(1)兄と弟
『一条様の弟と名乗る方が来られているのですが――』
悠が美月との関係にもう一歩踏み込もうとしたそのとき、インターホンが鳴った。画面に映ったのは、エントランスにあるフロントの管理人だ。
管理人は二十四時間常駐し、夜間は警備員もふたりいる。何かあれば、直線距離で二百メートルの警察署に、直通の連絡がいく仕組みになっていた。
もちろん、悠の安全に配慮した、藤原と一条の力だ。
「弟……だって?」
心当たりがない訳ではない。
だが、なんといっても深夜の一時になろうかという時間。たったひとりの弟は、簡単に訪ねて来られる距離に住んではいなかった。
「名前は? 身分証は確認してないのか?」
肝心なところで邪魔をされたこともあり、悠は苛立たしげに聞く。
『申し訳ありません。お顔を拝見したときにご兄弟だと思ったもので……。すぐに身分証を』
管理人の言葉を聞いた瞬間、悠は来客が誰か確信していた。
~*~*~*~*~
「お姉さん! 美月姉さん。僕です……覚えてませんか?」
玄関の扉を開けるなり、飛び込んできた少年が叫んだ。
中学一年生と言われたら、それでも納得してしまいそうなほど小柄な少年だった。
「こ……たろう? 小太郎なの? 嘘……どうして? どうやってここまで来たの!?」
悠の背後で美月が震えるような声で答える。それもそうだろう、姉弟は実に八年ぶりの再会だ。小太郎は誘拐された過去から、今でも閉所恐怖症だった。とくに乗り物が苦手で飛行機だけでなく電車も乗れない。乗用車は短時間ならどうにか耐えられるが、長時間は無理だった。
その小太郎が東京からO市までどうやって来たのか、美月は不思議そうに何度も訪ねている。
「真さんに連れてきてもらった。……バイクで」
「バイクって……本当なのか? いったい何時間かけたんだ!?」
悠のほうが驚いて声を上げる。
当の真は、
「随分前にこの近くまで来たときは、九時間もかからなかったんだ。でも、今回タンデムで小太郎は初バイクだし……休憩取りながら来たら倍もかかっちゃって」
かつての悠に似た邪気のない顔で笑った。
管理人が顔だけで弟だと納得するほど、ふたりはよく似ている。悠と変わらないほどの身長、体格は久しぶりに会った弟のほうが筋肉質に見えた。
思えば、O市にきてすぐボルダリングのクラブに入会したものの、最近はろくにトレーニングもしていない。二十四歳になったばかりの真を見ていると、自分はもう若くはないのだと思い知らされる。
きっと、美月も同じ感想を持つだろう。
(女の尻ばかり追い回していた報い、だな)
悠はため息をつきながら、ここまで一緒に上がってきてくれた管理人に礼を言い、ドアを閉めたのだった。
書斎の明かりを点け、ソファベッドを用意した。休憩を入れたといっても十時間以上バイクに乗ってきたのだ、若いとはいえ疲れは相当だろう。積もる話は明日に回し、悠は真のために布団を引っ張り出した。
一方、美月は小太郎と一緒に和室で休むという。
「あ、悪い兄貴、ビールもらっていい?」
すでにプルトップを開け、口に運びながら尋ねる。
「真……それを言うなら、もらった、じゃないのか?」
「……そうとも言う」
「そうとしか言わない!」
枕代わりのクッションにバスタオルを巻きながら悠は答える。
真はデスクの椅子に座りながら、
「相変わらず細かいよなぁ」
「お前が大雑把過ぎるんだよ。しかも、適当な計画で小太郎くんをこんな遠くまで連れてきて……。いくらご両親の許可をもらったとはいえ、彼はまだ中学生で……」
悠が説教を続けようとしたとき、真がパンと手を叩いた。
「ストップ! よくわかったからさ……とりあえず、今夜は寝かせてくれよ。これでも朝五時起きでバイク整備して、七時には家を出たんだ。勘弁して」
大あくびをする真にこれ以上は言えない。
悠も諦め、
「わかった。俺は向かいの部屋で寝るから、何かあったら起こせ」
そういい残してドアを閉めようとした。
「あ……早速一個頼みがある」
「なんだ?」
「美月ちゃんちにはO市に入ったときに電話したんだけど、うちには入れてないから連絡しといてくれよ」
一瞬で悠の顔色が変わった。
「ちょっと待て! 真」
「じゃ、おやすみぃ」
「おやすみ、じゃない! お前……わざとだな。寝る前に自分でかけろ」
悠は真の身体を揺さぶる。
だが、起き上がる気配はなく……彼は布団にしがみ付くようにして言った。
「いい歳して電話の一本もかけらんないのかよ。業務連絡だと思えばいいだろう」
その言葉は悠の胸に堪える。
黙り込んだ兄のことをどう思ったのか、真は布団から顔を出した。
「あのさ……ちょっと確認しておきたいんだけど」
「今度はなんだ」
「兄貴と美月ちゃんは便宜上の結婚ってことで間違ってないよな?」
一瞬で後ろめたい感情が浮かび上がる。だが、真に対して真実を言ったからといってどうなるのだろう。あと一週間もすれば美月と離婚して、彼女はボストンに戻るのだ。
悠はほんのわずか視線を泳がせながら、真の質問に答えた。
「……ああ」
「よかった。じゃあさ、俺、美月ちゃんに頼んでみようと思ってるんだ。兄貴と別れて、俺と結婚してくれって」
真は悠の表情に気づかず、笑いながら話し続ける。
「父さんにも相談した。もし、美月ちゃんが認めてくれたら……そして、ちゃんと弁護士資格を取ったら、反対はしないって言ってくれたんだ」
父は企業法専門の法律事務所を開いている。
以前は親友の如月弁護士と共同経営だった。悠が高校生のころ、如月弁護士が民事を扱いたいと希望して分割した。今でも協力しあっており、家族同然の付き合いは変わらないという。
悠が弁護士となり父の事務所を継ぐ予定だったが、彼は家を出てしまった。そのため真が継ぐことに決まり、現在、法科大学院の二年である。
だが、もし美月がボストンでの生活を続けるとなると……。
「待て、それは……彼女が日本で暮らせるようになったら、ってことか? だったら……」
「いや違う。もし戻れないなら、俺がボストンで暮らすよ」
「そんな……こと、無理だ。父さんの事務所はどうするんだ」
「紫も法学部に進むって言ってたし、やりたくなければ無理に継がなくてもいいってさ」
そのあっさりした返答に悠は二の句が継げない。
自分勝手に家を出た悠が口を挟むことではないが……。
「だから、兄貴の役目を引き継ぎたいんだ。これからは俺が彼女を守る。いつか彼女が望んでくれたら……本物の結婚にするよ」
どうしても越えられないハードル。それを簡単に飛び越えた弟を見て、やり場のない悔しさに戸惑う悠だった。
御堂です。
お待たせしました、第4章連載スタートです。
弟たちも登場♪
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