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おわりに あなたの食卓に笑顔をはこぶもの

 今のこの日本の農業をいかにしていくべきなのか。


 この問題に、正解はあるのでしょうか?

 かんたんに答えを出していいのでしょうか?

 また、出せるものなのでしょうか?

 そもそもこの問題に、答えはあるのでしょうか?



 徳山ダムの例を見ればおわかりになるように、一方の好都合は一方の不都合であり、一方の正義は一方の悪となり、一方の豊かさは一方の搾取によって成り立っています。


 そこでどちらが良い、どちらが悪い、と決め付けるのは簡単です。

 絶対だと信じた一つの意見に導いて従わせるのも、楽なことです。


 しかしその影に何が隠されているのかを知らせずにいて、よいのでしょうか?


 あきらめから口と耳をふさいでしまった人を無視して、声高に叫ぶ意見だけがすくい取られてよいのでしょうか?

 目に見えるそのままだけが全てだとし、単純に判別してよいのでしょうか?




 幼少時代から現在に至るまで、私がみてきた兼業稲作農家は、政治と経済の都合に翻弄され苦しめられ続けています。


 まるで報われることのない農作業にむかう両親の背中をみながら、なぜ農家にうまれてしまったのかと自分の家が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。



 しかしそれだけでは、決してなかった。

 大切にりされてきた田んぼは、親に構われなかった私に、豊かな生き生きとした遊び場を提供してくれていました。


 春はレンゲ畑で花をつんで花かんむりをつくったり、蜜を吸ったり、カラスノエンドウでシービービーとよばれていた笛をつくって遊んだり、夏と秋はカエルやトンボ、ザリガニ捕りに暗くなるまで夢中でした。

 真冬になれば、稲のきりかぶを踏みながらの障害物競争をしたり、氷を見つけて割りっこしながら帰ったものです。


 田植えのために張られた水がまるで鏡のようにきらめいて、田の水面に山が空がうつりこみ、子供たちのはしゃぎ声とともに水面がゆらぎ、十重二十重の波紋を産んだ風にのってシラサギが飛翔する瞬間の美しい姿を、私は嫌うことなんてできないのです。


 子ども時代の私が田んぼに寄って生かされていたように、我が子にも、そしてひとりでも多くのお子さんにも、田んぼがあるからこその、このすばらしい何ものにもかえがたい経験を体感し、人生の糧にしてくれたらうれしいなと、正直思います。



 しかし、農業に関わる家にだけは、たのむから嫁に行ってくれるなと幼いころから呪いのように言い続けてきた母の気持ちが、いまなら分かってしまう。

 同じように、子供たちが望まないなら農業なんて継がなくていいと思っている自分が、たしかにいるからです。

 反面、炊きたての新米をお茶碗にやまもりによそって、「おいしい!」と歓声をあげる子供たちの愛おしい笑顔が先の世代にまで続いてくれたなら、と願ってしまう。


 でも、維持するために未来を担うべき子どもたちの、無限に広がっているはずの可能性と、限りのない未来と、夢にむかって使うべき自由な時間と、そしてお金を、どれほど犠牲にさせねばならないのかと、つい考えてしまう。

 稲作が、他の子たちが当然のように享受している様々な楽しく貴重な経験をする機会を捨てさせてまで継がせるべき仕事なのか、と自問したとき、田んぼなんてやらなくていいと、私は即答するでしょう。



 3人の我が子たちには、それでなくとも都会の子たちに比べて、多くの我慢を強いる生活をおくらせてしまっています。


 とてもこの子たちに、これ以上生活のレベルを下げてまで田んぼを守り、稲作を続けていってほしいとは言えません。

 農家に生まれてしまったから農業をなにがなんでも継がねばならないと、視野を針の糸穴のように狭めてほしくない。

 この土地にうまれてしまったから仕方ないと、夢をあきらめ、希望もなく、貧困にあえぎつつ生きてほしくない。


 子供たちには自由にのびのびと、本心からやりたいことを学び、好きなことを職業として選んでほしい。

 頑張って手にした自分の稼ぎは、自分と、自分の大切な人のためにつかう生活をしてほしい。


 親としての私のこの思いは、間違っているのでしょうか?


 と、問いかけつつも心のどこかで、幼いころから田んぼに親しみ、笑顔で新米を食べてくれる子どもたちから、おじいちゃんやお父さんが苦労して守りつづけてきた田んぼを受け継ぐよ、というひと言を期待してしまう、この愚かしさ。



 表裏一体、相反するこの思いを、ここまで読んでくださった皆さんにはわかっていただけると思います。




 このエッセイをここまで読んでくださった皆さんに、お願いがあります。



 まず、多くの事実にふれ、意見を知り、自らの考えをもつことから始めてほしいのです。


 でも、回答を急ぐあまりに誰かを悪者にするような、こんな仕組みはいけないよねという言葉をそのまま鵜呑みにしたり、この先はこうすべきである、という意見を自分なりに調べなおしたり考察することなく、全てを鵜呑みにして、安易に賛成に走らないでほしいのです。


 途中でいろいろ悩んだり、意見があやしくなったり迷ったり、それまでと反対の意見になってみたり、なかなか考えがまとまらず、寄り道ばかりで時間がかかってしまっても、いいのです。


 声だかに叫ばなくてもいい、流されない、あなた自身の意見を持ってほしいのです。


 どうか、考えることをおそれないでください。


 考えるうえでのひとつの物差し、ひとつの情報として、このエッセイが生きてくれたらと願ってやみません。



 そしてできれば、答えを出す前に、あなたの食卓に笑顔をはこんでくれるものはなんなのかを、大きく深呼吸をして、ゆっくりと思い出してみてください。


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