第27話 球技大会のあと
「ふいー。さっぱりー」
満足げな声を共に、相も変わらず我が家の風呂を使って汗を流した陽菜が俺の部屋に入ってきた。しかも今回は俺のお気に入りのシャツを着ていらっしゃる。
「ゆーくん、上がったよー。次どーぞ」
「……なんでお前の方が先に入ってんだか」
「だって汗くさいままなのは嫌だもん」
「別に気にしねーって言ってんのに……」
「私が気にするの。……ゆーくんはアレだよね。女の子への気遣いとか、さりげない優しさを身に着けるべきだよ」
「具体的にはどうするんだよ」
「私をたくさん甘やかす!」
「ぬかせ」
というわけで、俺もまた球技大会でかいた汗を流すべく風呂に入った。
脱衣所のカゴに入っている衣類から出来るだけ目を逸らして、今日一日の疲れと汚れを洗い流す。
風呂から上がってリビングに寄った際、冷蔵庫に入ってある棒アイスを二本ほど拝借。
選んだのは、いちご味とソーダ味。溶けないうちに階段を上ってまた自分の部屋に戻ると、陽菜は俺のベッドの上に寝転びながら漫画を読んでいた。
「おかえりー。これ面白いね」
「だろ。最近開拓した。アイス、食うだろ」
「私いちごがいい」
「だろうと思って、持ってきた。ほれ」
「ナイスキャッチ」
「自分で言うな」
「私がいちご味欲しいってよく分かったね。ゆーくん、未来予知でもした?」
「そんな御大層な芸当が出来るかよ。お前が何選ぶかぐらい、こんだけ幼馴染やってりゃ分かるっての」
俺はソーダ味の方を袋から開けて、一口。
冷たくてソーダの味が微妙にしか分からないが、疲労した身体には丁度いい。
「はむっ。んー……幸せー」
「大げさだな。スーパーで売ってるようなフツーの棒アイスだぞ」
「私は庶民派だからね」
「だから自分で言うなっての」
陽菜はベッドに寝転がりながら漫画を読みつつ、アイスを頬張っている。
人様の家でここまで好き放題出来るのも幼馴染故の遠慮のなさなのだろう。まあ、俺の場合は仮にこいつの部屋に居たとしてここまで好き放題しないけど。
「ゆーくん。突っ立ってないで、こっちに来なよ」
「お前がベッドを占領してんだろ」
「遠慮せず入ればいいじゃん」
「寝転がってるやつが言うセリフじゃねぇ!」
「ゆーくんはワガママだなぁ……仕方がないから、場所を空けてあげるよ」
「一応言っておくがそれ、俺のベッドだからな?」
陽菜はやれやれとでも言わんばかりに起き上がり、ベッドに腰かける。
その隣に、ちょうど一人分が座れそうなスペースがぽっかりと出来上がって。
「ん。どーぞ」
空いたスペースに、陽菜がポンポンと手を叩く。
ここに座れとでも言いたいのだろうか。
別に隣に座る必要なんてない。勉強机の椅子にでも座れば…………いや。なんでだ。今までなら普通に隣に座ってただろ。なんで俺が遠慮しようとしてんだ。
「……ありがとよ」
「えへへ。どういたしまして」
陽菜の隣に腰かける。隣からシャンプーの甘い香りが漂ってきて、身体が妙にこそばゆい。
「今日の球技大会、すごかったねー」
「氷空があそこまでやる気になるとはなぁ……」
結果だけを告げるなら、俺たちのクラスは総合得点での優勝を逃した。が、男子部門……つまりサッカーでは優勝した。
まあ球技大会の結果にさほど意味があるわけでもない。勝敗だってお飾りみたいなもんだし。
ただまあ、やる気を出した氷空は結構な注目を浴びていた。
元々見た目が整ってるやつだし、女子からの人気もあったので、あの大活躍で更なる人気を獲得したことは間違いない。決勝なんか黄色い歓声独り占めだったし。
「ちくしょう! みんな氷空のことばかり応援しやがって! そりゃあ、確かにアイツは活躍してたけど! でもそれは俺のアシストあってのことだとなぜ分かんねーんだよぉ!!」
「まあ、別にみんなサッカー詳しいわけじゃないし、どうしても派手なかざみんの方に注目しちゃうよね」
「…………俺だって、俺だって頑張ったのに……なぜ氷空みたいにモテないんだ……!」
「…………えっ。それ本気で言ってるの」
「本気に決まってるだろ!」
「えー……ゆーくんだって、他の女の子からなんか言われてたじゃん。見直したとか」
「『ちょっと見直した』とか! 『……意外とやるじゃん』とか! そういう再評価止まりのやつばっかだったぞ! 氷空にはあんだけ『きゃー! かっこいー!』『風見くんこっち向いてー!』とか言われたのに!」
「あのね、ゆーくん。言葉の表面だけじゃなくてもっと女の子の表情とか空気というものを……まあいいや」
「よかねーよ! くそぉ! この球技大会で俺はモッテモテになる予定だったのによぉ!」
「その予定は永遠に削除してほしいねー」
「お前は鬼か!」
「あははっ。いいね、いっそ小悪魔にでもなっちゃう?」
「ならんでいい」
陽菜が小悪魔かー……似合う気もするけど。
「そーいえばさ。あの試合、ほしのんも見てたよ」
「そうなんだ。保健室で倒れてたんじゃないのか?」
「王子様探し用に、こっそりドローン飛ばしてモニタリングしてたみたい」
「こっそりで飛ばしていいもんじゃねぇよ」
「ベッドで寝転びながら見てたよ。ゆーくんとかざみんが応援してくれたから、わたしもって言ってた」
意外と律儀なところがあるんだな。
「試合が終わったあとね、かざみんとお話するって言ってた」
「そーいえばあいつ、放課後になるとどっかに消えてったな……」
あれは星野さんと話をするためだったのか。
「あの二人、良い感じじゃない?」
「まあ知らぬ間に仲が深まってたりするしな……」
案外、氷空の恋愛拒絶主義が解ける日も近いのかもしれない。
「ごちそーさま。ほいっ」
陽菜は食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に放り投げる。棒は空中で綺麗な弧を描くと、見事に箱の中へと納まった。
「よしっ。ナイスゴール」
「ごみを投げるな。お行儀悪いぞ」
「いいじゃん別にー。ここには、ゆーくんしかいないんだし」
「それもそうだけど……さ」
同じように俺も食べ終わったアイスの棒を放り投げ、ゴミ箱に入れる。
「ゆーくんもお行儀悪いぞー」
「ここにはお前しかいないからいいんだよ」
アイスも食べ終わり、なんとなく話題も尽きて互いに黙り込む。
窓の隙間から流れてくる風は心地良く、どうにも眠気に誘われる。
「んー……なんか眠たくなってきちゃった」
「俺も……晩飯まで寝るか……」
「じゃあ私もここで寝るー」
「帰って寝ろ」
「やだー……ゆーくんのベッドがいい……」
「俺のベッドだから俺が使うのは当たり前だろ」
「だってさー……ゆーくんのにおいがして、落ち着くんだもん」
陽菜もかなりの眠気に襲われているのだろう。
その華奢な身体で、俺の肩に寄りかかってきた。
「ふふっ……シャンプーの香りがする。なんか、私のと違う感じしない?」
「同じものを使ってるはずなんだけどな」
「なんでだろーね……」
まずい。陽菜のやつ、このままじゃ本当に寝てしまいそうだ。
「こらこら。送ってやるから、お前は帰って自分のベッドで寝ろ」
「やだー……」
そして陽菜は、俺のシャツをきゅっと握りしめる。
「だって……家に帰っても、一人だし……」
……そうだ。そうだった。
陽菜は帰っても、あの広い家に一人ぼっちなだけで。
「……じゃあ、ここで寝てろ。俺はリビングで寝る」
「んー……いっちゃやだ」
陽菜は手を離さない。うとうととしながらも、それでも手だけは離さない。
「ゆーくんと一緒がいい」
「一緒ってお前な……」
こいつ眠すぎて自分でも何言ってるかよく分かってないんじゃないだろうな……。
「前みたいにぎゅってしてよー」
「……なんで」
「あれされると、寂しくなくなるもん……」
……こいつにそれを言われてしまっては、俺にはもう抵抗する手段がない。
観念してベッドの中に陽菜と二人で入ってやる。すると、陽菜は俺の胸元に顔を埋めるようにして抱き着いてきて。
「んー……あったかい……ゆーくんのにおいだ……」
満足そうに頬を緩ませながら、一人すやすやと眠ってしまった。
「……俺は結構、お前のことは甘やかしてる気がするぞ?」
本人は、そんな言葉を聞いているはずもなく。
穏やかな寝顔を浮かべて、眠りの世界へと旅立っていった。




