第35話 愛おしい普通
………………やっちまった。
改めて冷静になってみると、色々と『やっちまった』感がじわじわと頭の中に溢れ出してきた。
勢いのままに新幹線に飛び乗って陽菜に会いに行って、子供みたいに引っ越しするなと喚いたと思ったら、最後にはキスまでして。
「ゆーくん、どうしたの? 顔、赤いけど」
「いや……冷静になればなるほど恥ずかしくなってきたと思ってな」
「えー。いいじゃん別に。私は嬉しかったけどなー」
「…………そりゃよかったよ」
もういい。陽菜に喜んでもらえたのならなんでも。
「くちゅんっ」
陽菜の可愛らしいくしゃみで、二人ともずぶ濡れになっていることに気づく。
「あはは……流石にちょっと寒いね」
「帰るか……って、ここは地元じゃなかったな。どーすっかな」
「無計画に新幹線に飛び乗っちゃうからだよ」
「うるせー」
雨が止んだとはいえ、ここでじっとしているわけにもいかない。
こんなずぶ濡れの状態でいたら風邪をひいてしまう。
「…………それなら、さ。ウチに来る?」
水滴を頬から滴らせながら、陽菜は上目遣いで問うてきた。
「ウチっていうか……こっちでとってるホテルなんだけど」
「おまっ……!? な、ななななななな何言ってんだ!?」
「ち、違うよっ! 別に変な意味じゃなくてっ! あ……でも……」
陽菜は何かに気づいたようにはっとすると、
「ゆーくんとなら…………変な意味でもいいけど……」
「よくないだろ!?」
「だ、だって私……ゆーくんから告白されたし……って、そうじゃなくて! 家族でとってるホテルだから! パパとママも帰ってくるよ!」
「……………………………………………………!!!」
「ゆーくん!? なんで急に頭を地面に打ち付けてるの!?」
「離せ陽菜! 早とちりして邪な妄想をしてしまったこの頭をすぐに矯正するんだ!!」
「それはそれで嬉しかったから落ち着いてー!」
……と、そんなやり取りもありつつ。
近場にあるというホテルに向かい、陽菜の両親がとっている部屋へとお邪魔させてもらった。流石は天堂家というべきか、なかなかにお値段のかかりそうな部屋だ。
広いだけじゃなく、ベッドやソファなども高級感があり、品のある内装をしている。
「陽菜。お前は先に風呂入って、身体を温めとけ」
「ゆーくんは?」
「なんかてきとーに……バスローブでも着て待ってるよ。服も乾かさなきゃいけないし」
「そ、そっか……うん。じゃあ、先にお風呂借りるね」
ととと、と陽菜は小走りで浴室に入っていった。
一人残された俺はひとまず濡れた服を脱いで簡単にだが雨水をふき取り、バスローブに着替える。脱いだ服はてきとうな場所にかけて干しておき、それでもうやるべきことはなくなった。
手持無沙汰になった俺は、何となくベッドに腰かける。
家にある自分のベッドよりも寝心地が良さそうだ。
「……………………」
備え付けられているテレビも特に電源を入れることなく、ただ何となくベッドに腰かけているだけの時間。静かな室内に聞こえてくるのは、微かに漏れてくるシャワーの音で……。
(……………………もしかしてこれ、かなり不健全な状況なのでは?)
ホテル。シャワー。二人きり。バスローブ姿で待つ俺。
並べられた単語だけを見れば、不健全極まりない。
理性という名の鎖をありったけ持ってきて全身をガチガチに縛り上げなければうっかりと何かしてしまいそうになる。
「ゆーくん」
考え事をしているうちに、いつの間にか時間が経っていたらしい。
「私、上がったよ……?」
「お、おぉ……」
浴室から出てきた陽菜はバスローブに身を包んでおり、すっかり身体が温まっている様子だ。……風呂上りなせいだろうか。頬が微かに赤く、僅かに肌に残った雫がどこか色っぽい。
「じ、じゃあ、次……もらうわ」
「うんっ。えっと……ど、どうぞっ」
ぎくしゃくと、油の切れたロボットのような動きで、俺は浴室へと向かうのだった。
☆
「……………………」
「……………………」
風呂に入ってる間の記憶が一切なかった。とりあえず身体をしっかりと温めたことだけは覚えている。
だが風呂から上がったら上がったで、あとは服が乾くまで二人きりで待つしかないわけで。
「…………ゆーくんは、こっちに座らないの?」
「…………今は椅子に座りたい気分なんだ」
「…………そうなんだ」
「…………そうなんだよ」
今、陽菜の隣に座ったら確実にまずい。しかもベッドだぞ。無理に決まってるだろ。
「ゆーくん」
ふと、声が近くから聞こえてきて。
「陽菜……?」
向かい側の椅子に、陽菜が座っていた。
「…………私さ、嬉しかったよ。ゆーくんから告白されて」
「どうしたんだよ、急に」
「でも、さ…………私はまだ、ゆーくんに話してないことがあるんだ」
「話してないこと……?」
首を傾げる俺に、陽菜は苦笑する。
「ゆーくんの知らない、私自身のこと。もしかしたら……それを知ったら、ゆーくんは私のところから離れちゃうかもしれない。気持ち悪く思うのかもしれない。それでも……」
陽菜の顔はどこか悲しそうで。それでいて、怖がっているようにも見えて。
「それでも、知ってほしいの。私のこと」
悲しくても。怖くても。それでも陽菜の目は、真っすぐと俺を捉えていた。
「…………分かった」
だから俺も、陽菜の気持ちに応えたい。
「教えてくれ。陽菜のこと」
それから陽菜は俺に話してくれた。
天堂家で生まれてから、しばらく閉じ込められて育ったこと。
先祖返りのこと。陽菜自身が持つという、未来を視る力のこと。
「変だよね。急にこんなこと……おかしいよね」
「そりゃあ多少の混乱はしてるけど……今思えば思い当たるフシはあったし、何よりお前の目ぇ見りゃ嘘ついてないことぐらい分かるっての」
「……今はパパのツテを辿ってその力も抑えてもらってるけど、たまに漏れちゃうこともあるんだよね。夢で未来を視たりとか……天堂家に居た頃は分からなかったけど、ゆーくんと会ってからの私は、世界が広がったことで、それが普通じゃないってことが分かってきた」
きっと俺にはとうてい理解出来ないような悩みを、陽菜は子供の頃から抱えていたのだろう。俺が気づかないところで、俺が気づけなかった間に……。
「子供の頃は普通じゃないことが苦しかったこともあったよ。でもね、今は違うんだ」
「…………違う?」
「ゆーくんが私を変えてくれたから」
笑った。陽菜が、優しく。柔らかく。
「もしかしたら、どこかで何かが違ってたら。私の前には別の世界が広がってたんだと思う。この力を使って何かをするような……この力が中心に来ちゃうような、そんな世界が。……でも、ゆーくんがくれる『普通』の毎日が、私を『普通』の女の子にしてくれたんだよ。『未来が視える』とか。『普通じゃない』とか……そんな設定も、霞んじゃったんだ」
俺が知ってる、いつもの陽菜の笑顔だ。
「ゆーくんがくれたこの『普通』の日常が、とても愛おしいの。だから私は、もう平気。少し未来が視えるだけのただの女の子だもんね」
「…………ありがとな。話してくれて」
これを話すのはきっと、陽菜からしたって勇気のあることだっただろう。
「…………ゆーくん、怒ってる?」
「怒ってる」
「う……ごめんね。こんなこと隠してて」
「そうじゃなくて」
俺が怒ってるのはそこじゃない。
「この程度の事実を教えられたぐらいで、俺がお前を気持ち悪く思ったり、お前の前から居なくなると思われてたことに怒ってるんだよ」
そもそも、そんな特別な力のことを隠そうとするなんて当たり前だ。
天堂家の連中に閉じ込められていた時期があったならなおさら。
「俺は、置き去りにされた側がどれだけ辛いかを知ってるぞ」
「あ…………」
元の家族に、俺は愛してもらえなかった。俺だけが置いていかれてしまった。同じ思いを陽菜にさせるつもりなんてない。
「それにな。特別な力を持ってたからってなんだ。俺からしたら、そんなもんはただのオプションだ」
「お、オプションって……これでも結構凄いんだよ?」
「そんな力があろうがなかろうが、お前が傍に居れば、それだけで俺にとっての普通になるんだよ」
「…………そっか」
本心を言ったつもりだけど。これで少しは安心してくれただろうか。でも……なんか、ちょっと恥ずかしくなってきたな。……ああ、くそっ。だめだ。何か話題でもないか。話題……。
「そ、そういえば、さ。陽菜の両親もこの部屋に泊ってるって言ったよな」
「そうだよ。今日はみんなでお買い物してたんだけど、私だけ先にホテルに帰ることにしたの。パパとママは久々の休日だし、夫婦水入らずで楽しむことも必要かなって思って。それがどうかしたの?」
「お前の引っ越しの件、まだ相談してなかったなって思ってな。俺のワガママだし、頼むなら直接頼もうと思って……」
「その引っ越しの件なんだけどさ……ゆーくんは誰からきいたの?」
「母さんだけど」
「そっか。ゆーくんママが……なるほど……どうりで……」
何やら一人で納得している陽菜。
「つーか、そんな大事なこと、なんで俺に教えてくれなかったんだよ。そもそもお前、最近なんかよそよそしかったっていうか……」
「あはは……ごめんね。よそよそしかったのは、ちょっと事情があって……もう大丈夫だから。それと、引っ越しの件だけど――――」
「…………っ……」
陽菜はなぜ俺に教えてくれなかったのだろう。
引っ越しするなんて大切なこと……。その理由が気になっていた。心のどこかで引っかかっていた。本人の口からそれを聞かされるのはやっぱり、緊張してしまう。
「それね、誤解だよ」
「…………………………………………えっ? 誤解?」
くすくす、と。陽菜は楽し気に笑っている。
「確かに引っ越しはするよ。あの部屋も引き払う。でもこっちに来るのは、パパとママだけ」
「おじさんとおばさんだけ? じゃあ、陽菜は…………」
「うん。向こうに残るよ。別の家に引っ越すけど」
「はぁああああああああああああああああああ!?」
なんだそれ聞いてねぇぞ!!!
「どーいうことだよ!? じゃあなんで母さんは、まるで陽菜まで引っ越すような口ぶりを……!」
「ん――――……ゆーくんを焚きつけるためだったのかも? それか、私を応援してくれてたとか」
「あんにゃろぉおおおおおおおおおお!! 嵌めやがったな!!!」
完全にしてやられた! あの母さんならそれぐらいのことはやりそうだ!
「……って、ちょっと待て。今の家は引き払うんだよな? じゃあお前は、結局どこに引っ越すんだ?」
「その様子だと、ゆーくんママから何も聞いてないみたいだね」
陽菜は悪戯っ子のような顔をして、にやにやとしながら俺の顔をうかがっている。
「ふふふ……ゆーくんを驚かせるために後で言おうと思ってたんだけど……じゃあ、当日のサプライズってことにしておこうかな」
「なんだそりゃ……」
「少なくとも前の家よりは、ゆーくんと近くなるよ」
「近所ってことか……?」
「さあ、どーでしょー」
分からない。それ以上のことを陽菜は言う気はないようだし……。
「どこに引っ越してくるんだ……?」
結局、その日は服が乾いておじさんとおばさんが戻ってきた後は、話もそこそこに地元に戻った。
――――俺が陽菜の引っ越しを知るのは、それから数日経った時だった。
「……………………………………………………」
段ボールに詰められた大量の荷物が、家の中に運び込まれている。
もしかして、ここが陽菜の引っ越し先なのだろうか。
「なあ、陽菜」
「なぁに?」
「引っ越し先って……ここか?」
「そうだよ。前の家より、ゆーくんと近くなったでしょ」
「いや、近くなったっていうか………………………………」
陽菜の引っ越し先。それは、
「………………………………ここ、俺の家じゃん」
そう。陽菜が引っ越してきたのは、月代家だった。
正確には、俺の自室の隣なのだが。
「本当は一人暮らしをしようと思ってたんだけど、セキュリティーとか考えるとねーって悩んでたら、ゆーくんママが提案してくれたの。『もう半分住んでるようなもんじゃない』って言ってくれたんだー。ありがたやー」
「あ、そうスか……………………」
わざわざ学園をサボって新幹線に飛び乗ってきた俺の苦労は一体……。
「ゆーくんママはね、『あの子とは幼馴染なんだから遠慮する必要はない』って言ってくれたんだけどさ」
陽菜は背伸びをして俺の耳元に顔を近づけると、小さく囁きかけるように、言った。
「…………私たち、恋人になっちゃったね」
今、俺の隣に居るのは幼馴染だけど。
同時にその子はもう――――大切な彼女にもなったんだ。
「よろしくね、私の彼氏さん」
「……ああ。こっちこそ」
俺は家族に捨てられた。もう二度と捨てられたくなかった。だから、誰かに愛してほしかった。でも今は違う。
誰かに、じゃない。
たとえ世界中の人間から愛してもらえなくてもいい。家族に捨てられてもいい。
隣にいるたった一人に愛してもらえば――――それでいい。
「お前が居れば、それでいいんだ」
なんか久々の更新になりましたが、これにて第一章が終了となります。
別作品の更新を優先しており、こちらの方が滞っておりました。
申し訳ありません。多分これからもかなりのんびりなペースになると思います……!
これまでが言うなれば『幼馴染編』でしたが、次回からは『恋人編』になります。
もうちょっと詳しくすると『幼馴染のことは知ってるけど恋人のことは知らない』編になると思います。
最初はただの短編(第一話目)で完結していたのでここまで続きがかけるとは自分でも思っていませんでした。
ラブコメなのに謎ファンタジー設定を持つ陽菜ちゃんですが、最初はこういうファンタジー設定を持たせることで「この世界観はなんでもあり」であることを示しておき、何らかのイベントを起こすためのギミック+言い訳にしよう……と思ってつけたものでした。(星野灯里ちゃんの開発設定も同じ)
ですが最終的に「普通じゃない」からこそ「普通の日常」を愛おしく感じるんだ、という方向に落ち着きました。(行き当たりばったり)この作品は日常ラブコメです。
※ちなみに世界線が違えば陽菜ちゃんは天堂家の若き当主(予知の巫女)として登場し、バリバリの現代異能バトル作品のキャラになります。この世界線でもそうなる可能性はありましたが、雄太との出会いをきっかけにして見事日常ラブコメものヒロインとして「普通の女の子」になりました。
とはいえ現代異能モノの世界線でも、何やかんや雄太とは別の形で出会って結ばれるんだろうなぁとは思ってます。




