうだい!」
ある日、のんびりと家で本を読んで過ごしていたアルフィーは、隙間時間に物置の片付けをしていたはずの母に声をかけられて振り返った。何かを手に持っている。
「何?」
「見て見て。片付けしてたら懐かしいものが出て来たのよ」
「懐かしいもの?」
「ほら、『アルの冒険』よ」
母が差し出してきたのは絵本だった。
それを見てアルフィーも頬が緩む。子供の頃よく母に読んでもらった本だった。
「よく読んであげたわよねぇ」
「自分の名前と同じだから、すごく気に入ってたんだよな」
「アルフィーが落書きしたページもあるの、覚えてる?確かディヴィット君に水の馬がいる、って言われたから自分で足してたわ」
「覚えてるよ」
母から本を受け取り、パラパラとめくる。アルという名前の少年が妖精界に迷い込んで沢山の妖精達と出会い、妖精達の諍いや悩みを解決する話だ。例えば岩の下敷きになった七人のコブラナイを助けたり、水色の髪に黄金の瞳を持つ太陽の妖精と、黒髪に金と黄緑のオッドアイを持つ月の妖精の喧嘩を納めたり、靴を作る道具を失くしたレプラコーンと一緒に道具を探したり、泣いている赤子の妖精を笑わせたり。
懐かしくてめくっていくと、水色のクレヨンで描かれた四足歩行の動物がいた。全く馬に見えないが、当時の自分は馬を描いたつもりらしい。
「物置の整理をしていたのにダメねぇ。懐かしくて手を止めちゃったわ」
「この絵本、どうするの?」
「捨てるのが勿体無いのよねー。どうしようかしら。あーこの頃のアルフィーは本当に可愛かったわ!」
「はいはい」
母の昔話に適当に付き合って、最終的にその絵本は母が近々児童養護施設の訪問があるとかで、そこに寄付するという話になった。
季節は過ぎて春。段々と過ごしやすい気候から夏の暑さを感じ始める頃、アルフィーはカレッジの帰りにフランマに寄った。
カラン、とドアベルが音をたてる。
店の中に入ると商品である魔石が照明に当たってキラキラと光っていた。木の温かみがある店内は宝石を隠し持っている妖精の棲家みたいな印象を受ける。
そんな自分の発想に心の中で苦笑した。昔からデイヴと一緒にいるせいか、それとも王族の母の影響か、とにかく妖精が自分の根底に根付いている。
店内を見渡すと前回同様誰もいなかったが、すぐにかたん、と音がして奥の部屋から誰かが出て来た。
店主である初老の男性だろうと思っていたアルフィーは棚の魔石の方を見ていたが、視界の端に真っ黒な髪が見えて視線を棚から工房の方へ向けた。
この前の店主は白髪混じりだったのに、黒髪?
「いらっしゃいませ」
現れた黒髪はびっくりするほど漆黒で、光に当たると青く光って見えた。
ラピス公国にだって黒髪はいるが、ここまで漆黒の髪は珍しい。ほとんどが栗毛と黒髪の間くらいの黒髪なのに。
視線が合った。相手も自分と同じ妖精の月の瞳を持っていて、青く光る黒髪の間からその瞳がアルフィーを見ているせいか、まるで夜空に浮かぶ本物の妖精の月を見ているのかと錯覚する。
いや、本物の妖精の月のはずはない。それは瞳と髪が夜みたいというアルフィーの感想で、どう見ても出て来たのは人。きっと少し前に懐かしい絵本を見たせいだ。絵本の中の夜の妖精は金の瞳と妖精の月の瞳を持っていたから。
ーーーモルガンは水でできた乙女だとデイヴが言っていた。
じゃあこんな夜の象徴みたいな目の前の人は本当に“人”なんだろうか。
「…妖精?」
「はい?」
思わず口を突いて出た感想に、目の前の女性が胡乱げに眉を寄せた。
その表情が人間で、アルフィーはやっと変な事を口走ったのだと自覚した。
初対面で“妖精”とか言われたら不審な目で見られても文句は言えない。
「いや…すみません。一瞬、本気で妖精かと思ったんで」
恥ずかしくてアルフィーは気不味い思いをしながらすぐに謝った。本当に何を初対面の人に言ってるんだ自分は。妖精がこの国ではポジティブな言葉でよかった。不美人の暗喩とかだったらこの女性店員に目も当てられない。
でも。
視線を女性店員に戻す。
宝石を溜め込む妖精の棲家みたいな店に美しい夜を切り出したかのような女性店員は、何だかとても神秘的にアルフィーの目に映った。
もうすぐ自宅になる家にアルフィーが帰ってくると、木とガラスの調和が美しい店からはまだ金の灯りが漏れていた。
もう閉店時間のはずなのに、と思って中を覗くと、ルークの店とはやや印象は違うものの、やっぱり宝石を溜め込む妖精の棲家みたいな店に青く光る黒髪が揺れたので、まだ彼女は仕事をしているらしい。
閉店プレートの掛けられたドアを躊躇いなく押し開くと、自分と同じ妖精の月の瞳が真っ直ぐにアルフィーを捉えた。
ーーーやっぱり夜の妖精なんじゃないだろうか?
青く光るほど黒い髪に妖精の月の瞳は何度見ても夜を象徴する妖精のようだ。甘え下手とか案外頑固な所とかお人好しな性格とか、もう十分彼女は妖精じゃなく人間だと知っているのに、初対面の時に持った印象は変わらない。
これで名前がエラなんだから、それこそ運命の悪戯というべきだろう。
「ただいま、エラ」
「おかえり、アルフィー」
エラが笑顔でアルフィーの腕の中に飛び込んでくる。
そんな彼女を抱き留めて思う。
ーーーやっぱりエラは妖精かもしれないな。
あの日、魅入られた黒髪に頬を寄せる。
勝手に突き放し、二年間も放置しても約束通り待っていてくれた。まるで忘れた頃に願いを叶えに来る妖精のように。
戻って来てくれた温もりは何物にも変え難く、彼女のおかげで楽に呼吸ができる気がする。
もう二度とこの温もりを手放したくない。
「…必ず幸せにするよ」
「どうしたの?突然」
「エラを溺愛する強敵相手に決意を固めただけ」
「ああ…お父さんね…。次の休みにアルフィーを連れて行くって連絡してから、不思議なほど返信がないのよねぇ…」
「嵐の前の静けさ?」
「かも。お母さんはちょっと諦めてるっぽい」
「湖群国立公園の一件があるからなぁ…あまり心象が良く無いかもしれないけど……認めてもらえるよう頑張るよ」
「まだそんな事気にしてるの?大丈夫よ、アルフィーなら」
腕の中でエラが微笑んだ。
エラの笑顔が曇らないよう一生努力しようと心の中で決意する。
彼女との幸せを守ろう。エラを裏切ったりなんか絶対にしない。彼女が幸せだといつだって思えるように、笑顔で日々を過ごせるように。
ーーーだってそうだろう?
妖精は幸せなうちは人から離れないのだから。
妖精話とか妖怪話とかって、基本的には不幸になると人の元を去る、あるいは人を殺しにかかってきます。東と西で同じような話があるのって面白いですよね。天女の羽衣とセルキーの毛皮とか。




