秘伝の能力の秘密 12
私は自分からおそらく初めて龍に触れようと手を伸ばした。
柔らかな髪は一本いっぽんが細くて、燿馬ほどとは言えないけれど少しだけカールしている癖の強さ。光の下ではベージュブラウンに見えそうな色素の薄い髪に触れ、そっと撫でていく。
最初は驚いた顔をした龍は、泣きながら私の腰にしがみついた。おなかに顔を埋めるように強く抱きしめられたけれど、さっきみたいないやらしさも強引さもなく。溺れる人が藁にも縋る、という表現が一番似合う気がした―――。
「……責任なんて取れないわ。だって、私はあなたとは恋人でも夫婦でもないもの。だけど、最低な出会い方をしたけど、今こうしてあなたと話をしていると強く思うことがある……。
あなたが感じてる孤独も寂しさも、きっといつかあなたを幸せへと導く光になる。北極星があなたの行く先を教えてくれるわ。きっと、もう大丈夫よ。
そんな気がするの」
龍は顔を上げて瞳を大きく見開いた。
「……それが、夏鈴さんの預言?」
「預言かどうかはわからないけど。でも、不思議と私も小さい頃から、漠然と未来を先読みする力があったのかもしれない。
遠過ぎる未来を夢見て、そこに辿り着くまでの間は山あり谷ありだったわ。平坦な道のりなんてなかった……。
だけど、信じて進んだらちゃんと会いたい人に巡り合えた……。
私はそう思ってる」
私の話をじっくりと耳を澄ませて聞いている龍の顔を眺めていると、あんな酷いことをされたはずなのにもう怒りも嫌悪感もどこかに消えてしまった。
今、感じるのは彼にも出会うために生まれた誰かがいるという確信と応援してあげたいという想いだけ。
晴馬と過ごした人生の時間が、私に勇気を与えてくれているのだと思う。
何度も晴馬に抱かれ夢を見てはその温もりを求め合った。離れていた時間のおかげで、お互いにどれだけ必要で大切な存在かを明確に意識出来た。生涯にただ一人、そうした相手に巡り合えた人の人生は何よりもきっと素晴らしい。
いつか一人の人がちゃんと自分を見つけ出してくれることを信じて欲しくて、私は龍の髪の毛を指で梳きながら願いを込めた。
満たされた人はもう誰のものも奪わない。
この子の心が、愛で満たされる日が訪れますように。
奪った愛は、手折ってしまった野に咲く花が枯れるのと同じようにやがて死んでしまうものだということを知って欲しい。誰も幸せになんてなれないのだと、気付いて欲しい。
私を晴馬から奪っても、すぐに心が死んでしまう。
その時の私はもう、私じゃない生きる屍でしかない―――。
全身を震わせて泣く大人の男に抱きすくめられて身動き取れないまま時間は流れた。
突然、どこかからか電話のベルのような音がすると、龍が私を手放して電話がある方へと駆けて行った。
そしてすぐに戻ってくると、泣きはらした顔が思い詰めたように沈んでいるのがわかる。
「……夏鈴さん。よくわかりました。だけど、……もう僕にはどうすることもできないんです。あなたを必要としているのは、僕だけじゃないから……」
低い声が震えていた。
「さぁ。来て下さい。急がないと……」
その言葉に、とても嫌な予感を覚えた。だけど、逃げるわけにはいかない。私が逃げると、恵鈴が身代わりを求められてしまう。
促され立ち上がり、龍に着いて今度は別の扉を開けて廊下を進んだ。
ダークブラウンの木材を使用した壁や天井や床に、さっきとまた違う雰囲気が漂っている。この建物はまるで、異空間の移動装置のようだと思いながら歩いていくと、また上品な装飾が施された立派な扉を開けて、潜り抜けた。
空気がセピア色をしていた。
そこは内庭らしき日本庭園で、周囲を取り囲む縁側のような回廊になぜか見覚えがあった。これはデジャブかもしれない。
内庭の開けた場所で、白い胴着に黒い袴姿の少女が木刀を振って剣術の稽古をしていた。それはホログラムのように霞んでいて、古いビデオを観ているような感じでもあった。
「……これは……」
「野々花さんの残像ですよ。祖父の千歳は妹の野々花さんにただならぬ執着を持っていました。彼女が生まれた時にはすでに親や教団幹部に許嫁だと言い聞かされていたんだから、仕方がないのかもしれない……。
僕には妹がいないから、祖父の気持ちは計り知れないけど」
野々花さんの幼少期の顔は、小さな頃の恵鈴にとても良く似ていた。
「面影があなたと良く似ていますよね」
それは同意せざるを得ない。
お母さんの美鈴と私はあまり似ていなかった。お母さんはどちらかと言えば、お爺ちゃんの黒桜と似ていた。
「千歳は黒桜のことが大嫌いだった……。初めから予感があったそうです。野々花さんの心を奪う男だと……。
生贄として連れて来られた時から、いずれは消える人間だと思って頭から追い払っていたけど、さっさと殺しておけば良かったと言ってました」
―――お爺ちゃんがそんな立場だったなんて。
生贄? 何のために? どういうことなの?
「教団は人殺しをしてきたのね……?」
今更聞かなくても、とっくにそれは感じていることだ。
地下室で見た石櫃の中には、チグサとチエの親子以外の腕や脚がびっしりと詰まっていたのだから……。
彼らがどうなったのか容易く想像ができるのに、それをすると自分がとても立っていられない気がして……。
―――だめ。ここで倒れているわけにはいかないんだ。しっかり…がんばろう!
自分自身を励ましながら、私は深いため息をひとつ。
すると、ホログラムは消えて誰も居ない味気ない中庭に変わる。
「……僕だって最初は怖かったんだ……」
掠れたつぶやき。絶望の黒い霞がかった龍本来の純粋な心を象徴するように、天の川のような夜空の絵が私の脳裏を過って行く。
「ここに来たことを後悔したんでしょう?」
「後悔なんて生易しいものじゃないと、あなたならわかるでしょ?」
一気に態度が硬化していく龍を見て、私は言い様のない遣り切れなさを感じた。
絶対的な見えない力に抑えつけられた可哀想な人達―――。
野々花さんが逃げ出すぐらいなんだから、私は……。
「逃げてはいけなかった」と、どこかからまた野々花さんの嘆きが聞こえる気がして、私は立ち止まっている龍の先に踏み込んだ。
「行きましょう」
「あなたは怖くないんですか?!」
背中に投げかけられた言葉を受けて、自分の肩越しに振り向いた。自分が今、どんな顔をしているのかわからないけれど、驚きに見開いた龍の表情から何となく感じた。
かつてないほどの怒りを覚えている私がいた。




