3.3 敬愛
三度目の人生で、何よりも優先しなくてはならないこと。それは、シンシアに会うことだった。遠征から戻ったら、会う約束をしていたのに、結局守ることができなかった。
ウィルフレッドは、学院でシンシアを探した。午後の休息の時間になって、ウィルフレッドはカフェテリアで友人と過ごしていたシンシアを見つけた。
「シンシア・グリーンフィールド嬢」
呼びかければ、シンシアはその大きな翡翠色の瞳を数度しばたかせたあと、じっとウィルフレッドを見つめ返した。
「はい」
「少し話がしたい。時間を貰えないか」
ウィルフレッドが真顔で頼むと、シンシアは立ちあがり、すぐにうなずいてくれた。
何事だろうと、周囲が囁き合うのを無視して、ウィルフレッドは人の声が届かぬカフェテリアの端までシンシアを連れて行く。
「……あの、ウィルフレッド・フェアファクス様、ですよね」
「ああ、名乗りもせずにすまない。ウィルフレッドと呼んでくれ」
「はい、ウィルフレッド様。わたしのことはどうぞシンシアと呼んでください。それで、あの――」
「君の力を貸して欲しい。俺にかけられた魔法が分かるか?」
単刀直入に言えば、シンシアは驚いたように、しかしすぐに真面目な顔になって、目を凝らすようにウィルフレッドをじっと見た。
「はい。何か強い、異質な魔法がかけられているのを感じます。実は、ウィルフレッド様を初めて見た時から気になっていたんです。でもなかなか、話し掛ける機会もなくて。……ウィルフレッド様は、どうしてわたしに?」
「その説明も含めて、この魔法について調べたい。君の力を貸して欲しい」
かなり一方的な依頼ではあったが、シンシアはこちらの切羽詰まった状況を察して、了承してくれた。
その数日後、シンシアと日時を調整して、聖女達が所属する大聖堂に向かった。大聖堂で最も力のあるという聖女は、やはりシンシアと同じように、ウィルフレッドにかけられた魔法を感じて、そしてやはり自分では分からないと言って、手紙を書いてくれた。手紙は王立魔法研究所の所長宛。現在の所長は、ギデオン・レイノルズといった。
シンシアと一緒に、ウィルフレッドは王立魔法研究所を訪ねた。大聖堂から持ってきた手紙を入口で渡せば、ほどなくして所長室へ案内された。
「緊張します……」
通された室内で並んでソファに座っていると、シンシアが青い顔をして体を固くしていた。
「……すまない、付き合わせて」
「いえ、そんな……。むしろ感謝しています。まさかお会いできるなんて。たくさんの素晴らしい魔法書を書かれているんですよ。読んだこと、ありませんか?」
「……いや」
「是非読んでみてください。とっても難しいんですけど、すごく感動します」
そういえばかつてシンシアは、セオドリックとよく一緒に勉強していた。もしかしたらウィルフレッドが思っていたよりもずっと、彼女は学ぶことが好きなのかもしれない。今になって思えば、あの頃のシンシアも、こんな目をしていた気がする。それはセオドリックに特別な感情を向けていたということではなく、純粋に学ぶことへの喜びだったのかもしれないと、ウィルフレッドは思った。
「やあ、お待たせ」
部屋の主は、爽やかな声で入ってきた。二人で立ち上がり、揃って丁重に礼をする。
その人は、肩まである豊かな金色の髪をひとつに束ねていて、細いフレームのメガネの奥、海のような青い双眸は穏やかだが隙がなかった。
ウィルフレッドは下げていた頭を上げて、丁寧に言葉を述べた。
「お時間を取っていただき、ありがとうございます。ギデオン殿下」
ギデオンは、現在の国王の年の離れた末の弟である。年齢は二十代後半のはずだが、結婚はせず、王立魔法研究所の所長という立場を与えられて、日々を魔法の研究に費やしているという。
「いいよいいよ、そんなに固くならないで。まあ座って」
促されてもう一度ソファに座ると、正面の一人掛けソファに、ギデオンはゆったりと座って長い足を組んだ。
「ウィルフレッドと、シンシアだね。はじめまして」
言いながらギデオンは、片手であごを触りながら、ウィルフレッドをまじまじと見る。先に渡した手紙で、内容は把握してくれているようだ。
「ああ、本当だね。君には何か異質なものがかけられてる。よく気がついたね、シンシア」
にこりとほほえみを向けられて、シンシアは両手を合わせて口元を隠すと、喜びを隠しきれない様子で顔を赤くした。
「あ、ありがとうございます……」
「シンシア。聖女の仕事が無い時は、ここにおいで。ここには沢山の優秀な人間がいるから、一緒に学ぶといいよ」
「え……! よ、宜しいのですか?」
シンシアはふるふると震えていた。
「うん、僕から言っておくから。優秀な若者は歓迎。で――」
ギデオンは、改めてウィルフレッドに視線を戻す。
「心当たりは何もない? 最近、何か変わったことは?」
そしてウィルフレッドは、自身に起きた不可解な現象を、説明することになった。ウィルフレッドは、包み隠さず話をした。アシェリーへの思いも含め、何もかもを。
ギデオンもシンシアも、ウィルフレッドを疑うようなことはしなかった。
「……そうか。君は既に二度死んで、同じ場所からやり直していると」
「信じてくださって、感謝します」
「信じるよ、勿論。そうでなくては、僕がここにいる意義がない。……でも、せっかくやり直すことができたのなら、今度こそまったく違う人生を歩もうとは思わなかった? 他の恋を探す、とか」
ギデオンの問いに、ウィルフレッドは少し視線を下げた。
「……そう、できたら楽だったのかもしれません。でも、できませんでした。多分これから何度繰り返しても、きっと――」
「難儀だね」
ギデオンは少し笑って立ちあがる。労わるように、ウィルフレッドの肩をぽんと叩いてくれた。
「調べてみるよ。時間をくれ」
今日はそこで、ギデオンとは別れた。
並んで帰る途中、立ち止まってシンシアに向き合った。シンシアは小首を傾げている。
「さっき話したと思うが、俺が経験した一度目の人生で、君はセオドリック殿下から思いを寄せられていた。本当は、そのことは君に話すべきじゃないと思っていた。今後、セオドリック殿下が君に思いを寄せるようになっても、そうではなくても、君を苦しめると思ったから。だが曖昧に説明しては、事情が伝わらないと思ったから。……俺の都合で巻き込んでしまって、すまない」
シンシアは大きな目を丸くして、それから優しい笑みを浮かべた。
「確かに驚きましたが、さすがに身の程は弁えています。学院の沢山の生徒が、セオドリック殿下には憧れていますし、わたしもそうです。それはこの国の民として、王家の方を敬愛する気持ちです。これからどんな未来になっても、間違いは起きません。ウィルフレッド様が経験なさった人生でも、そうではありませんでしたか?」
「ああ、君の言う通りだ」
「心配なさらないでください。わたしは苦しんだりはしません」
「……いつか俺が、君の力になれることがあれば、何でも言ってくれ。君が助けてくれたことは、決して忘れない」
「いいえ、本当にわたしは何も……。それにわたしは今日、ギデオン殿下にお会いすることができて、しかもこちらに通う許可まで与えていただいたんです。ウィルフレッド様には、お礼をいくら言っても、言い足りないくらいです」
ギデオンとの会話を思い出したのだろう。感激で目をきらきらさせて、自分を落ち着かせるように胸に手を当てて大きく深呼吸をするシンシアに、ウィルフレッドは少し笑った。




