祈り続ける巫女 6
俺の気が反れた瞬間、白龍は切っ先を振った。
夏鈴の胸に立て筋の切れ目が入り、そこから赤い血が流れだす。
「夏鈴!!」
「やめろ!!」
「いやぁぁぁ!!」
動けなくなっていた黒龍が身をよじって暴れだした。髪を振り乱してあり得ないような獣の声を、雄たけびを上げる。
苦しんでいるのが、わかる。
「傷つけるな!! 俺の夏鈴に、なんてことを!!」
刀が意思を持ったように動いて、俺の全身までもが操り人形のように勝手に動こうとするのを、夏希さんと美鈴さんが必死で止めていた。
「夏鈴を傷付けないで!!」
「こんな方法しか、本当にないんですか!?」
二人の口ぶりに俺は耳を傾け、白龍の反応に意識を集中する。
白龍は聞く耳持たないといった感じだ。
「晴馬!! こっちに来い!!」
爺さんが呼んでいるのに、俺は白龍に振り回され、夏鈴はまるでスパイダーマンのように全裸のまま壁に飛び移り重力を無視して四方の壁を四つん這いで走りだした。
ホラー映画さながらのアクションシーンだ。
――――― ちくしょう!! こんなの、見たくなかった!!
抑え込んでいた二人を弾き飛ばした白龍が俺をグイグイと引っ張って、穴が開いた天井から這い出て行った夏鈴を追いかけ、ぶち抜いたドアから外へと飛び出す。
その時、背後からまた爺さんの声がした。
そこに夏鈴の魂がいることは明白なのに、俺の体はもう白龍に乗っ取られているように全く言うことを聞いてくれない。
――――― やめてくれ!! 白龍!! お前を信じた俺が馬鹿だったとか、言わせたいのかよ!!
白龍はただ標的を捉えて追いかけ続けている。
俺もまた重力を無視して、夏鈴が駆け抜けた場所を二足歩行で猛ダッシュしていた。
四つん這いの夏鈴の方が倍程素早い気がする。
憑依されている夏鈴は獣の化身のごとく、洞窟の最奥で怯えていた生贄達に向かって行った。
「行かせんぞ!!」
俺の口を乗っ取った白龍はそう叫ぶと、刀の持ち方を変えてあろうことか夏鈴の背に向けてその長くて思い白刃の日本刀を、砲弾のように投げ飛ばした。
真っすぐと夏鈴に向かって放たれた刀が、やけに白く輝く。
「かりぃぃぃぃぃぃぃぃん!!」
皆の悲鳴がかった声が洞窟内に反響した。
無情にも。
白刃の刀が振り向くこともなかった夏鈴の背に吸い込まれた。
貫かれた刃先が地面に突き刺さって、夏鈴は文字通り縫い付けられた布切れのように無残に崩れ落ちて、ぐったりと弛緩した。
青紫色の肌の色が傷口から白く変色していく。
俺は息するのも忘れて駆け寄って、すっかり白くなった夏鈴の体に怖々と手をかけた。
刀はもうただの模擬刀になっていた。白龍が消えたことを物語っている。
抜き去ることも出来ない状態に、俺はただオロオロとして狼狽えた。
「夏鈴!!」
四つん這いになり、夏鈴の顔を覗き込むと安らかな表情で瞳を伏せたまま人形のように静かだ。
「晴馬! 夏鈴!?」
追い付いてきた美鈴さんと夏希さんが二人がかりで夏鈴の身体を抱き、俺には出来ない処置を始める。ゆっくりと刀を引き抜こうとしたのだ。
「そんなことしたら……」
「ここは任せて、あなたは石櫃の部屋に行って! 夏鈴がまだそっちにいるから!」
「!?」
「肉体と霊たましいが引き千切られた。夏鈴を元に戻せるのは、君にしか出来ない!
まだ、死ぬには早すぎる。娘を助けてくれ!」
わけがわからない中、俺は彼らの言葉をただ素直に信じることしかできない。血が流れ出す夏鈴の身体を見ると、俺は情けない程に全身震えた。
震えながら何とか立ち上がり、夏鈴をその両親に任せて石畳の坂を登った。急げ、と背中を押されながらもつれそうな脚を懸命に動かしていく。
瓦礫の向こうから燿馬と恵鈴が降りてくるのが見えた。
二人共、只ならない気配を察したように泣きながら夏鈴の身を案じて叫びながら駆けてきた。
時間がない。
石櫃の部屋に戻ると、爺さんが険しい顔をして壁を支えていた。
「こっちへ来い!」
近付くにつれ、夏鈴の気配を確かに感じ。
爺さんが支えている場所に手を伸ばして、触れた途端に夏鈴が姿を表した。
グッタリとしていた。
それに半透明で、今にも消えてしまいそうだ。
「夏鈴?!」
触ると言っても何もない場所に微かな温もりを感じる程度の、儚い感触にまた背筋が凍る。
「夏鈴、ここに晴馬がいるぞ?」
爺さんはそう言うと、俺に目で訴えながらそっと離れた。
ここから先、何をすべきか。
何も思い付かない。
『 は、る、ま 』
微かな声で俺を呼ぶ夏鈴に、堪らず身を寄せて行って唇にキスした。
熱い雫が俺の頬に触れる。
夏鈴の流す涙が次々と降り注ぐ。
まるで走馬灯のように過去の幸せな日々が脳裏に流れ出した。
ダメだ! 死なせない!
「愛してる、夏鈴!!」
必死に伝える。
『晴馬、愛してる』
幽かな声だが、夏鈴も懸命に伝えてきた。
「諦めんな!? 迎えに来た。
恵鈴も燿馬も無事だ!
それに爺さんも、美鈴さんも、夏希さんもいる!」
朧気な夏鈴の輪郭が力強くなる。
「みんなで力を合わせて、黒龍を退治したんだ!
もう、居なくなったんだ!
あとはお前だけだ。お前が無事に元に戻れたら……」
夏鈴は半分嬉しそうで、もう半分悲しそうに頷いた。
『晴馬。私はもう……帰れないの』
耳を疑いたくなるセリフが飛び出して、俺は息が止まった。
『私、この部屋から出られないわ』
「そんなことはないわ、夏鈴」
背後から柔らかな女性の声がした。振り返ると、夏鈴によく似た着物姿の女性が爺さんと二人並んで立っていた。
「私たちがあなたを自由にしてあげる」
「黒龍が消えた今、呪い箱は本来の存在理由も消滅した。
死者を弔うのは死んでいる俺達にもできる。お前はもう、晴馬のもとに帰りなさい。夏鈴」
二人はなぜか俺の肩に手を乗せた。
俺の身体を通して、夏鈴に二人の熱が伝わっていく。
そうしている間にも夏鈴の涙は流れ続けていた。顔だけがやけにはっきりとした色味を帯びて、夏鈴が泣いているのが目で見えると、俺はいつものようにこの手で彼女の涙を拭いてやる。
どんな大きな雫でもひとつ残らずそれを受け止めていく。
「お前を一人にはさせない! 俺はずっとそばにいる! だから、諦めんなよ!!」
夏鈴がようやく睫毛を持ち上げて、澄んだ宝石のような瞳を俺に向けた。
『嗚呼、泣かないで……。そんな悲しそうに泣かないで……』
持ち上げられた手にも色味が帯びて、半透明だった体に少しずつ生気が流れ出す。
俺たちは互いの顔を両手で包みながら口付けを交わした。
「なにがあっても離れない。俺達は一心同体だ。だから、絶対に俺は諦めないからな!!」
決意と願いを込めた言葉に、自分でも情けないぐらい泣けてしまう。
消えてしまいそうな夏鈴を抱きしめたくても、実態がない彼女をどうやっても抱くことができなくて、歯がゆくて、切なくて――――。
そんなことをしているうちに、耀馬と恵鈴が部屋に入ってきたのがわかった。
「ママァァァ!!」
「おふくろ!!」
二人の子供たちは俺の両脇に駆けつけて、壁に体を囚われている夏鈴の両手をそれぞれ握り絞めた。
「恵鈴がおふくろの絵を描いた!」
「ママ! 聞いて! 私が描いた絵に移動して! 燿平さんが居場所を用意してくれたから、そこなら安全だから!!」
何を言っているのか意味がわからない。
だけど野々花さんがいちはやく反応した。
「ここにいるよりも安全ね。 でも、どうやって移動させるの?」
「夏鈴の身体の回復も時間が要る。その間も呪い箱の傍におればどんどん命を吸い取られるぞ。まずはこの部屋から連れ出そう」
「俺がやる」
燿馬が腰ベルトに付けた工具入れから、のみと金づちを取り出し夏鈴が拘束されている壁の上部と下部に打ち込み始めた。
「私がくり抜いてみせる」
亀裂を導きながらうまい具合に壁に輪郭を描くと、今度は恵鈴が膝を曲げて精神統一をし始めた。




