epilogue 愛しい人
八歳の時。聖ローエンベルクの加護においてアシェリーは、魔力は高いが属性がないと宣告された。
大聖堂では加護を受けた子供達を祝う花火が上がり、ちょっとしたお祭り騒ぎだった。今日は子供達も遅くまで起きていることを許された。
アシェリーはそんな気持ちにはなれなくて、大聖堂の庭園にあった噴水の側で、人目から避けるようにうずくまっていた。
「大丈夫?」
上から降ってきた声に、アシェリーはゆっくりと顔を上げる。明るい夜空に輝く、銀色の髪をした男の子だった。
アシェリーが何かを答える前に、男の子は隣にしゃがみこむ。
真横から覗き込まれて、アシェリーは膝の上にあごを置いて、小さな声で答えた。
「……大丈夫」
「どうしたの?」
「私……。聖ローエンベルクの加護で、属性がないって言われたの」
「属性がない? 無属性ってこと?」
「そうよ」
「へえ、いいな。かっこいい」
「……かっこいい?」
アシェリーは、思わずまじまじと隣の男の子を見つめた。
「無属性って、あんまりいないから特別な感じがしていいな。俺は氷。わりと普通」
男の子はアシェリーに向かって手を差し出した。見る間にそこに冷気が漂い、ぱきぱきと音を立てながら何かを形作る。形になったそれは、一輪の薔薇だった。
「あげる。すぐ溶けるけど」
「……綺麗。ありがとう」
ひんやりとする薔薇を受取ると、アシェリーは自然と笑顔になっていた。そんなアシェリーを、男の子はにこりと笑って見ている。
アシェリーは男の子に聞いた。
「あなた、学院で見たことないわ。王都に住んでいるんじゃないの?」
「うん。違うよ」
「どこからきたの?」
「ヴェリタール。ここよりずっと北」
空では絶え間なく花火が上がっている。男の子は花火の彩る夜空を見上げて言った。
「こんなに立派な花火はないけど、ここより星が綺麗だよ」
「そうなの?」
「うん。ぜんぜん違う。もっと、落ちてくるみたいなんだ」
男の子は空に向かって両手を広げた。きらきらとその瞳が輝く。夜空の色だった。一瞬、アシェリーは本当に、その星空が見えたような気がした。
「……見てみたいわ」
「見に来たら?」
アシェリーが返事をする前に、すぐ近くから大人の男の人の声が聞こえた。
「ウィルフレッド!」
「父上! ここです!」
男の子は立ち上がり、アシェリーにまた、にこりと笑った。
「じゃあね」
「待って。また会える?」
「どうかな。父上がすぐに帰るって言ってたから。でもヴェリタールに来たら、案内してあげるよ」
そう言って笑った、星を集めたような銀色の髪の男の子。夜空の色をした瞳と、ぴったりだった。あんまり綺麗で、見とれてしまってアシェリーは、満足にお別れを言うこともできなかった。
氷の薔薇はすぐに溶けてなくなってしまったけれど、ウィルフレッドと呼ばれた男の子のことは、ずっと心に残っていた。
自覚は無かったが、それがアシェリーの、初恋だった。
◇ ◇ ◇
その淡い初恋も、日常を過ごしていく中で、やがてただの懐かしい思い出になっていった。
アシェリーはセオドリックとの結婚に、疑問は持っていなかった。
優しいセオドリックはこの上ない婚約者だと思ったし、実際、彼はアシェリーを尊重し、大切にしてくれた。たぶん彼も同じで、自分の決められた人生に、疑問を持ってはいなかっただろう。
それなのに、セオドリックと一緒に招かれて行った聖騎士の叙任式で、荘厳な鐘が鳴る中、成長し、聖騎士となったあの人を見つけてしまった。
一目で分かった。目立つ銀色の髪。彼の周りだけが燦然と輝いているように見えた。
どうして惹かれたかなんて、正確には分からない。ただ、出会ってしまった。
彼が二度死んだ後、戻った場所はあの叙任式だと言っていた。今なら分かる。それはアシェリーが、彼を見つけた日だからだ。
でもアシェリーは、セオドリックの婚約者だった。
彼はセオドリックの護衛兼友人となり、アシェリーは常に平静を装ってはいたが、心の中では、喜びと苦しさとが、いつも同居していた。
セオドリックがシンシアに惹かれ、ウィルフレッドはアシェリーを案じてくれた。だがセオドリックは、恋は恋として、きっとこれからも耐えていくだろうと思っていた。それができなかったのはアシェリーの方だ。だから最後には父に告白した。どうしてもウィルフレッドが好きで、どうしようもない。とても諦められないと。
そんな思いが、ウィルフレッドの運命を狂わせた。
アシェリーの魔法で彼は戻され、しかもアシェリー自身は覚えていなかった。それでもウィルフレッドは、アシェリーを思い続けてくれた。
だからすれ違い、彼がつらく苦しい思いをした分だけ、彼を精一杯愛し、大切にするとアシェリーは固く誓った。
セオドリックとの婚約の解消は、公式に発表された。
それをアシェリーに告げて、セオドリックはいつもの優しく穏やかな顔でほほえんでいた。
「アシェリーとは、これからもずっと穏やかな結婚生活を送るんだろうと思っていたけれど、運命を変えてしまうほどの恋の前には、かなわないね。アシェリー、これからは別の道を歩いても、僕達は友人として助け合っていこう」
婚約解消後、ギデオンはアシェリーを管理下に置くとは言ったが、厳重な管理下に置かれたのは、記録装置の魔法式と、オレニアに封じられたアシェリーの魔力で、アシェリーは基本的には、これまで通りの生活を送ることになった。
ただし、解析が完全に終わるまでは、ギデオンに定期的に会いに行き、何か問題が発生していないかを報告に行くと約束をした。そういうやりとりをする中で、管理というよりは、守られているのだと感じるようになった。
◇ ◇ ◇
父はヴェリタール辺境伯へ、手紙を送ってくれた。ウィルフレッドとアシェリーの婚約について、相談したいという内容だ。
魔力を失った自分で、婚約を許してもらえるだろうかとアシェリーは不安になったが、ウィルフレッドは曇りない眼差しで、大丈夫だと言ってくれた。
婚約が許されたなら、卒業後、ヴェリタールに行きたいとアシェリーは思っている。ギデオンの許可が出れば、という前提ではあるが。ウィルフレッドの方は、卒業後も王都に残ると言ってくれた。何かあった時にギデオンの側にいたほうが良いと、アシェリーを心配してくれてのことだ。
だが、一度目の人生で、ウィルフレッドは生まれ育ったヴェリタールに、いつかは戻るつもりだったと言ったことがある。アシェリー自身も、美しいヴェリタールで暮らしたかった。あの、空から零れ落ちてきそうな美しい星の海を、ウィルフレッドとまた一緒に見たい。
乗馬や、狩りにも一緒に行こうとウィルフレッドは約束してくれた。もう魔力が無いから、矢を射ることはできないかもしれないと言うと、岩は割れなくても、兎くらいなら練習すれば大丈夫と、ウィルフレッドは笑ってくれた。
今でもウィルフレッドは聖騎士で、その任務に向かう時には、アシェリーは不安で涙が出る。大丈夫だから、決して無理はしないからと、ウィルフレッドはその度に涙を拭ってくれる。
あのティエル湖への遠征にも、ウィルフレッドは行くと言った。少年達を、次こそは安全に守ると言って、ウィルフレッドは譲らなかった。
三か月後のティエル湖への遠征の参加が決まったと聞かされた時には、アシェリーは泣きに泣いた。ウィルフレッドが二度目の死を迎えた場所だ。怖くて仕方がなかった。
ウィルフレッドは、原因がはっきりしているから、今度は対処できると言ってくれたし、少年達を救いに行くなとも言えない。ウィルフレッドを信じて待つしかないアシェリーは、学院でもふとした時につい涙を流してしまっていた。
それを偶然に目撃し、心配してくれたのがシンシアだ。その彼女から話を聞いたギデオンの計らいで、王立魔法研究所から特別に予算が流用され、派遣される聖騎士の数が増員されることになった。それでアシェリーは少し、安心することができた。
ウィルフレッドは、一度目の死を迎えた隣国への遠征についても、きっと行くと言うだろう。聖騎士として、強い責任感を背負っている。ウィルフレッドはそういう人だった。
◇ ◇ ◇
「もうすぐあなたの誕生日だ。何が欲しい?」
初夏の風に揺れる緑の匂いが強くなった。陽光が気持ちの良い休日、ブライトウェル家の邸宅で一緒に昼食を取った後、ウィルフレッドとアシェリーは庭園でくつろいでいた。丁度薔薇が見頃だからと、アシェリーが誘ったのだ。
美しく刈り込まれた青い芝生の上に座り、ウィルフレッドのすぐ横で、アシェリーは驚いて彼の顔を見つめる。
「覚えていてくれたの?」
「一度目の時から、忘れてない。何を贈ったら喜んでもらえるのかと、ずっと考えていた。やっと、叶う」
優しい眼差しに、アシェリーは胸がいっぱいになった。それから周りの美しい薔薇を見て、答える。
「……薔薇が欲しいわ。氷の薔薇。あなたの魔法で、見せて」
「氷の薔薇?」
ウィルフレッドは不思議な顔をしながらも、すぐに氷の薔薇をつくってくれた。ウィルフレッドの手から生まれた一輪の薔薇を受取って、アシェリーはほほえんだ。
「初めて会った時にも、作ってくれたのよ。ウィルフレッド様は、覚えてないみたいだけれど」
「……すまない」
しゅんとするウィルフレッドが可愛らしくて、アシェリーはくすりと笑う。
「ごめんなさい、いじわるを言って。私の方が沢山、忘れてしまっていたもの。ウィルフレッド様はずっと覚えていてくれたわ」
ウィルフレッドがその手を伸ばし、アシェリーの髪の先に、優しく触れる。
「氷の薔薇、また作ってくれる?」
「いつでも。でも、氷は溶けてしまう。誕生日には、何が欲しいか、考えておいてくれ」
「一緒にいられるのなら、それ以上何もいらないわ。ねえ、ウィルフレッド様」
改めて呼べば、ウィルフレッドは小さく首をかしげてアシェリーを見ている。
「大好き」
アシェリーの言葉に、ウィルフレッドは一瞬動きを止め、それからわずかに頬を染めて、はにかむように笑う。
「ウィルフレッド様も、言って?」
近づいてお願いしたら、ウィルフレッドは恥ずかしがって顔を逸らしてしまう。
「ウィルフレッド様。言って」
否と言わせない口調で迫れば、観念したように、ウィルフレッドはアシェリーの耳元に唇を寄せる。きっと照れた顔をアシェリーに見せないためだと思うけれど、こんなに近くで囁かれてしまうと、言わせたアシェリーの顔だって熱くなる。
「……好きだ。アシェリー」
愛しい人の言葉で、こんなにも、幸せな気持ちで心が満たされる。幸せすぎて、溶けてしまいそうだ。
「嬉しい」
アシェリーはウィルフレッドの胸に顔を預けながら、夢を見るようにうっとりとして目を閉じる。
ウィルフレッドはアシェリーが持っていた氷の薔薇をそっと取り、芝生の上に置いた。代わりに彼は、自分の手とアシェリーの手を優しくつないだ。指と指が絡み合う。
彼がどれくらい自分を好きでいてくれるか、アシェリーは知っている。それでも何度でも、聞きたいのだ。彼にだって、何度でも伝えたい。
「ウィルフレッド様、大好き」
永遠に溶けないこの気持ちと一緒に、もうやり直しのない人生を、二人で共に生きていく。
(THE END)




