呪い返し 8
本当に間に合って良かった。
今頃になって、足腰がガクガク震えるほどにピンチだった。
「ね、耀馬。私、……怪力だけど、嫌いになったりしてない?」
ずっと引っかかってた質問を投げてみると、耀馬はちょっとだけ驚いてすぐ優しい笑みを浮かべた。
「……どんだけ長い付き合いだと思ってんの?
さすがに、壁ぶち抜くのは驚いたけど、でもおかげで助かったんだし……。
お前じゃなきゃ、俺は死んでたかもしれない……」
本当にそうだ、と思う。私に怪力が無かったら、耀馬を救い出すことなんて不可能だった。
「嫌うわけがない。俺には、これまでもこれからもお前しか要らない。
きっと他の人じゃダメだってはっきりそう感じるんだ。だから……」
耀馬は私の手の甲にキスをして、それからそっと大きな手を私のおなかにあてた。手から出る暖かなエネルギーがとても気持ちがいい。
「もしも、俺達の子供が生まれたら、俺は爺ちゃんの名前をつけたいな」
――― うそ!!
同じことを考えていたと知って、胸が熱くなった。
「俺達にだって、幸せにできるはずだからさ」
「……うん、うん、そうだね」
私たちはうんと幸せな気持ちでキスをした。
愛する人が居るこの世界を、淀んだ歴史の歪みなどに変えられたりはさせない。ママと私が力を合わせればきっと……。
「愛してる、恵鈴。だから、みんなで絶対に帰ろう」
「愛してる、耀馬。皆がいるからきっと、大丈夫な気がする」
力強い決意を確かめ合って、私たちは大きく前に歩みを進めた。
ママが私たちを信じて待っている気がして、急がなくちゃ ――――。
ママは普通の人とは違うということは、幼い頃に気付いていた。
見上げた横顔が真剣に何かに注目していて、その視線の先にあるものが目に見えるものではないことや、人の体の中を流れるエネルギーのプラスとマイナスについて私にアドバイスしてくれたこと、自分の意思とは違う大きな流れにおしながされていくこと、逆らうことについてもママはとても落ち着いて意外な意見を口にしていた。
「なるようにしかならなくても、その中で何を信じるかよ。同じ出来事も全然違ったこととして自分に中に積み重ねられていく。悪いことの中にも必ず良いことはあるの。それを見つけるのが、私達の良いところよ」
悪いことの中にも必ず良いことはある。
ママは私にもそれを見つけられると確信していた。
決めつけていたんじゃない。
もうわかっていたんだよね。ママ。
――― ママの期待に応えたい。
感じる。
沢山の人々がママに押し寄せている。
普通の人なら死んでも不思議じゃない程の冷えたエネルギーがママに集まっている。それを長く続けると、いくらママでもどうなるかわからない。
「私にできることは?」
「絵を描くこと?」
耀馬がすぐに答えをくれた。
白鷺のアトリエで見た田丸燿平の絵を思い出す。
真央さんのBLUESTARで見た、真央さんの旦那さんがコレクションした無名の画家達の絵を――――。
絵には体温がある。画家の魂が宿っているように、まるで生きていると感じさせられる絵に何度も出会ってきた。私も自分の魂が宿る絵を描きたい、そう思って一心不乱に筆を振るってきた。自分の中に眠る壮大なエネルギーを絵に込めた。
燿平さんの絵は、確かに同じだった。私は彼の画家魂を強く受け継いだんだ。
それはきっと、意味があること……?
ママの絵を描けば………
唐突に浮かんできたイメージに、私は全身に雷が落ちてきたような強い衝撃を感じた。
「ああ……あ……耀馬………」
立ち止まって彼を見上げる。私の異変に気付いた耀馬は私の手を強く握りしめた。
「ビリビリ来る……。何が起きてる? 俺に何ができる?」
「絵を……ママの絵を描きたいの。壁でもいいし、絵の具かペンキがあれば……」
ギョッとしたけれど、すぐに気を取り直して私たちは波戸崎家の部屋をひとつずつ調べた。すると、ママが居たと思われる真っ白い家具で天蓋付きベッドのある部屋を見つけた。ママの残留思念がまだはっきりと残っている。怒りを筆頭に強い悲しみを感じた。
「耀馬、ここでママが……辛い体験をしてるみたい」
「え?」
「感じない? ママが助けを求めてる……。ここでよっぽどのことがあったんだよ」
脱ぎ捨てられたバスローブからも、ベッドの隅に置かれたままのしわくちゃになったシーツからも、ママの気配を感じる。こんなところでどんなことが起きたのか、想像するには容易い。
それは耀馬にもわかったようで、怒りをぶつけるようにベッドマットを両手で叩いた。
「あいつだ!! あの男が!!」
耀馬の言うあいつが誰か、すぐにわかった。よく見れば部屋には写真立てがある。幼少期の頃に撮影されたと思われる両親と三人の写真に、あの晩餐会で見た彼の面影がはっきりと感じられた。写真立てを掴んで持ち上げると、うめき声や叫び声といったような不気味な音が聞こえてきた。
思わずそれを投げ捨てると、写真立てのガラスが割れた。
写真から白い煙が立ち上ったと思たら、すぅっと流れ始めた。その白いものに導かれるように、私は後を追いかけ、耀馬も着いてきた。




