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【中編】ヤンデレに愛されるゲームにおっさんが迷い込んだ話  作者: 夏目くちびる


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 ✕ ✕ ✕



 つまるところ、俺は誰かに認めてもらいたかっただけなのだろう。



 建築という世界を選び、ただひたすらに仕事を続けたのは、別に俺にとって建築が掛け替えのないものだったからではない。ただ漠然と食いっぱぐれの無さそうな学科を選んで大学を受験し、幾つかの会社を経験した結果、辿り着いた場所に俺のスキルを認めてくれた男がいただけだ。



 他にやるべきことのない人間が存在意義を求めた時、それは必ず結果に依存する。そして、俺がここまで自我を保っていられたのは、たまたま節目となる小さなゴールが点在してくれて、生きるための火を絶やす暇が見つからなかっただけに過ぎない。



 運が良かっただけなのだ。



 もしも、建築と出会わなかったら。もしも、努力する理由が見つからなかったら。そんな世界線を想像すると怖くなる。



 世の中には、部屋に引きこもっている奴がいる。いつまでもブラブラと遊んでいる奴がいる。罪を犯して刑務所に放り込まれる奴がいる。ロクデナシと後ろ指をさされ、生きてる価値を問われる者たち。自分ではどうしようもないやるせなさを、永遠と抱えて行き詰まっている者たち。そんな奴らが、世の中にはたくさん存在している。



 俺は、本来、そっち側の人間だったのだ。



 たまたま仕事をこなすメンタルがあっただけ。たまたま努力するきっかけを得ただけ。たまたま結果に恵まれただけ。たまたまそれを選んだだけ。たまたま、たまたま――。



 確信を持って言える。何一つとして信仰するもののない俺は、なにかが足りなくても今の俺と何も変わらなかった。



 それくらい、俺という人間は空っぽだ。



 俺がゲームの世界に迷い込むという特別な経験をしていても、何一つとして物語が動かないところに全てが現れているではないか。何者でもない人間が選ばれてしまうことは、恐らく世界にとって間違いなのだ。



 運によって齎された出来事を、俺はどうしても優れているとは思えない。むしろ、なんの目的もなくそこにいることは怠惰だとすら感じる。本当にこの世界へ来たかった者たちへの、裏切りだとすら感じてしまう。



 葵は間違っている。



 主人公という選ばれた存在を追体験しただけの俺は、決して主人公本人ではない。例え、俺によって主人公の選択が変わったのだとしても、それは決して俺本人の行動ではない。にも関わらず俺を愛している葵は、やはり認識を混濁させているとしか思えないのだった。



 ……憂鬱だ。



 この世界の建築は滅茶苦茶で、これまで俺が出会ってきた『偶然』がまったく通用しない。ならば、『偶然』を失った俺は誰かに何を認めてもらえるだろうか。



 そんなのは、あまりにも傲慢だ。誇れない自分を、それも自分ですら嫌っている自分を認めろだなんてあまりにも傲慢だ。



 この行場を失った承認欲求は、これから先、どうすればいいのだろうか。



「……にゃーん」



 そんなことを考えていると、葵は急に俺の膝の上に頭を乗せ、俺を見上げながら猫のように目を細める。



 俺は、彼女の黒髪を撫でて尋ねた。



「どうしたの、急に鳴いたりして」


「よしよししてくださいよぉ、こっちはパーティの準備で疲れてるんですからぁ」


「あぁ、ごめん。少し考えごとをしてた」


「はぁ、またですか。バカになれって言ってるのに、ダーリンはちっとも私の言うことを聞いてくれませんね。ごろごろ」


「ごめんよ」


「あのですね、何度レッスンその十を復習すれば気が済むんですか? 私が怒っていないときは謝らないでください。今は甘えているんです」


「……ごめんよ」



 気が付けば、俺がこの世界へやって来てから一ヶ月以上が経過していた。



 明日は、例のクリスマスパーティ。葵に誘われたので、夜になったら学校に飾られている巨大なクリスマスツリーを見に行く予定になっている。



 果たして、おじさんの俺が高校生たちの楽しみにどの面下げて参加すればいいのかはよく分からないが、康平を始めとしたクラスメイトにも誘われてしまっているので行かないわけにもなるまい。



 因みに、葵のレッスンによって、葵と俺は学内では知らぬ者の存在しないバカップルとして認知されている。



 当初は名家の御令嬢である葵と無名の男が付き合うことに嫉妬や顰蹙を買いまくり、しまいには資産を盗もうとしているだなんて陰謀論まで囁かれる騒ぎとなったが――。



「許してあげます」



 まぁ、せいぜい高校生レベルの嫌がらせだ。むしろ大変だったのは、色んな生徒の誤解を解くことより、殺戮衝動を剥き出しにする葵の説得だったとここで告白しておこう。



「ところで、ダーリン。なんだか私、一ヶ月前より大人になったような気がしませんか?」



 実を言えば、それは感じていた。



 初っ端は血の気が引くほど大変だった彼女への説得が、次第に易しくなっていることに俺は気が付いていたのだ。段々と世間のことを理解し始めたのか、それとも俺が慣れたのかが不明だったが、彼女自身に自覚があるのならば、やはり大人になっているということなのだろう。



 意外かもしれないが、俺はリアリストでもペシミストでもない。大切に思っている者がそう言うのなら、割と手放しで信じるようにしているのである。



「えへへ、ダーリンならそう言ってくれると思ってました。どうです? そろそろ、大人の女の魅力に耐えられなくなる頃なんじゃないですかぁ?」


「偏愛的な少女が大人になっても年相応でしかないと思うよ」


「……ダーリンがマジレスした」



 また謝りかけたが止めた。代わりに、俺は今まで元カノたちにしていたような、極めて常識的で普遍的な言い訳をすることにした。  



「でも、それは、ほら。今までは子供扱いして甘やかしてたのが、対等になったことで会話のやり取りに変化が生じたってことでさ。俺も、やっぱり葵の見方を変えつつあるのさ。お前は大人になってるよ」


「本当ですか?」


「本当だ、俺は嘘はつかない」


「……いいえ、それは違います。ダーリンは嘘つきですよ。いつも嘘ばっかり。多分それも嘘です。ズルいズルいズルい」



 ニヤニヤしながら怒る葵はなかなかに可愛らしいという事実はさておき。僅かでも俺の言っていることを疑い、そして真実を理解していることの方が重要だ。これが成長でなければ、一体他のなんだと言うのだろうか。



 人と関わることによって、人は成長していく。ならば、やり方は歪だったが、彼女が俺以外の人間との関わりを得たことは嬉しかった。ひょっとすると、葵の偏愛は終わりへ向かっているのかもしれない。



「……」



 不意に、静かな時間が訪れた。



 今晩は雪が降るらしい。そろそろ葵を送っていかねばなるまい。暗い中で雪道を歩くのは本当に危ないからな。



「嫌です」



 帰宅を提案すると、葵はそっぽを向いてしまった。奇妙かもしれないが、信じられないくらい分かりやすい拗ね方をする葵が俺は愛おしいと思う。



「明日もあるんだから、いつまでも屯してるわけにはいかないだろ」


「泊めてください」


「あのね。そんな、女子高生が当たり前みたいに外泊するものではないと思うよ。ちゃんと帰って、ご両親を安心させてあげないと」


「嫌でーす」



 時々、こうして幼児退行するのはなんなのだろうか。女心というものがあまり分からない俺には、こういう時の最適解が分からない。



「別にダーリンは女心なんて分からなくていいんですよ」


「なんで?」


「だって、私は察してもらおうとなんてしませんもん。ちゃんと欲しがる女相手に、そんな能力は必要ないでしょう?」



 ……うぅむ。



 思わず唸ってしまった。なるほど、必要とされる能力には適材適所があるだなんて当然のことを、俺はいつの間にか忘れてしまっていたらしい。あらゆる事柄に当てはまる葵の答えは、まさしく恋愛のレッスンの極意なのかもしれなかった。



 しかし、それは同時に、この世界における俺へのトドメを刺す一言でもあった。



 分かっていたふりをして、結局は偶然の結晶にしがみついていたこの俺に。



「まぁ、それはそれとして帰りな」


「にゃーん」



 俺は、嫌がる葵を駅まで送っていった。



 あまりにも深く突き刺さった答え。その夜、俺は何年ぶりか、空に太陽が登るまでぐっすりと眠ることが出来た。



 諦めは、凡人にとって救いだ。俺は、俺を終わらせてくれた葵に心から感謝していた。

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