真実は闇の中 2
短刀の柄と鞘が一連の絵となるよう特別に施された織物が巻き付けられている。その絵には白い龍と黒い龍が互いの長い体を張りつかせ、蜷局を巻いていて一様に同じ表情を浮かべていた。
目の色、手の大きさや配置、その長い爪に握られた珠玉までもが同じもので、龍の周りには吹き出されたような白雲がたなびいていて、まるで空を素早く飛ぶような構図として描かれている。
金の糸によって黄金色に輝く正に宝物といった風情で―――。
夢とまったく同じだ。
この日が来るのを、私は知っていた。
この刀を抜くと、なにが起こるのかも、うっすらと覚えている。
だからこそ、怖くて震えながらしばらくの間、
私はただ刀に描かれている二頭の龍を見つめた―――――。
直接肌に触れて良いものとは思えない妖気のようなものを放っている刀を、私は自前のハンカチ越しに掴んで、スルリと引き抜いた。
その時。
目の前が突然、真っ赤に染まる
細い縫い針が血管の中を遡るかのような、赤く生々しい薄い膜の中を、まるで流れるように突き進んでいく。
鮮明だった赤が黒く濃く、そして完全なる闇色に変わり、すべての感覚器官が麻痺した。
―――私は夢を見ている?
――――――身体の、皮膚の、すぐ下に、何かが走る。
あまりのおぞましさに我に返って、悲鳴があがった。
自分の声が、歪んでいる―――
やだ、やだ、やだよ、
こんな、ことって
―――まさか本当に、本物の呪いがあるだなんて信じられない!
実物を見て触れた途端に私の内側へと侵入してくる沢山の過去の遺物に封じ込められた誰かの記憶が、一斉におしかけてくる。
内なる世界と外側にある世界の境界線が、脆い砂糖菓子のようにボロボロと崩れ落ちていく。
「嗚呼……、晴馬」
ここにいない愛する人の名を唱えながら、私は昏倒に身を任せ抗うことも出来ずに意識を手放していた。
* * * * *
大きな流れ星が頭上を横切っていく。
遥か遠い空の、さらに高い場所を突き進むその星はほうき星(彗星)と言うのだそう。
人ひとりの生涯に一度だけ見ることが出来る巨大流れ星。
古い時代の人々はどんな気持ちで、その異様な光景を見ていたのだろう。
四つの家を繁栄させた波戸崎家の不思議な力のルーツを、あの巨大流れ星が教えてくれる。
*
私は長い時間風となり
空に溶けて陽が沈む間の、
光と闇が混じり合う瞬間の間だけ
意識を取り戻すことができた。
”私”には沢山の名前がある。
時代によってその名を変えて、
幾人もの人生に宿り
双子の龍の生末を見守り続けてきた。
白い龍と黒い龍は混じり合えない光と闇のことを指す。
互いの中にある相反する力の存在を表している。
この龍を生むために実に多くの人の命を指し出した。
それは、絶対に許されない行為だった。
本来それは活火山や地殻変動の際に生まれる力であり、
人が人工的に作り出せる代物ではなかったのだが、
巨大流れ星が落とした僅かな破片が地上に降り注いだ時に、
偶然にもその日生まれた子供の魂に宿ってしまったのが不幸の始まりだった。
本来ならば五十年程で消えゆく光であったというのに、
力の存在に気付いた欲深い者達の手によって
何世代にも渡って受け継ぐために、
四十年に一人ずつ生贄を用意した。
それが、波戸崎家の血塗られた歴史である。
石櫃の中は古い時代の時が閉じ込められていて、
そこに遺体を入れると時間の流れを止められる効果で、腐乱することはまずない。
むしろその逆で、
生きながらもがれた腕や脚は
未だ生きているのである。
宿主を無くしたことにも気付かずに
ひっそりとただ生きていると言える。
石櫃が壊れない限りおそらくまだ数百年は力を維持していけるだろう。
けれど必ずその力を制御する者の存在が不可欠ではあった。
波戸崎家の血を受け継ぐ者でなければならない。
これは、血で契約された力である所以だ。
この術は異国から持ち込まれたものだった。
一国を治める支配者のために生み出された術で、
生贄を大量に必要とするものだ。
波戸崎家の石櫃は
そのほんのわずか米粒程度の小規模のものだったが、
最初の生贄となった少女の潜在能力が高過ぎて、
予想を遥かに上回る成果を得ることに成功してしまう。
大いなる力を手に入れた者たちはたちまち豊かになっていった。
後に日本各地で鉱脈を中て大財閥を創設した家々がその恩恵を受け続けた。
豊かさを独占するために波戸崎家の力は秘密とされてきたが、
やがて徐々に勢いを失い子宝は途切れ
病や事故が度重なって財閥は衰退していく。
願いは叶えられたが
永くは続かなかった。
そのため。
十数年に一度、十五歳の男子が生贄として捧げられ続けた。
その一方では、代々十三歳になる少女が石櫃の少女の力を宿すため、
成人の儀式として三日間飲まず食わずの継承式を済ませ
波戸崎家の血を引く娘が娘を産み引き継いだ。
初代の巫女は
石櫃の巫女の母、チグサである。
*
「千草!!」
名を呼ばれて私は飛び上がった。
両肩を掴んで私を覗きこむ男の顔が迫ってきて、私は思わず身を引いて逃げると。
「……どうして?」と、懇願するような声で抗議される。
「…どうして、こんなことに………」
男は悔しそうに、悲しそうに、歯を食いしばって下を向いた。乾いた土の上に涙が落ちて、黒い斑点がいくつも浮かび上がるのを不思議な気持ちで見つめていた。
―――私はだれ? ここは、どこ? この人は……誰なの?
見たようなことがある背景に目をやると、石切り場の大きな空間に私たちは居て、石で出来た台の上には生々しい肉の塊が赤黒い血を噴き出しながら横たわっていた。
返り血を浴びている自分に気付いて、私は手を放した。
カランと冷たい金属音が響く。
「まだ儀式は終わっておらぬ! 邪魔するでない!!」
険しい顔をした老人が私をゆすっていた男に長い棒を突き立てた。
「っく!!」
男は苦痛に顔を歪ませながらも、私の頬に手を乗せる。
「……千草……、お前にこんな……こんなことを…………、させると知っていたら俺は………」
バタバタと足音が近付いて来て、崩れ落ちそうな男の両腕を複数の男達が掴んだ。
「神聖な儀式の邪魔なんかして、お前死ぬぞ!」
「……もう、あの人はお前の妻じゃない。あの人の中には大いなる力が宿るんだから」
「大事な儀式だ。これが終わるまでは、大人しくしておれ。さもないと、お前も……」
次々に聞こえるのは、男たちのそんな囁き声だった。
私は、まるで、お酒を飲んだ時のように、ぐらぐらと眩暈の中で、やっと、立っている。
祭壇の上ではまだ、生きている愛しい娘がいた。
舌を切り落とされ、喋ることもできない憐れな娘が……。
こんなことはしたくないはずなのに、何か強い力に操られるようにして再び足元の刀を持ち上げると、私はよろめきながら、ゆっくりと、、、祭壇に、、 、、、、、手を、伸ばして―――――
きゃぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
頭の中で、私と娘の悲鳴が共鳴して鳴り響いた。
バシッ!!
鋭い痛みが襲い、やっと目を開けると、まるで地獄の門番のような怖い顔をした男が私の頬を打った。
「苦痛を長引かせると、憐れだぞ? 良いのか?」
ねばつくような声。聞き覚えのある、その声に………
――――――言いようのない程の怒りがこみ上げ………だけど、私は自由を奪われ。
私の意思ではない力が、私の娘に刃を突き立てた――――――――
だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
――――――命を奪い、力を奪い、かき集めたそれを使って、
呪われた力を使って、私達は――――――生まれた。




