第88話 『ツナチーズ・サンド』と魔女たちの茶会
案内されたヴァーナの私室は、研究室の奥にあるとは思えないほど洗練された空間だった。
壁一面が仮想ウィンドウになっており、テクネ・プライムの美しい夜景――といっても、これも計算されたホログラムだが――が広がっている。
置かれた家具はどれも人間工学に基づいた手製の品らしい、座り心地は極上だ。
ちなみにミナは、隣の実験区画に置かれていた旧式エンジンのカットモデルに目を輝かせて張り付いている。
「ちょっと見てくる!」と言い残して戻ってこないあたり、当分は放置でいいだろう。
「……趣味がいいな。生活感はないが」
俺が皮肉を言うと、ヴァーナはラボコートを脱ぎ捨て、ボディスーツ姿でソファに身を投げ出した。
「生活感なんてノイズよ。ここは思考するための場所だもの」
彼女は気だるげに脚を組み、指を鳴らした。
部屋の隅から自律型の給仕ドローンが現れ、人数分のティーカップをテーブルに並べる。
「さて、まずは歓迎の一杯といこうか」
シュタイン教授がポットを手に取り、慣れた手つきでカップに注いでいく。
湯気と共に、穏やかな茶葉の香りが漂う。
「……どうぞ」
教授に勧められ、俺はカップを手に取り、一口啜った。
出発前に教授の部屋で出てきたような高級な代物ではない。ごく普通の紅茶だ。
特に変わったところのない、この世界で標準的に流通している、合成香料で整えられた味。
不味くはないが、感動もない。
「……ふむ。やはり、これだけでは退屈かね」
俺の反応を見て、教授は楽しげに笑った。
「では、君の番だ。その『退屈』を埋めるものを見せてくれたまえ」
俺はバックパックから、耐熱容器を取り出した。
中には、黄金色のオイルに浸ったピンク色の宝石、ツナ缶――缶ですらない――、もとい『スター・ツナのコンフィ』が詰まっている。
それと、スライスしたパン、チーズ、そしてマヨネーズだ。
「キッチン、というか加熱調理器を借りますよ」
「ええ。粒子の加速加熱プレートがあるわ。トースターより優秀よ」
「助かります。……ま、本来料理なんてしない場所でしょうから、こいつも持参してますけどね」
俺は続けて、愛用のフライパンを取り出した。
加熱プレートはあくまで実験器具だ。食材を直置きして焼くわけにはいかないし、何よりこの世界の研究室に調理器具などあるはずがない。
ヴァーナの許可を得て、俺は調理を開始した。
パンにマヨネーズを薄く塗り、その上にほぐしたツナをたっぷりと乗せる。
さらにチーズを重ね、もう一枚のパンで挟む。
これを、プレートの上で熱されたフライパンへ。
ジューッ……。
心地よい音が響き、パンが焼ける香ばしい匂いが漂い始める。
パンに塗ったマヨネーズが熱で溶け出し、染みだした油が揚げ焼きのように表面をカリカリに仕上げていく。
中のチーズがとろりと溶け出し、ツナのオイルと混ざり合う。
「……抗いがたい香りね」
ヴァーナが鼻をひくつかせた。
俺は焼き上がったホットサンドをナイフで二つに切り分け、二人の前に差し出した。
「『ツナメルト・サンド』です。熱いうちにどうぞ」
断面からは、熱々のチーズとツナが雪崩のように溢れ出している。
二人の天才は、ためらうことなくそれに齧り付いた。
カリッ、サクッ。
小気味よい音。
その直後、二人の目が大きく見開かれた。
「……ッ!」
熱い。脂っこい。そして、強烈に美味い。
ザクリとスナックのように焼き上げられたパンの食感、溶けたチーズの塩気、そして噛みしめるたびに溢れ出すツナの圧倒的に濃厚な旨味。
淡白な紅茶とは対照的な、混沌とした欲望の塊が脳髄を揺さぶる。
「……悔しいけれど、完敗ね」
ヴァーナが指についたオイルを舐め取った。
「たまにはアルコール以外の食味もいいものね」
「だろう? ……さて、腹も満たされたところで本題だ」
教授は紅茶で口の中の脂を洗い流し、真剣な眼差しを俺に向けた。
「アキト君。先ほど君は、紅茶を飲んで『退屈』そうな顔をした。……今の銀河の食糧事情も、まさにそれなのだよ」
彼は空中にホログラムを展開した。
映し出されたのは、美しい野菜が並ぶ温室の映像だ。
「現在、富裕層向けに運用されている『環境シミュレーター』。あれで作られる野菜は、見た目こそ美しいが、中身はスカスカだ。ただ水を吸って膨らんだだけの、食感を楽しむためのスポンジに過ぎない」
教授は皮肉げに笑って言葉を継いだ。
「皮肉な話だが、君がタマネギと呼んでいたような辺境惑星の茎の塊や、岩肌に張り付く苔の方が、よほど生物としての味、エネルギーを持っている」
教授が指を振ると、映像が切り替わった。
荒涼とした大地に生える、歪な形をした植物の画像だ。
「香りの完璧な汎用合成食品。不完全だが力強い、辺境や各地の料理。そして、ステータスとしての真性食品。……今の銀河において、我々の食事は階層によって完全に分断されており、決して混じり合うことは無い」
教授は嘆くように肩をすくめた。
「本来、食文化とはそれらが渾然一体となって進化するものだ。だがこの世界では、効率と格差がそれを阻んでいる。……君が感じている『違和感』の正体は、その断絶にあるのだよ」
教授はカップの縁を指でなぞり、俺の顔を覗き込んだ。
「私が『本物』の味の正体を知っているのが不思議か? もちろん、脳に直接信号を送って、その『感覚』だけを疑似的に再現する技術もある。だが、それは中毒性が高すぎる上に、他の産業の妨げになるとして、帝国法で厳しく規制されているが、私ほどになればいくらか触れられる」
「産業の妨げ?」
「ああ。脳を刺激するだけで安直に満足が得られるなら、誰も高い金を払って食事や旅行、娯楽を求めなくなるだろう? 究極の効率化だが、経済にとっては猛毒だ」
「なるほど。電子ドラッグ扱いってわけですか」
「うむ。ともかく、まやかしに意味は無い。君の舌を満足させる『本物』を作るには、そのノイズをまやかしではなく、物理的に再現することが必要不可欠だろう」
教授は画像を切り替えた。
今度は、泥臭く、しかし力強い原始的な畑のイメージ図だ。
「今回手に入れた『庭師』のデータ。これがあれば、環境シミュレーターとは違う、原始的な土壌環境を再現した『大型農園ユニット』が設計できる。……だが」
「エネルギー、でしょう?」
俺が先回りして言うと、ヴァーナが頷いた。
「ええ。土壌バクテリアの培養、気象制御、重力調整……本物の環境を維持するには、通常の宇宙船のジェネレーターじゃとても賄えない。都市一つ分の電力が必要よ」
それが最大のボトルネックだ。
だが、教授は楽しそうに笑い、俺の船――マッコウクジラの設計図を表示させた。
「そこで、君の船だ」
設計図の中で、三つの要素が赤く点灯する。
一つは、マッコウクジラの規格外ジェネレーター。
二つ目は、先日手に入れたカボチャの『バイオ・コア』。
そして三つ目が、今回手に入れた『生体融合炉』のデータだ。
「この三つを組み合わせることで、全く新しい論理のエネルギー管理システムを構築できる」
「新しい論理?」
「ああ。まず、君の船の『バイオ・コア』だ。あれは植物から変異し、独自の演算を行っている特異体だ。植物の管理に関してこれほど得手で、かつ対話可能な自律思考を持つ存在は、この銀河広しといえどもそうはいない。これを利用しない手はない」
教授は次いで、『生体融合炉』のデータを指し示した。
「そして『生体融合炉』だ。これの新規製造や再稼働は、帝国法で厳格に禁じられている。かつて制御不全を起こした炉が暴走し、惑星の地殻ごと食い尽くそうとした事故があったからな」
物騒な話だ。
だが、教授は続ける。
「だが、我々がやるのは炉の再稼働ではない。バイオ・コアを中心とし、『生体融合炉』をそのままではなく、君の船専用に作り替えるのだ」
教授は空中に浮かぶ設計図のコア部分を拡大した。
「これはマッコウクジラという個体に最適化された、専用のユニットとなる。構造自体が別物になれば、既存の『生体融合炉』を対象とした監視システムの検知ロジックを抜けられる上、他の船へ再利用される可能性も極めて低くなるだろう」
ヴァーナが補足する。
「つまり、ワンオフの特注品ってこと。これなら、帝国の技術規制や出力制限を完全にすり抜けられるわ。監視システムも、未知の生体反応までは違法兵器として認識しないでしょうからね」
ヴァーナの自慢げな表情に、俺は思わず唸った。
鮮やかな手口だ。
「このシステムがあれば、船内に『本物の畑』を作れる。君が望む、泥と太陽の匂いがする野菜を育てられるのだよ。……どうだね?」
教授が悪魔のような、あるいは子供のような笑顔で誘う。
採れたてのトマト、瑞々しいキュウリ、香りの強いハーブ。
それらが、本物として手に入る。
俺の中で、理性が警告を発するよりも早く、胃袋が答えを出していた。
「……やりましょう。その計画、乗ります」
俺が頷くと、魔女と賢人は満足げに紅茶のカップを掲げた。
ホットサンドメーカーが無くてもホットサンドは作れる
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