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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第8章
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祈り続ける巫女 10

『はるま』



 唇から零れ落ちたその名前が私の鼓膜に優しく届いた途端に。


 暗幕がバサリと落ちて、突然風景が変わった。




 大勢の人達の手が私の体を運んでいく。

 滑るようになめらかに、傾斜のきつい崖の上に連れて行ってくれた。



 振り返ると雲海の中に山のように大きな生き物の背中がゆっくりと動いていた。



「振り返らずにいきなさい」



 柔らかな声がした。



「さぁ、行くなら今しかない。走って行きなさい」



 不思議な感覚のまま、私は前に向き直り走り出す。


 身体が軽くて一歩一歩が大きく良く跳ねた。


 面白いぐらいに軽やかに飛び跳ねながら、


 空に浮かぶひとつ星を目指した。



 あれは北極星。



 私を導く光。




「……はるま、迎えに来てくれたんだね!!」



 嬉しくなって、私は急いだ。


 走れば走るほど今度は体が重くなっていく。



 下り坂の道なき荒野の中を星に向かって只管走った。



 風になりなさい


 音になりなさい



 自分の名と、あの人の名を叫びなさい



 誰かが囁いてくる。



 小さな頃に戻ったような気がした。

 幼い頃にもこうして不思議な声が私に教えてくれたんだ。



 今はどんなに暗くても大丈夫。

 見えてくる光の下にいつか、あなたを待っている人がいるからと――――



「はるまぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 大声であなたを呼ぶと



 どこかからともなく聞こえてくる。




 私の名を叫ぶあなたの声が。




 私の帰る場所は、





 あなた。





* * * * *




 目を閉じたまま願っていた。


 俺は自然と息を止めていた。


 微かに触れる指先の感触から、瞼の裏で夏鈴の姿が再生される。


 俺の首に手をかけ、自分から抱き着いてくる愛しい女の姿を思い描いて


 細い腰を抱き寄せた。


 耳たぶに冷たい感触がした。


 わななくように小さな声で俺の名を―――――



 「は」という微かな音だけでかつてないほどに俺の全てが震えながら喜ぶ。



 ―――― まだ、だめだ。



 もっと夏鈴を感じるために俺は自分から触れるのを我慢した。


 なぜかそうしなければいけない、と俺はどこかではっきりと解っていたから。



「ねぇ、はるま。もう知ってるかもしれないけど、私は……」


「関係ない!!」



 目を開けてはいけない。


 夏鈴であってまだ夏鈴じゃない女はいつか拾った子猫のように震えていた。


 赤ん坊を抱くように包み込んでやる。


 俺の腕の中で眠りに落ちていく愛しい人の寝顔も呼吸も懐かしくて

 やっぱり俺はどうしようもないほど泣いていた。



「……お前が辛い目に遭っている時、傍にいて守ってやれなくて、ごめんな!!」



 お前がよく言っていた言葉を思い出す。


 どうしようもないことはどうすることもできない。

 だけど、それを想っているだけで物事はきっと望む方向へと流れ出すんだ、と。


 長い年月をかけて水や風が大地を削るように、

 揺るがないはずの出来事が姿かたちを変えて新しい意味を与えてくれるのだ、と。


 どうしてそんな風に考えられるのかわからなかった。

 お前以上に不思議な存在を俺は知らない。


 全てが特別な存在。



 かけがえのない大切な女。



「心配なんか要らない。俺からお前の手を離すことは未来永劫あり得ないからな!!」



 俺は力が籠りそうな手を堪えながら、

 まだ不安定な夏鈴らしき白い影を抱きしめた。



「……ふふふふふ」



 彼女が突然不敵な笑いを漏らす。



「ふっふっふっふっふ………」



 声が変わっていく。


 夏鈴じゃない、別の声になる。


 俺は愕然としながら目を開けた。



 目の前にいたのは、白い着物を着た男だった。



「……龍?!」



 つるんとした艶肌の若い男は、驚く俺を見てにやりと笑う。



「……あ~ぁ、本当に自分が嫌になっちゃうな……。


 なんでこんな入り込む余地のないあんたの女に、俺は十年以上も想いを寄せちゃったんだろう。そんな向こう見ずな夢さえ見なければ、この若さで死ぬこともなかったかもしれないのに」



「死んだのか? ………お前、死んだのか?」



 龍は笑顔をやめて、仏頂面で真正面から俺を睨みつけた。



「あんたの女を抱こうとしたその時に、死んじゃった。あんたに食らわせたスタンガンよりも強力な電流で撃退されちゃって」



「夏鈴が?!」



「そうだよ。あんたの女、デンキナマズみたいだった」



 また、人の女をそんな化け物みたいに言いやがってと文句を言ってやろうとしたら、龍はもう居なくなっていて代わりに年寄りが車いすに座って俺を見上げていた。



「な、なんだ? どうなってるんだ?」



 俺が驚くのを楽しそうに笑って見ていたその人は、確か……。



「まともに挨拶も出来なくて残念だと思っていたんだ。こうして話が出来る機会を与えられて、白龍様には感謝せねばならんな。


 波戸崎千歳と言います。妹の野々花と、親友の黒桜の子供に孫。君は孫娘の夫なんだろう?


 ほんの少しだけこの年寄りの戯言に付き合ってくれるかね?


 晴馬君だったよね? たしか」



 面喰いながらも俺は頷いた。


 でも、俺の顔は引き攣っていたに違いない。夏鈴がすぐそこにいたはずなのに、どういうわけか今は関係ない奴らが次々と……。



「盛り上がっていたところすまないね。


 でもこの後、機会が無くなってしまうと思うとね。出るタイミングはもう今しか残されていなかったもんだから、本当にすまない。


 白龍様から君へ伝言を預かってきた。


 夏鈴が戻ったら、この場所はすぐに消える。

 巻き込まれないうちに素早く町へと急ぐように。


 気付いているかもしれないが、ここは結界の内側だ。

 そもそも誰にでも境界線を越えることは出来ない場所でね。


 元々は白龍様の許しがないと近付くこともできない神聖な場だった。だけどその場に呪い箱を作られ、白龍様の一部が黒龍と変異し呪いの力が強化されていた。


 私は長い間ずっとこの結界の中から呪いが漏れ出ることのないように見張ってきた。勢いがある時代は最初の百年だけで、その後ろの三百年間は衰退と悲劇に見舞われた。それでも波戸崎家はなんとか代を繋いで勤めを果たし、今漸く終止符を打つ事ができる。


 やっと長きに渡る戦いが終わる。

 本当に、ほんとうに、最期の最後に君には助けて貰ったよ。


 ありがとう」


「俺はなにもしてませんよ」



 釈然としない気持ちを込めて、俺はため息を吐くように反応した。彼はまるで父親のような慈愛に満ちた目を俺に向けて「人はね、必要とされる時と場所に居るだけで役目を果たすことができるものなんだよ」と諭された。



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