眠れぬ龍の夢 3
白い世界が急に姿を変え、元居た場所に戻ると、宇都宮さんの姿は消えていた。
でも腰に刺してある日本刀は確かにここにある。少しだけ鞘から抜くと、白い刃がまぶしいぐらいに光っている。
「……うわ、すっげ……」
それしか、声にならなかった。
白鷺の家のドアを開けると、大きな部屋に出た。目に飛び込んできたのは、なぜかあの人だった。
「晴馬!!」
俺に気付いた彼は両手を広げて、嬉しそうに真っすぐと駆け寄って来て。
どーんと体当たりされ、よろけながらもその体を抱きとめた。
彼の両手が俺の頭の後ろを抑えつけて、背伸びした彼に唇を塞がれ。
慌てて肩を掴んで引きはがした。
「良いじゃん! あと、ちょっとだけ」
「燿平さん!! なんで……??」
「ここはもう、この世じゃないらいんだ」
燿平さん越しの耀馬が、俺に答えをくれた。耀馬の向こう側では狂ったように壁に向かって筆を走らせている恵鈴の背中が視える。
「あの世とこの世が交じり合う不思議な空間になってる」
「その通りだ。耀馬、よく頑張ったな」と、また爺さんが俺の背後からすぅっと姿を現して、耀馬に歩み寄った。
耀平さんがその間にもまた、俺に抱き着いてきて離れようとしなかった。
「ちょ、ちょっと、待って。燿平さん、そんなにくっつかないで」
「晴馬のいけず! こんなに大好きなのに!」
「……そんなキャラでしたっけ? 今、夏鈴を助けに行かないといけないんで、後にしてもらえますか?」
「もう、ばか!! 晴馬なんて、知らない!!」
燿平さんがまるで嫉妬した女みたいに面倒くさいことになっている。それにしても、この人死んでから二十七年経ってるのに、相変わらずの燿平さん振りに安心する。性格が素直になった以外は何も変わってない。時が止まったままなんだ。
「あれ、でもどうして?
耀馬と恵鈴に生まれ変わったはずなのに、ここにいるんですか?」
燿平さんはどや顔になった。
「そりゃあ、お前。この俺を誰だと思ってるんだよ?」
ちびっこい燿平さんのすぐ後ろに控えていた耀馬が、俺たちのやり取りを面白そうな目で眺めながら説明してくれた。
「この絵のせいだよ。燿平さんの頃の記憶の中にいるかららしいんだ。驚くことに、彼は白鷺丞の血筋らしいよ。ほんと、世間って狭いよな」
嗚呼なるほど。そういうことか。って、本当にわけがわからない。
死んだ人間が二人もここに、こうして違和感なく一緒にいる。普通に触れ合うことも言葉を交わすこともできる。
これが、俺が知らなかった夏鈴の居る世界なんだ。
夏鈴はいつも、こんな風に死者と話をしていたんだろうか……。
「白鷺っていえば、全然見かけなかったけど」
爬虫類顔の中年男にしては少し若い雰囲気の画商のことを、ふと思い浮かべた。そういえば第一印象で彼の細身で小柄な体型は燿平さんとリンクしたんだった。顔の造りは全然違うけど、骨格が良く似ていた。遺伝子が共通しているというわりに、あの男はまだ一度も殻から出たことがない雛のような幼さを俺は見ていた。
「ああ、彼はね。梅田原家と一緒に地下に降りたんだよ。黒龍がみんな呼び寄せていたから」
しれっと燿平さんが教えてくれた。黒龍という言葉に、あのいけ好かない龍という若造を連想する。
「俺はこの部屋から出られない。ここでお別れだけど、最後にキスしようぜ?」
突然、燿平さんが俺の首に両腕を回して抱き着いてきた。二度目の接近と、息子と爺さんがこっちを見ている目の前で、俺の秘密の恋がいともたやすく暴露されてしまうなんて。
遠い過去に置いてきたはずの性別不明のかわいこちゃんに迫られるがまま、俺は体を傾けて彼を抱き寄せた。触れた唇に懐かしさと、夏鈴にだけ感じることのできる甘い疼きが走る。そっと触れ合う程度のキスで満足した俺たちは離れた。
「実はさっき、夏鈴ともキスしたんだぜ? あの子、大分虐められて弱ってたから、俺の殆ど全てを夏鈴に注ぎ込んだ。だから、ここにある絵は皆もうすぐ俺と共に、永遠に消える。
魂が抜けた絵ってな……、色褪せて価値も存在感も消えて、朽ちていくんだ……時と共に枯れるぐらいなら俺と共に消滅して良い。
夏鈴に出会えなかったら、俺は自己顕示欲を垂れ流しただけのこいつらにいつまでも縋りつくみっともない画家だったに違いない。
あの子はすごい女だ。お前がちゃんと守ってやれよ」
「燿平さん!」
――― これで本当の本当に、最期のキスだ。
誰の視線も気にせず、迸る心のまま俺は彼の細い腰を強く抱きしめた。本気で愛してる女は夏鈴一人のはずなのに、俺の中のもう一人が、燿平さんの才能に共鳴しリスペクトする強い想いが、この瞬間の俺を支配した。
忘れたくない。
死んでも忘れたくない。
こんな気持ちにさせてくれるあんたを、忘れるわけにはいかない。
俺の人生に多大なる影響をもたらし続けている彼にありったけの想いを込めて、俺を刻むように乱暴なキスをした。
やがて燿平さんから腕を突っぱねて俺を突き放すと、彼は無垢な子供のような笑顔を向けた。
「……愛してる。お前の子供になれて良かった……。これからも、よろしくな。お父さん」
燿平さんはそう言いながら、薄くなって消えていった。
彼が完全に消えたとほぼ同時に、この部屋に色鮮やかだった絵が皆真っ白に変わってしまった。本当に絵が死んでしまったんだ。
いや、そうじゃないよな。こんな時にまで燿平さんが力になってくれた。こんなことって、本当にあるんだ。
俺たちの別れに背を向けて待ってくれていた耀馬が近付いてきた。こいつの魂は、燿平さんの魂なんだ。俺と夏鈴の遺伝子を持ちながら、燿平さんの魂を持つ耀馬と恵鈴がこうして一緒に戦ってくれている。そう思ったら、言葉にならない気持ちになる。
「地下室に穴を開けなくちゃいけないんだ。太陽の光を差し込ませる。そのためにどうすればいいか、一緒に考えてくれない?」
俺は耀馬と二人で地図を広げ、地下室の真上と思われる建物の位置を確認して、屋根に上るために廊下の窓を開けて外に出た。爺さんには恵鈴の護衛を頼んで。




