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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第6章 再生
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(8)あなたのためについた嘘

 美月はクッと顔を上げ、


「ええ、そうでしょう? 気にしないで、本当のことだから」

「まさか……君が、本当にこんな真似をするなんて……」


 悠は眉を顰め、首を振って大きなため息をついた。

 知られたら責められることは覚悟の上だ。だが、ここまで残念そうにため息をつかれては、美月もムッとしてしまう。


「お話はそれだけかしら? そんなことのためにこんな遠くまで……」

「離婚の時期は任せると言ったのは君じゃないか? それを……こんなに早く精子バンクを利用するなんて」


(……え?)


「そこの通路を案内されてやって来たんだ。窓から、精子バンクの件がどうとか……聞こえてきてビックリした。その準備をしているのかと思って……でも、違ったんだな」

「えっと……」


 もう五ヶ月目に入っている、と言えば伝わるだろうか?

 だが、この調子なら……『日本に来たときにはもう妊娠していたのか!?』と言われそうな気がする。そもそもボストンに戻って計画を即行しても、お腹が目立つほど大きくなるのは秋になるだろう。

 男性というのは総じてこんなものなのかもしれない。

 だが……。

 美月は大きく深呼吸する。


「そうよ。あなたにはフラれちゃったし、次の恋まで待てなかったの。いつ離婚届けを出してくれたのか知らないけど、日本に出生届を出したら、あなたの実子になってしまうわね。そのときはまた面倒をかけるけど……」 

「電話で話してたミスター・コリガンというのは?」

「は……?」

 いきなり何を尋ねるのだろう?

 美月は首を捻りつつ、

「ニューヨークにある精子バンクのひとつ、ファーティリティセンターの責任者兼コーディネーターよ。以前からいろいろ相談に乗ってもらっていて……」

「……その男はコリガン一族の御曹司なんだ」

 悠はしみじみと口にしている。

「ええ、そうよ。だから、何? 何が言いたいの?」

「さっき僕を案内してくれた男性……ジュードだっけ、彼が言ってた。君がミスター・コリガンとデートしてるって」

「だから?」

「子供の父親がミスター・コリガンという可能性はないのか?」


 引っ叩いてやろうかと思った。

 悠は何が言いたいのだろう。彼に『愛してる』と言ったその数日後に、他の男のベッドに飛び込んだと思いたいのだろうか? 

 そう言ってもらえたら、彼は満足なのか……。

 愛していないのなら、一生放っておいて欲しかったのに。美月を侮辱するために、こんなところまでやって来る神経がわからない。


(一生に一度ぐらい、バカになってみようかしら? 泣いてわめいて、あなたは最低だって責めたら……悠さんもビックリして二度と来ないかも……)


 それでも、美月には恋に取り乱すことができない。

 好きな気持ちは嘘ではないのに……美月は呼吸を整え口を開く。


「あるかも……しれないわね」


 悠が息を呑むのがわかった。


「あなたに教えてもらったセックスは最高だったから、ボストンに戻っていろいろ試してみたのよ。彼もそのひとり」

「君は……婚外交渉の倫理観にはうるさかったはずだが……」

「そのお説教をあなたがするの? 自分にその資格があると思ってるの?」

「……いや」

「とりあえず、精子バンクの可能性が一番高いわ。いいのよ、別に、どちらでも。私の子供であればいいんだもの。遺伝子上の父親なんて……わからなくても人は生きていけるわ」


 美月の言葉を悠は視線も逸らさずに聞いている。

 逆に、美月のほうが後ろめたくなって背を向けた。


「美月……僕にできることは?」


 その声は静かに震えていた。


「たとえば? あなたに何ができるの?」

「……君が望むことなら、なんでも」


 なんでもくれると言いながら、美月が本当に欲しいものはくれないのだ。

 突き返された“愛”を、もう一度求める勇気はない。それに、美月の中には悠からもらった子供がいる。それはふたりの“愛の証し”ではないけれど、美月が悠を“愛した証し”だ。

 美月は振り返り、悠に向かって精一杯の笑顔を見せる。


「もう……ないわ。あなたから欲しいものは……もう、何もない」

「そうか……わかった」


 短い返事とともに、悠も微笑んだ。


「もし僕に用があったら、弁護士に連絡を取ってくれ。それじゃ……仕事の邪魔をして悪かった。元気な子供が生まれることを祈ってる」

「あ……いつまで、こっちにいるの? 泊まるホテルは決まってる?」

「いや、すぐに日本に帰るんだ。おそらく、二度とボストンには来ない。だから、君や子供に会うこともないだろう……」


 もう二度と悠に会えない。

 彼の言葉を聞いたとき、美月の心を縛りつけた鎖がギシギシと軋んだ。膨れ上がった感情が抑え切れずに暴走してしまいそうになる。

 なぜこんなことを言うのだろう?

 ここまで来て、どうして美月の心を乱すようなことを……。


「余計なことを承知で言うが、そのミスター・コリガンと再婚を決めるときは、慎重にしたほうがいい。君のお父さんは素晴らしい人だけど、世の中の多くの男は違うはずだ。君には……誰よりも幸せになって欲しいと思ってる」

「……」

 美月は無言でふたたび背中を向ける。

「ごめん。君を傷つけた僕が言うべき言葉じゃないな……それじゃ」



 背後でドアが開き――。



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