真実は闇の中 11
夏鈴の手を取って指輪を嵌めようとした時だ。
バチン!
また、強い拒絶を思わせるような強烈な静電気が走った。
弾みで吹っ飛んだ指輪がどこに消えたのか探しても見つからないため、指輪を諦めることにした。
「夏鈴さん。行きますよ?」
声をかけても夏鈴は返事をしない。龍はため息を吐いた。
会場の中をこっそりと覗くと、疑心悪鬼になった者たちが吐き出した見えない黒い糸によって大分汚れていた。その蜘蛛の糸が飛び交うような異様な光景の中で、食事をする彼らの顔付からは希望の光は見えない。
迫りくる死に対抗する術を失って途方に暮れているのが手に取るように伝わってきた。だが、その中でまるで空気が読めないといった梅田原家の若き後継者がでしゃばっていた。
自分の手柄みたいに話す態度も気に入らないが、今水面下で起きている危機にまるで鈍感な凱彦をあざ笑ってやりたくなったが、もっと憎むべき敵が目についた。
誰が用意したのかわからないが、高級スーツを着こなすモデルのような等身とスタイルの男。
五十台には全く見えない若々しさと、紳士ぶっているが中身は野生の獣のような激しさを隠し持つ夏鈴の夫が最も生き物としての存在感を放っていた。
溢れる生命力という言葉がよく似合う東海林晴馬は、妻を取り戻そうと必死のご様子だ。
―――あの男に絶望を味合わせたい。
そんな思いが、龍の言動を支配し始める。
自分が誰かもわからなくなった祖父の車いすを押して、龍は会場に入って行った。
一同の視線が彼らにくぎ付けになった。
人々の目には尊敬と畏れが入り交じり、尚且つ呪い箱による家族の死によって不幸の底に引きずり降ろされた亡者達の藁にも縋りたいという浅ましい縋りを感じて、この場で最も力があるのは自分なのだと龍は思った。
「皆さん、お久しぶりです。こうしてお集まり頂き、お元気そうな顔を見られるだけでとても嬉しく思います。
我が祖父、千歳は見ての通り元気ではありますが、最近は調子が悪い日が多いのです。
本日は、祖父に代ってぼくが皆さんのお相手を務めさせて貰います」
口からすらすらと流れるように出てくる言葉に、毎度龍自身が驚かされていることを誰も知らない。場の空気を支配するという楽しみに味を占めた者だけが感じる、支配者の高揚が龍をおしゃべりにするのだ。
「皆さんに合うのは実に三年ぶりですが、ぼくは波戸崎千歳の孫にして最後の一人、波戸崎 龍です。
ここ二年程の夢見の預言は、実際はこのぼくがして参りました。公表せずにいたのは、千歳の後継者問題で調査していた為です。
報告が遅くなりこの場を借りて謝罪いたします」
改めて言う必要のない自己紹介をするのは、各家の当主以外の者たちに対する挨拶と、夏鈴の夫にその子供たちが揃っているせいでもある。
彼らは龍が何者なのか、まだ何も知らないのだ。この会場で最も偉いのが龍であることを印象付けるために、龍は過剰に優雅さを振りまいた。
呼応するように、会場全体から拍手が沸き上がる。
「龍。そういう話は、明日以降で良いじゃないか」と、梅田原凱彦が邪魔してきた。
苛立った龍が張り詰めた空気をわずかに緩めてしまった途端、東海林 晴馬が席を立ちズカズカと凄い速度で近付いてくる。
腰が砕けそうなほど怖くなった龍は、それを悟られまいとして虚勢を張った。
「おまえ! 夏鈴をどこに隠してやがる!!」
「お静かに願います。東海林 晴馬さん」
「夏鈴を返せ!!」
「物騒なもの言いですね。彼女はちゃんとそこのドアの向こうに待機してますよ。
あなたが騒ぐのをやめてくれれば、夏鈴さんにすぐにでも会えるんですよ。落ち着いて下さい。良い大人なんですから」
龍は背後から迫りくる闇の力を感じた。
東海林 晴馬を筆頭に、その娘と息子たちを生贄に差し出せば良いのだ、という閃きが舞い降りてきた。肉塊になった彼らから離れらなくなった夏鈴は、自分と同じようにこの監獄に閉じ籠り不幸な亡者達の慰め役をしながら、愛する家族と共にこの地に根を下ろすだろう。
これ以上良い考えはない、と龍は思った。
ジャケットの内ポケットに忍ばせていたペンシルタイプの特殊な注射器を、上着の襟を正すふりをして確認する。怒りに任せて自ら自分のところにやってきた晴馬を、これで再び眠らせてしまえ。
その時。
急に風が吹いた。
長いダイニングテーブルの真ん中あたりに座っていた女から、オルゴールのような小さなメロディーが聞こえてきた。
会場内の空気を浄化し始めているかのように、彼女の身体から虹色のオーラが膨らんでいた。
すると、咲いたばかりのバラの花を拳の中で握りつぶすように、夏鈴の娘の気を闇の力は抑え付けにかかった。
黒い龍が彼女の気を飲み込むように襲い掛かり気絶させた後、黒龍はさらに会場全体を這い回り始めゲスト一人ずつの頭部を噛み付いて行った。
龍は一瞬、金縛り掛かってどうすることもできずに、その惨状を見守っていた。
「お前が何かしたんだろ?!」
息子の方が悲鳴交じりの声で叫んだお陰で、龍は我に返った。
黒龍が龍と晴馬そっくりの若い男を見比べている。
「君が夏鈴さんの息子の燿馬君か。野暮ったいところが父親にそっくりだな。
一応、ぼくらは血縁者だ、よろしく」
いつの間にか夏鈴そっくりな息子の前に居た龍は、無意識にそんなことを言った。初めて聞く名前を自分から口に出す不思議な感覚の中、事態は加速するように無情にも動いていく。
「触るな!!」と、怒鳴りながら晴馬が近付いてきた。
―――あと、少しで手に入る。
「俺の家族に触るな。血が繋がってるからなんだよ?
いきなり理由の解らないことに振り回されっぱなしで、ろくな説明もしないお前なんか、信用できるか!!」




