第110話 『炙りハラス』と『サーモンフライ』と
皿の上の刺身が消え、その余韻を海草醤油の香ばしさが締めくくった頃。
コーディネーターの男は、次の調理に取り掛かった。
「次はこれだ。火を通した醤油がどう変わるか、確かめてみな」
男が卓上のグリルに火を入れ、獲物を並べていく。切り分けられた『クリスタル・サーモン』のハラスと、下処理された碧い鱗を纏った白身魚『アズライト・スナッパー』を一匹丸ごと、姿のまま網の上へと横たえた。
「スナッパーは筋繊維が細かく、コラーゲン質を豊富に含んでいます。加熱によって食感が大きく変化する個体と推測されます」
ルシアの分析を聞きながら、調理を見守る。
男は手際よくサーモンの腹身を強火にかけた。ジュワッという激しい音と共に、黄金色の脂が弾けて熱源へと滴り落ちる。そこへ、彼はハケで海草醤油を一塗りした。
熱せられた醤油が瞬時に蒸発し、焦げた醤油の香ばしさと魚の脂が混ざり合った芳香が、一気に部屋を満たす。
「あ、アキト! この匂い……すごくお腹が空いてくるよ」
ミナが身を乗り出す。差し出されたのは、表面がカリッと焼き上がり、醤油が焦げて濃褐色に色づいたハラスの炙り焼きだ。
口に運ぶと、ザクッとした皮目の歯応えのあと、中から熱い脂が溢れ出した。生食の時よりも旨味が濃厚に感じられ、焦がし醤油の香ばしさがそれを引き立てている。
続いて、グリルでじっくりと塩焼きにされていたスナッパーの姿焼きが皿に置かれた。
箸を入れると、表面の皮はパリッと弾け、中は驚くほど瑞々しく、ふっくらとしている。一口含むと、その味わいは地球の『真鯛』をより力強くしたような、高貴な白身の旨味が広がった。噛みしめるほどに身が解け、加熱によって活性化した繊細な甘みが喉の奥へと滑り込んでいく。
「加熱によるメイラード反応と、海草由来のアミノ酸が魚の脂質と結合したことで, 味の複雑性が向上しています。これは……論理的な構成でありながら、極めて情動を揺さぶる味です」
一切れを咀嚼したルシアが、これまでのデータに無い旨さに、瞬きを一つ忘れたかのように言葉を紡いだ。
その間に、調理場の奥から別の料理が運ばれてきた。
アズライト・スナッパーの煮付けだ。海草醤油と、これまた海藻由来だという砂糖のような甘味を纏った煮汁が、真っ白な白身に染み込んでいる。
「これ、すごくやわらかいですぅ……」
エマルガンドが箸を入れ、その身を崩した。先項の焼きとは違い、煮汁をたっぷり吸った白身は舌の上でホロリと崩れる。醤油の深いコクと、キレの良い甘さが、スナッパーの旨味をどっしりと支えていた。
次に出されたのは、サーモンの身を贅沢に使ったフライだった。
「衣の歯応えが最高だね! 身が厚いのにすごく柔らかくて、いくらでも食べられそうだよ」
耳をパタパタと動かして、この揚げ物をすっかり気に入った様子のミナに釣られるように、俺も海草醤油を数滴落として口に運ぶ。ザクッという衣の心地いい感触に続き、ふっくらと蒸し焼き状態になった身が口の中で解ける。醤油の香りが油の重さを打ち消して、いくらでも食べられそうな錯覚に陥らせてくれた。
そして最後を締めくくるように、スナッパーのあらで取った潮汁が運ばれる。
透き通った汁を啜れば、魚の骨から溶け出した純粋な出汁の旨味が、胃を温めてくれる。揚げ物の後にこの汁を飲むと、口の中が洗い流されるようで、素材の良さが改めて際立つ。
ふと、これに炊きたての白い飯さえあれば……という思いが脳裏をよぎったが、今は目の前の「本物」に向き合うのが筋だ。なより、これだけの海産物とちゃんとした醤油に囲まれている今この瞬間は、転移したてのあのサシミ・キューブを囓ったときのことを考えれば夢のようだ。
「……おいしいね、アキト。本当に、どれを食べても最高」
「……驚きですぅ。同じ醤油と魚で、こんなに表情が変わるなんて」
満足げなミナとエマの言葉に、俺は頷いた。コーディネーターの男が空になった皿を下げ、満足げに鼻を鳴らした。
「あんたらは今時珍しく、色んなモンを食い慣れてるみたいだな。こちらで取り分ける必要も無かったし、面倒が無くてこちらが感謝したいぐらいだ」
俺は最後に残った醤油の余韻を楽しみ、冷たい水で口を潤した。
「最高だった。……さて、一つ聞かせてくれ」
「今の魚、それにこの『海草醤油』や『甘味料』。……こいつらは、俺の船でも扱えるか? つまり、売ってもらえるのか。この味を、旅の先まで持っていきたいんだ」
俺は男の目をまっすぐに見据えた。
俺の問いに、男は少しだけ目つきを変えた。
1話に複数の料理を出したっていい。
お魚って買うとちょっと値が張りますよね……。
海鮮バーベキュー的な趣にしようかと思ってもいたんですが、サーモンが向いてなさ過ぎた
面白かった、続きが楽しみ、と思っていただけたら「★」をポチッと!
アキトの明日の夕飯が少しグレードアップするかもしれません。よろしくお願いします!




