第10話 勇気の行進①
◇◇
「な、なあ、ちょっといいか?」
ひたいからは大粒の汗。
息は荒い。
ミレーヌもまた同じだった。
その顔にいつもの笑みはなく、苦しいのか、かすかに歪んでいる。
「はぁはぁ……。後でもいい?」
「い、いや。ダメだ――」
もうこらえきれない。
なぜなら――。
「なんでこんな目にあわなくちゃいけないんだよぉぉぉぉ!!」
俺たちは今、全力疾走でモンスターの群れから逃げているからだ。
話はクロスマーケットの街を出てからすぐまで戻る。
ミレーヌの言ってた通りに、街道はモンスターがうじゃうじゃたむろしていた。
こういう時のための『護衛』のはず……だった。
「あはっ。そう言えば、私、武器がないと戦えないの」
いきなり判明した衝撃的事実!
聞けば夢幻流は『武器』がないと何もできないらしい……。
さらにミレーヌは魔力こそべらぼうに高いが、魔法はまったく使えないとか。
もしクロスマーケットを出る前にタイムスリップすることができたなら、彼女を『護衛』にした自分を全力でぶん殴ってやりたい。
屈伸運動をするミレーヌに俺はさりげなく問いかけた。
「んで、どうするつもりなんだ?」
「前も言ったでしょ。『逃げるが勝ちと心得よ』ってね!」
「嫌だ」
「こっちに気づくまでは群れの中を突っ切るわ!」
「だから嫌だ!」
「ウジウジする殿方はモテないって聞いたわ。さ、いきましょ!」
有無をいわせぬミレーヌは俺の手を取り、風となってモンスターの合間をぬいながら駆けて抜けていく。
「嫌だぁぁぁぁぁ!!」という叫び声とは裏腹に足は壊れるんじゃないかと思うくらいに懸命に動く。だってちょっとでも立ち止まれば、たちまちモンスターたちの餌食になってしまうのだから。
だがモンスターたちはそう易々と見逃してはくれない。
こうして夕暮れ前には大勢のモンスターを引き連れて逃げ回るはめになった、というわけである。
いつの間にか街道から外れて、暗い森の中にいる。
今どこにいるのかすら分からない。
「ねえ! あそこ見て!」
ミレーヌが指さしたのは岩肌にポカリと空いた小さな穴。
「あの中に入れば追ってこられないわ!」
ほんとかよ?
と思いながらも、声すら出す余裕がない。
とにかく楽になりたい一心でコクコクと何度もうなずく。
それから最後の力を振り絞って、両足を懸命に動かし、穴の中に転がり込むようにして飛び込んだ。
中は案外広い。
真っ暗だが、かろうじて周囲を見回すことができる。
ちょうどいい岩陰があったので、そこに二人で肩を寄せ合って隠れた。
モンスターが追ってくる気配はない。
徐々に荒れた息が整っていき、心臓の音も静かになってきた。
すぐ隣で息をひそめているミレーヌに意識が向かう。
近いな……。
くっついている二の腕が柔らかい。
かすかな息づかいが鼓膜を震わせ、ブロンドの髪から漂う良い香りが鼻をくすぐる。
再び心臓が音を立て始めたところで、ミレーヌは小声でささやいた。
「ちょっと様子を見てくるわね」
彼女が静かに俺のそばから離れていく。
一人で取り残されたような一抹の寂しさを覚えた俺は、すぐに低い声をあげた。
「どうだ?」
「うーん。たぶん大丈夫みたい」
「『たぶん』ってなんだよ!?」と反論すると、ミレーヌは俺の方を向いて口を尖らせた。
「『たぶん』は『たぶん』よ。暗すぎてよく分からないの!」
既に日が暮れているし、暗い洞窟の中から森を見ても、何も目に入らないのは分かる。しかし――。
「俺は確信がほしいんだよ。もう安全なんだ、って」
ところが好奇心の塊のようなミレーヌの興味はあっという間に次のことに移っているようだ。
「ねえねえ、ところでここって洞窟みたいじゃない?」
ミレーヌはどこから拾ってきたのか、長い木の棒をブンブン振り回しながら辺りを見回している。
「確かに言われてみれば洞窟のようだな」
かすかに明るいのは『アカリゴケ』というコケが光っているからだろう。
「ねえ、奥に行ってみようよ!」
「嫌だ。元の道に戻るぞ」
俺は即答した。
寄り道なんてしたくない。
俺は故郷に帰り、世の喧騒から離れて暮らしたいのだ。
これ以上遠回りして、モンスターに追い掛け回されるなんてまっぴらごめんである。
ミレーヌは「むぅ」と口を尖らせた。
「師匠が『若さを保つには好奇心を持ち続けること』って言ってたわ。リオはすぐに老けてもいいの?」
「ああ、かまわない。じいさん最高」
「そういうひねくれた殿方はモテないって聞いたわ」
「うるせえ。とにかく帰るぞ」
俺は入り口の方へ足を向ける。
ミレーヌは勝手に行動する性格だからな。
主導権を渡したら、彼女の思うつぼだ。
「……外でモンスターが待ち構えているのに?」
ボソッとミレーヌが漏らした言葉に、ピタリと俺の足が止まった。
ちらりとミレーヌの方に目をやる。
彼女はニタニタと口元に『悪い』笑みを浮かべている。
「意外と意地悪なんだな」と恨み節を口にしながらも、ミレーヌの方へ足が向く。
「あはっ。じゃあ、決まりね!」
スカートをふわりと浮かせながら背を向けたミレーヌは洞窟の奥へ進み始めた。
彼女の手にはまだ木の棒がある。
「ところでそれを何に使う気なんだ?」
目を丸くしたミレーヌは、ちょっと恥ずかしそうに視線を外した。
「武器にできるかな……って」
「武器? 単なる棒切れを?」
「だって私ったらリオの護衛なのに、何の役にも立てていないでしょ! だから、その……ちょっとは護衛らしいところを見せられたらいいなって……」
暗がりの中でも彼女が顔を赤らめているのが分かる。
もじもじしている姿がいじらしい。
ミレーヌの願いをどうにかしてかなえてやりたいな――。
これが俺のダメなところだっていうのは、よく分かっている。
すなわち『情に弱い』のだ。
ベンジャミンを顧客にした時だって、元々はお金に困っていた彼にタダで武器を与えたことがきっかけだった。
あの頃から薄々気づいていたはずだ。
ベンジャミンは冒険者としての才能はあるが、コツコツしたことが嫌いで、人の言いつけを守らない、いい加減な面があると。
――あいつはやめておけ。
もう一人の俺の制止を聞かなかったのは、クエストをクリアするたびに嬉しそうに報告にくるベンジャミンに対し、完全に心を許してしまったからだ。
結果として、もう一人の俺が危惧していた通りになった。
しかも『裏切り』という最悪の形で……。
では目の前のミレーヌはどうか。
――彼女もベンジャミンと同じかもしれない。
――いや、彼女に限ってそれはないはずだ。
二つの相反した考えが頭の中で激しくぶつかっている。
「やっぱり意味ないよね。こんな棒を持っていたって」
ミレーヌは悲しそうな顔をしながら、棒を手放した。
――カラン。
乾いた音が洞窟の中に響いた瞬間に、俺の口が勝手に動いた。
「意味ならあるぞ」
ミレーヌが大きな瞳をさらに大きくして「えっ?」と声を漏らす。
俺はおもむろに地面に落ちた木の棒を拾った。
「長さ、質、重量……『石槍』にピッタリだな」
「いしやり?」
「その名の通り、石の槍だよ。そうだな……」
あたりを見回してみる。
そこら中に手ごろな石はゴロゴロ転がっている。
その中でも俺の目当ては――。
「おっ! あった!」
「何? その黒い石?」
「黒曜石だよ。これで槍の先を作るんだ」
木の棒を地面に戻し、拳ほどの石の塊を両手で持つ。
この石は削りやすく、先端を尖らせて槍の穂先にするにはもってこいだ。
普通の鍛冶師なら、ハンマーや動物の角を使って石を削る。
しかし魔法を使って一瞬で終わらせてしまうのが超一流というものだ。
俺は黒曜石を上空に向かって放った。
「風の精よ。自在に踊り、その羽で切り裂け! ウィント!!」
無数の風の刃が黒曜石を切り刻んでいく。
そうして俺の手に戻ってきた頃には鋭い刃に変わっていた。
木の棒と黒曜石を、魔法の糸『ワイヤロ』でくくりつける。
「よし! できたぞ!」
お手製の石槍の完成だ。
新米の鍛冶師ですら作らない原始的な武器だが、ミレーヌは心の底から喜びをあらわにした。
「ありがとう!! すごいわ!!」
彼女は槍を器用にくるくる回しながら、「やっ!」と短い掛け声とともにポーズをとっている。
「これでリオを護衛できるわ!」
せいぜい鹿やイノシシくらいしか倒せない武器だが、ミレーヌに持たせると頼もしく映るな。
「ああ、期待しているよ」と口にしたのは、まぎれもなく本心からだ。
ミレーヌも素直にその言葉を受け取ってくれたようだ。
「うふふ。嬉しい!」
笑顔が眩しい。
ベンジャミンがクエストクリアを報告してきた時と通じるものがある。
――もうこれっきりにしておけ。いずれ別れるんだから。
苦い顔をしている自分に「ああ、分かってるって」と、心の中で生返事をした。
この先、何度もこの笑顔を見ることになる予感を胸に秘めながら――。




