第20話 幼馴染と過ごす夜②
「泊り……? いや、でも明日学校あるし……」
「朝はちょっと早めに出てさ。鞄とか制服とか取りに戻れば大丈夫だしっ。何なら、私が取りに行ってあげるからさ」
朝は惰眠を貪りたい派ではあるが、そこまでさせるつもりはない。
逆に陽菜に悪い気がして眠ろうにも眠れないというか。
「流石にそれは自分で取りに行くけど……どうした? 急に」
「えっ!? だ、だってほら。もう遅い時間だし。一人歩きは危ないかもだしさ……」
珍しく。陽菜にしてはしおらしいような気がする。
まあ、それは……おじさんとおばさんのこともあったしな。
「…………だめ、かな?」
この家は広い。
間取りもそうだが、間取りだけの問題じゃない。
きっとそこにいるべき人がどこにもいないからで。
陽菜が一人で過ごすには、この家は広すぎる。
(……だからか)
陽菜がよく家に来るのもきっと、この部屋に居たくないからなのかもしれない。
――――誰もいない、この部屋に。
「…………だめじゃない」
☆
ひとまず、陽菜の勧めもあって俺は風呂の方を貰うことにした。
普段使っているものよりも綺麗で高級感のある浴槽に浸かりつつ、全身をじっくりと温める。
(いつもと逆だなぁ……)
普段は陽菜が俺ん家の風呂を使っているが、今夜は逆になっている。
「ゆーくん」
一人でちょっと笑っていると、扉に小柄なシルエットが映った。
「着替え、ここ置いとくね」
「ん。さんきゅー」
「パパのだからちょっと大きいかもだけど、そこは我慢ね」
「おじさん、体格が良いからなぁ……」
なんでも学生時代はサッカー部でインターハイまで出場したとか。
幼い頃に何回か、一緒にボール蹴ったことがあったっけ。
その後、風呂からあがった俺はおじさんの少し大きめのパジャマに袖を通した。
「お風呂、どうだった?」
「丁度良い湯加減でよかったぞ。ありがとな」
「いいよ。むしろ、お泊りをお願いしたのは私だしね」
どうやら陽菜はソファーに座ってタブレットで動画を眺めていたらしい。
「明日は早いし……もう、寝よっか」
「……そーだな」
とりあえずもう使わない部屋の電気を消していく。
「ゆーくんはパパとママの寝室を使ってね。あそこのベッド、広いしふかふかだし寝心地抜群だから」
そのお言葉に甘えて寝室に行くと、上質なダブルベッドが置かれていた。
あらかじめシーツも洗濯していたのだろう。寝転んでみると、太陽の香りが鼻腔をくすぐった。
(これも準備してたんだろうな……)
料理だけじゃない。このシーツも洗濯されていたし、部屋だって隅々まで掃除されていた。
それだけ二人が帰ってくることを楽しみにしていたのだろう。なのに、帰ってこれなかった。
「…………」
どうしようもないことだ。それはきっと陽菜も分かっている。分かっているからこそ……。
「……寝るか」
今更こんなことを考えても、仕方がない。
俺に何かが出来るわけじゃないのだから。
陽菜も今頃、自分の部屋で寝ているだろうし。
部屋の電気を消して、ベッドに寝転がって、瞼を閉じて。
それで明日がやってくる。
☆
「………………………………」
今何時ぐらいだろう。
それなりに時間が経ったかと思うけど、意識は眠りについてくれない。
すると、閉じた瞼。闇に覆われた視界の中で扉の開くような物音が聞こえてきた。
それから、ぎしぎしとベッドに何かが乗ったような、スプリングの音。何かが布団の中に入り込んできた。
背中合わせになっていて、顔は見えないけど誰かは当然分かる。
「…………陽菜か」
「あ、ゆーくん起きてた?」
「寝れなくてな。……で、お前はなんで布団に入ってきてるんだ」
「えへへ。実は私も眠れなくてさ。一緒に寝ようかなーって思って」
「一緒に居たらむしろ目が覚めるだろ」
「そーかな。ゆーくんといると安心するから、逆に寝れるかもしれないよ?」
そんなもんなのかな。……まあ、安心するっていうのは、同意だけど。
「…………」
「…………」
瞼を閉じる。またしばらく時間が経ったけれど、
「眠れないねぇ……」
「眠れねぇなぁ……」
「ちょっと話でもしよーよ」
「別にいいけど」
「ふふっ。なんか、旅行みたいでワクワクするねー」
「普通にド平日だけどな」
陽菜と話していると、どこかほっとする。安心する。この安堵感がそのうち、眠気にでも変わるのだろうか。
「……今日は、ありがとね」
「何が」
「色々。お買い物もそうだけど、わざわざご飯食べに来てくれたり。こうして、泊まってくれたり」
「……別に。お前のためじゃねーよ」
「そーいうことにしといてあげる」
「……そりゃどうも」
買い物は、おじさんとおばさんが帰ってくるっていうから俺も何か手伝いたかっただけだし。ご飯を食べに来たのは……自分でもよく分からない。ただそうしなければならないと思っただけだ。
「……お前さ、おじさんやおばさんと画面通話で話したって言ってたよな」
「うん。それがどうかしたの?」
「文句、言ってやったのか」
「あはは。そんなの言うわけないじゃん。向こうは大人で、仕事だってあるんだよ。そっちを優先するなんて当たり前だよ」
「それで納得してるのか」
「してるよ。仕方がないことだし、言ったでしょ。私もう高校生だよ? 親が帰ってこないぐらいで寂しがるとかさ。子供じゃないんだから」
「子供だろ。俺もお前も」
そう。俺たちはまだ子供だ。まだ十六かそこらの子供でしかないのだ。
無理に大人になる必要なんて、どこにもない。
「寂しいなら寂しいって言えよ。画面通話の時も、いっそ怒ってやればよかったんだ。ワガママを言ってやればよかったんだ。そうやって押し込めて我慢しようとするのは、お前の悪い癖だぞ。バカ陽菜」
「……いいのかな。ワガママ言って」
「いいんだよ。俺が許可する」
「ふふっ……なにそれ」
「うるさいな。幼馴染が許可してやるって言ってるんだよ」
自分で言ってて恥ずかしくなってきた。……これも陽菜のせいだな。
「……じゃあ、ワガママ言っていい?」
「……おじさんとおばさんの代わりに聞いてやるよ」
あくまでも俺は代理でしかないけれど。
それで陽菜の寂しさが少しでも和らぐのなら、いくらでも。
「……ゆーくん。こっち向いて」
言われた通り。
寝返りを打って、ベッドの上で陽菜と向き合う。途端に、陽菜は俺の胸の中に身を寄せてきた。
「パパとママが忙しいのは分かってる。その原因の一つに、本家から私を守ることも含まれてることも。だからこれ以上……ワガママ言っちゃダメだって、頭では分かってるんだけど……ダメだね、私。それでも帰ってきてほしかったって、思っちゃうんだ」
電気の消えた寝室で。陽菜の声が胸に染みる。
「本家にいた頃は思わなかったんだけど……一人で居るのはやっぱり、寂しいよ。今日は帰ってきてほしかった。久しぶりに一緒に過ごせるって思って、ずっとワクワクしてたのに。お掃除もお料理も頑張ったのにさ。……酷いよ。寂しいよ」
押し込めていた心の声。それが今、吐露されている。
「だから……本当にね、嬉しかったよ。ゆーくんが来てくれた時」
気づけば俺は、陽菜の頭を撫でていた。
陽菜は気持ちよさそうに目を細める。
「もう寂しくないよ。ゆーくんの身体、温かいもん」
「……そうか」
俺も同じだよ。陽菜の身体は、温かい。
そんなこと、口には出せなかったけど。
「……ゆーくん。お願いがあるの」
「……なんだ。言ってみろ」
「……朝まで、私を抱きしめて?」
いつもならここで「なんでだよ」とか「何の意味があるんだよ」とか言ってたかもしれないけど。
今日ばかりはこいつのワガママを聞くと決めていた俺は、静かに陽菜の身体を抱きしめた。




