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愛は満ちる月のように  作者: 御堂志生
第6章 再生
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(6)リスタート

「なんで逃げるのよっ!? 逃げるなら、自分が全部悪かったって認めて行きなさいよ!」

 悠が追いついたとき、桜は廊下の真ん中で沙紀を捕まえていた。

「私のことはどうでもいいのよ。本当に結婚したかった訳じゃないんだから……でも、お兄ちゃんはあなたのせいで弁護士になるのを辞めたのよ! 家も出て、家族がバラバラになったのも全部あなたのせい。下ふたりは能天気な性格だけど……私はそうはいかないわ!」 

 

 今にも大泣きしそうな桜を引き止めようとしたとき、沙紀は力任せに手を振りほどいた。


「ホント、あんたたちっておめでたい性格してるわよね。あんな……あんな男、父親なんて呼びたい訳ないじゃない。金になるからに決まってるわ。ちょっと騒いだら、会社の人間がやって来て、すぐに口止め料を払ってくるんですもの。こんなぼろい商売やめられないわよ」

「なんですって!?」

「桜、やめろって」


 ふたたび沙紀に掴みかかろうとする桜を悠は必死で止める。


「それもこれもあなたのおかげよ、悠くん。簡単に罠に落ちてくれちゃうんだもの。いい勉強になったでしょ? お菓子の家をみつけても、喜んで飛びついたらいけないって」

「ああ、魔女が待ってたな……でもあの話の結末は、魔女はかまどで死ぬことになるんだが」

「その魔女の誘いに簡単の乗ったは誰なの? 今思えば惜しいことしたわね。妊娠を盾にして結婚を迫ればよかったわ。そうしたら慰謝料でもっと稼げたのに」

 沙紀の悪態に、これまで感じてきたやり場のない苛立ちは覚えなかった。

「むしろ、そうして欲しかったよ。姉だなんて言わなきゃ、死んでも口にしなかった“中絶”なんて言葉は……」

 ずっと引きずってきた大きな後悔。大切な価値観を根こそぎ奪われ、踏みにじられた悲しみはいまでも消えない。

「よくあることじゃない。いつまでもこだわって……ああ、だから奥さんにも逃げられたのかしら?」

 両手を上げ、嘲笑を浮かべて答える沙紀の姿は、これまでと違って見えた。

「ひょっとして……あんたは本気で僕らと姉弟になりたかったのか? 父に捨てられた憎しみじゃなくて……もし、本当の父親だったらって」

 悠の言葉に、沙紀は極端なほど声を荒げ――。


「違う! 違うわ、絶対に違う。本気で羨ましいなんて思ったこともない。バカバカしい。もういいわ……もう充分だもの。ルールを押し付けられるのは嫌いよ。面倒くさいのも。あんたたちの父親に言っておきなさい! 妙な真似したら、私だってタダじゃ済まさないってね」


 その声はかすかに震えていた。さらに逃げ腰で言われては迫力に欠ける。

「自分で言ったらいい。あの人はたぶん、本気であんたに関わるつもりらしいから」

 沙紀は悠に関わり続けた。それは否応なしに一条家……父から離れずにいたということ。まともな人生を捨ててまで執着したかったのは……。

「ほーんと、ボーヤは人が好いわね。少しは頭を使いなさいよ。ちょっとでも自信があったら、財産分与や養育費、慰謝料狙いでいくに決まってるじゃない。そのほうが確実に一生搾り取れるんだから……」

「――それは」


 沙紀に真意を問い質そうとしたとき、数人の看護師が駆け寄ってくる。

「大きな声が聞こえましたが、何かありましたか?」

「ああ、いえ、すみません。ちょっとした行き違いがありまして……」

 病院内でそういった騒ぎは起こさないでください、と注意を受けている間、沙紀は悠たちに背を向けて姿を消した。


「何が、一生搾り取れる、よ。結局、最後まで謝らなかったわね。最低の女」

「いや……」

 最後の言葉、あれはおそらく――。

 そのまま空を睨んで黙り込んだ悠の顔を、桜は不思議そうに覗き込む。

「何?」

「人も人生も複雑過ぎる。もっとシンプルに生きられたら楽だろうな……おまえみたいに」

「私は真とは違うわよ! どっちにしても一番複雑なのはお父さんだわ。何考えてるのか全然わからない。あの女の化けの皮を剥がすために養女にするなんて言ったのよね? まさか、本気じゃないわよね?」

 悠に聞かれても、だ。

 父の考えが悠にわかるなら、情けないことに三十歳にもなって悩んでなどいないだろう。

「父さんの考えなんかわかるもんか。でも僕は……」


 ふと思いつき、悠は病室に駆け戻った。



~*~*~*~*~



『沙紀の母親? もちろん、若さゆえに先走ったところは否定しないが、愛していたから結婚したんだ。二度目の結婚は……式まで挙げながら取りやめにしたのは、愛じゃないと気づいたからだ。夏海とおまえを捨てたのは……愛されてない、私の子どもじゃないと思い込んだからだよ。自信がないくせに、プライドだけは高かった。おまけに、過ちを訂正する勇気もなかったんだ』


 “長男だから”と言われて育ち、細かく干渉されるのが嫌だったという。最初の結婚の失敗を指摘されるもの嫌だった。会社も継がず、家を出て、長男の権利とともに義務も放棄した親不孝者だった。


『おまえも親に干渉されたくないはずだ。手を貸さなくても、ひとりで立派に乗り越えて一人前の男になる――そう思っていたんだが……』


(そんなところで切るなよ。母さんまで同情のまなざしを向けるのはやめてくれ! 僕は……僕だって……)



 ――当機はただ今より五十分ほどでボストン、ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に到着いたします。


 機内アナウンスにハッと目を覚ます。

 体内時計は深夜だが、現地時間は昼前だ。仮眠を取ろうとしたがろくに眠れず、今になってウトウトしてしまったらしい。 

 機内の様子をぐるりと見まわし、比較的ラフな格好をした若者が多いことに気づく。七月の最終週、夏休みの時期だけに学生が多いのかもしれない。


 美月と別れてから三ヶ月が過ぎた。

 言い訳ができるとすれば……迷っていた訳ではなく。物理的に二ヶ月の時間がかかってしまった。


(でも冷静に考えたら……「なんの用?」とか聞かれそうだな)


 悪い方にばかり想像するなら、美月はすでに新しい人生を歩き出している可能性が高い。前向きで無駄な後悔はしないタイプで……変な話、悠より女々しくない。

 だがそれでも「愛してる」の言葉を伝えて、求婚するつもりできたのだが……。


(三ヶ月遅かったわね……と言われて、追い返される気がしてきた)


 悠との経験を活かして、新しい恋人をみつけた可能性だってある。

 その場合は、お祝いを言うのがせいぜいで、求婚どころではないだろう。いやその前に、謝らなければならないことがあった。


 ローガン空港に降り立つのは六年ぶりだ。

 ニューヨークまでは来ても、どうしてもここに来ることができなかった。


『お兄ちゃんが完璧主義なのは知ってるけどね……』

 ため息をつきながら桜が口にした言葉を思い出す。

『女ってね。何はなくとも、すぐに追いかけて欲しいものよ。できれば空港辺りで呼び止められて……愛してるから行くなって抱き締められたら……きっと落ちるわ。ま……それを考えたら、今からどんなに急いでも手遅れなんだけど』

『そんな可哀想なこと言ってやるなよな。兄貴は兄貴なりに頑張ってるんだよ。やるだけやってフラれたら、諦めもつくさ』

 笑いながら慰めにもならないことを言ってくれたのが真だ。

 どん底の悠を見ていたら殴るに殴れない。自分が美月のもとに行けるのは来年以降だから、それまでにフラれてくれたらいい。あとは自分が引き受けるから……と爽やかに言われてしまった。


 父は本当に事務所を畳むつもりらしい。

 後を継ぐ気になっていた真は落ち込むか、と思いきや……プレッシャーがなくなって随分楽そうだ。紫にしても同じで、とりあえずほぼ両親を独り占めできるのが楽しいようだ。


(でも沙紀は……いや、今はそれどころじゃなかった……)


 悠は空港からタクシーで、ボストン・ガールズ・シェルターのあるクーリッジコーナー駅へ向かう。

 ボストンはバックベイから南、とくにロックスベリー地区辺りが一番危険だと言われる。クーリッジコーナー駅は北にあった。ガールズ・シェルターの安全性を考え、比較的治安のよいエリアを選んだと聞く。

 タクシーで目の前まで連れて行ってもらったので、迷うこともなかった。

 建物は綺麗な白い壁で囲まれていて、鉄製の門がしっかり締まっている。緑の芝が鮮やかな前庭が門の向こうに見え、外壁と同じ、白い二階建ての建物が見えた。

 酒に酔って、あるいはドラッグを使用して、保護された少女に会いにくる男が後を絶たないという。それは少女の恋人や夫、ときには父親というケースもあった。そのせいで施錠は厳重、出入りはもちろん監視カメラでチェックされる。


(こうしていつまでも門の前をウロウロしてたら……通報されかねないな)


 そびえるように閉ざされた鉄の扉は、まるで美月の意思みたいだ。

 そんなことを思いつつ、五度目のため息とともに、悠はインターホンを押したのだった。



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