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その15 兼業稲作農家の実態――政治編

 休耕田というのは、すこしでも農業に近い暮らしをされた方なら聞いたことがある言葉でしょうし逆に関わりのない方ですと、なんだろう、それ? 耕作放棄地の別称? みたいな反応であるかと思います。


 休耕田とは、いわゆる『お米余り現象』を緩和するための政策のひとつです。


 農家さんが所有している田んぼ全てに作付すると、国が保管しておくべきお米と皆さんが食べる分を差し引くとお米がたくさん余ってしまう。


 人の心理としてやっぱりおいしい新米を食べたいのは当然ですので、古くなったお米は余りとして残っていってしまいます。


 一年だけの話しならよいのですが、これが5年、10年と続くとどんどんと売れない余ったお米がたまってしまう。


 お米を余らせるのはもったいない事ですので、なるべく無駄のない収穫量に調整しよう、そのほうが農家さんの負担も減るだろうし消費者であるみんなも毎年おいしいお米を食べられる、という考えのもと、毎年毎年、『今年はこれだけの量のお米の生産で収めてくださいね』と国から指示されるのです。


 計算されたお米の量を超えないように、このあたりの田んぼは作付することしにて、あちらは作らないことにしましょう、と生産力を調整し『今年はお米を作らないでくださいね』と決められた田んぼが『休耕田』となるのです。

 耕作放棄地とは、本来なら作付してもよい土地であるにも関わらず、農家さんがもう作業を続けられないのでつくりません、とトラクターで田おこしすらしない土地のことをさします。


 農家さんたちが作業をつづけるのをあきらめる一因となるのが、この『休耕田』に所有している田んぼがまるっとあてはまってしまう場合なのですね。


 今年一年、まるまる作業を休んでしまった後で、また一年かけて夏場の暑い盛りにきつい農作業をするのか、と思うと気持ちがくじけてしまうのです。



 農作業に関わったことがない方にはあまりピンと来ないかもしれませんが、農業は『技術の継承』のうえに成り立っています。

 現実的に作業の90%以上が耕作機械の補助により成り立っている平成の世の中でも、大して変わっていないと思います。


 不思議に思われるかもしれませんが、たとえば、土木工事などでも日進月歩の技術革新があり新しい機械が投入されていますよね?

 ですがこの機械を充分に使いこなすには、知恵と基礎となる経験値が必要となります。

 結局のところ、最新の技術を最大限に生かすために、下地となる古い技術を次世代に継承していかねばならないのと同じようなものです。


 そんな考えは古い、いつ田をおこすべきなのかとか、肥料を撒くタイミングや水の管理、出穂の時期にあわせた農薬散布や刈り入れの時期の決定など、それらはデータベース化すればよいと言われる方もおられるでしょう。

 いずれは、そうなっていく流れであろうと私も否定はしません。


 予測不可能な事態であったとよく政府の会見でも言われるように、世の中にはデータにあがらない、個人の密かな記憶にのみ息づき根を張った土地に根ざした独特の技法があるのです。

 それらは、失えば決して取り戻せない、取り返しがつかないのです。

 過去の工芸品や美術品を、今の科学技術の粋を集めても再現できないものがあるのと同様なのでは、というのが私個人の考えです。




 田んぼの土は生き物に似ており、まさに『手塩にかけて育てる』という言葉がぴたりときます。


 このあたりでは、田んぼのお世話をすることを『田んぼのりをする』といいます。

 まさしく、子守りをするように毎日手をかけ目をかけ、幼い子どもの相手にするように接していかねば、田んぼはいじけて実りをつけてくれなくなってしまうのです。


 しかし豊かさをたもつための田んぼの守りは、大変な作業ばかりです。

 ですが、田んぼはすなおに応えてくれます。


 ていねいに耕して土に新鮮な空気を巡らせ、水を引いて栄養を行き渡らせると、カエルなどの他に、小魚や小さな水棲昆虫類が田んぼをねぐらとして息づきはじめます。

 低農薬米を進めて用水路の水がきれいになれば、蛍のほのかな瞬きは目に見えて増え、トンボの群舞がいっそう輝きを増します。

 昆虫を餌とするシラサギなどがいつしか水田にひしめき合い、伸びた稲の間から、にゅう、と白く長い首をつきだします。


 川の洪水から田んぼを守るために堤防が築いてあれば、春には野いちごが隠れて赤い実をつけたり、秋になればススキの穂が白く揺れるようになります。

 アザミの花やシロツメクサが伸びればハナムグリやミツバチやチョウチョが飛んでくるし、草むらのすみにはバッタやネズミがすみつき彼らを狙ってイタチたちがやってきます。

 キジやキツネもいつの間にか堤防に巣を作り、空には鳶が弧を描いて舞っています。

 秋には落穂を狙ってくるスズメたちが、田んぼを埋め尽くします。


 生き物は正直です。

 固く痩せて荒れた土地に、生き物は寄ってはきません。

 生きているがゆえに、作付をしなくなるとあっという間に土地が荒れてしまうのです。 


 休耕田だった田んぼに翌年以降に耕作をしようとすると、倍以上の労力が必要となってしまうのですが、これはスポーツをされている方がケガをしたあと、復帰するのに治療に要した日数の倍以上の日にちとそしてこれまでのトレーニング以上の負荷が必要になるのと似ています。


 多くの稲作農家の方は土地が荒れた後の大変さを知っているので、なんとか自分の代だけでも農業を続けていきたい、と思いがんばっておられるのです。


 

 しかし、この農家さんの踏みとどまりを劇的に変える出来事がおこりました。

 数年前の大幅な買取価格の下落です。


 この年の買取価格は、ハツシモの一等米でも1俵9000円を切りました。

 他県の推奨米や銘柄米の生産農家さんのお宅でも、きっと似たような価格帯だったのではと思います。


 これまでしつこいくらいに述べてまいりましたが、稲作にはお金がかかります。

 この金食い虫の稲作を下支えしてきたのは、赤字に補填してなんとかやっていけるレベルの収入源を他にもつ、サラリーマンや他業種の兼業稲作農家さんでした。


 それがこの年、補填不可能なレベルの下げ幅となったのです。

 政府の方針で、稲作農家は今よりもいくぶん手厚い戸別補償をうけていましたが、補填額など雀の涙、焼け石に水で状態でした。


 稲作農家さんの平均年齢は66・6歳、つまり年金受給年齢に入っています。

 せめて自分たちが口にする分のお米くらいは作りたい、と本来の年収などを切り崩して稲作に関わってこられた方々も、この時のお米の価格設定に気持ちを変えていかれました。



 市場原理でいうのならば、こうした零細農家を細かくフォローしすぎてるから逆に税金の無駄使いになる。

 補助に回していた分を、専業農家の比率をあげ、かつ作業効率をあげて利潤が生まれるようにする政策に使い、農業を将来性のある魅力ある職業へ導いていくのが道理なのでしょう。


 大規模農家への転換政策は、まさにその典型だと思います。

 ところが、政治と市場原理が主導して行った現場改変のもくろみは、まったく思わぬ方向に向かっています。


 現実には、予測通りに80歳前後を契機にして、離農のスピードは上がっています。

 それはよいのです。

 家で食べていける分だけを作り、余れば売りたい、という農家への補償を切るのが目的の一つと言えるからです。

 

 ここで問題なのは、そのお子さん世代の方の協力を経て農地を集約させるつもりが、放棄、または二束三文での宅地化地としての転売されていくことでした。


 80歳前後の方のお子さんの年齢は、おそらく50~60歳あたりでしょうか。

 日常的に農作業に携わってきたのでないので、当然、耕作などできませんから、土地だけを所有して法人化した耕作組合に作付けを依頼してくれるようになるだろうとの目算だったのが、はずれてしまったのです。


 身体を酷使するのに耐えられるような年齢層の方々ではないのですから、組合に土地を任せてくれるのではという期待は、当たり前といえるでしょう。 

 しかしながら政治と市場が求めた答えにのれるほど、農家の後継の方にも、経済力はもうないのです。


 今現在、稲作に従事されている高齢の方々は、おそらく年金や貯金を切りくずしておられます。

 年よりの生きがいを奪うのしのびないという孝行心、ぼけ防止になればいいという諦めから子ども世代の方がお金の使い方に目をつぶっているから存続している農家さんは相当数になると思いますが、田んぼを譲られた子世代の方は親世代のように『たとえ赤字を生みだそうとも田んぼは財産である』などと思いません。


 稲作で得られる収入と組合に払う年間費用、税金諸々、申告の煩雑さなどを計算すると、所有する田んぼが少なければ少ないほど、赤字になり手間ばかりが倍々ゲームでふくらんでしまうと、冷静に計算されています。


 それなら昨今の経済事情からすれば余分な土地ならほっておくか、相続税対策をしてから売ってスッキリした方がいい、土地を売っても儲けがないけれど一年かぎりのことだし、この先何十年と赤字を累積していくよりずっとまし、とそっぽをむくのは当然でしょう。


 しかし赤字続きだろうと何であろうと、結局は言い分をのんでくれていた農家にすっかり油断していた政治と市場は、子世代の方も同じようにしてくれるもの、と油断していたのでしょう。

 地元を見る限りでは、転換政策は計画通りと言い難い現状だと思われます。

 集約化できる土地を組合に任せようとい取り組みもなされていますが、足並みはそろっていません。

 政府は集約化しての組合化や個人の大規模化をいち早く申請すれば、書類が簡略できる特典などを打ち出していますが、そもそも、農家が求めているものと論点も観点もすれ違いすぎています。



 子供たちに未来を託すという言葉など、まさしく夢物語であると、喉元に冷えた現実を突きつけられてしまった兼業稲作農家。

 赤字をかかえている農家に、江戸時代の一揆よろしく返す刀をむけられた政治と市場。


 こんな切なくもやりきれない図式が見えてきはしませんか?

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