秘伝の能力の秘密 9
「ここはどれぐらい前からあるの?」
思わず聞かずにはいられなかった。大きなライトが壁を照らし、空間全体がうっすらと明るい。洞窟よりもはるかに人工的な空間には、この世のものとは明らかに違う空気が満ちているように感じられた。長い時間、留まるべきではないという警報が聞こえてくる。
「……僕が聞いた話だと400年前だとか」
「そんなに昔からあるの? 誰が何のために掘ったの?」
「この辺の石は墓石によく使われているんで、石切り場の跡を再利用しているんじゃないかって思いますけどね」
傾斜のある道を下りていくと足元は平らになり、ビルの中を思わせるほどに安定した真四角の空間に辿り着いた。その真ん中に石の祭壇がある。その祭壇の上に乗る石で出来た箱は、大人が四人ぐらいなら入れそうな大きな箱に思えた。
祭壇には太い蝋燭用の台が二つ置かれ、神棚にお供えするような生米や塩などが盛られた皿が並んでいた。
箱から異様な気配がしていて、近寄るのも躊躇ってしまうほどに不気味なそれらを遠巻きに見て、もう帰りたくなっていると……
「あの箱の中を見て欲しいんです」
龍は明らかに息苦しそうな様子で、指さした。
私が箱に向かっていくと、なぜか龍は部屋の入り口に立ち止まったまま動かない。
振り返って「どうして来ないの?」と聞くと、彼は首を振った。
「ぼくじゃここから先には入れないんです。今まで入れたのは祖父の千歳だけ」
そんなことを聞かされて、私は益々心細くなった。
学校の教室程の空間の中に入った途端、さっきまでの禍々しさが嘘のように消え、良い香が漂っている。その時、頭の奥でビー――ンという音が鳴り始めたと思ったら突然私の前に女性の後姿が現れた。
「一緒に行くわ」と、振り返った顔は野々花さんだった。
心強くなったもののつかの間。
「夏鈴、覚悟しなさい。目を反らしては駄目よ。私達の試練そのものから逃げると、あなたは私と同じ後悔で身を滅ぼしてしまうことになる。それに、大事な娘があなたの代わりをしなければいけなくなるの」
厳しい言葉を渡された。
ほかに選択肢なんてない。
恵鈴にこんな負担をかけるなんて考えられない。
進むしかないんだ。
箱の前に来ると、その蓋がまるで生きているかのように震えた。
「!!?」
驚いていると、「喜んでいるみたいね」と野々花さんが言った。
「……なにが喜んでいるの?」
そんな会話の合間でも、ガタガタとはっきりと音が響く程に蓋が持ち上がって、音を立てている。今にも蓋がズレて落ちそうだと思いながら、ハラハラとしてその様子を見ていると。
「開けて」と、指示が飛んだ。
野々花さんは見た事ないほどに怖い顔をして、私に向かって頷ずく。
酸っぱい唾液が口の中に広がっていた。
蓋に触れると思っていたのとは裏腹で、とても温かかった。
まるで人肌のような温度だ。
蓋の縁を掴んで引き上げようとすると、内側から押しやられ、いともたやすく蓋が開いてしまった。
その中に合ったものは、想像を絶するものだった。
青紫色に変色した人の腕や脚がびっしりと入っていたのだ。
「!!」
驚きの余り蓋を落としそうになった時。
「駄目よ! 蓋を早く閉じて!!」と、野々花さんの声が聞こえて、言われた通りに蓋をかぶせた。
蓋を閉じる瞬間、切り取られた腕の先にある手が動いたのがはっきりと見えた。
まるで生きている人の、腕そのものだった。
「しっかりして、ほら。自分で歩いてここを離れないと」
野々花さんがいなかったら、私はここでショック死したかもしれない。
それぐらい、恐ろしくて奇妙なものを見てしまった。
部屋を出た途端、嗚咽を抑えられず壁にすがりついて私は何度か吐く真似事をした。胃が空っぽで良かった。
「夏鈴さん。大丈夫?」と、龍に背中をさすられならがもう消えてしまった野々花さんに肝心なことを聞きそびれたのを後悔していた。
「あれは一体なに?」
やっと喋れるようになった第一声は、自分でも情けないほど掠れていた。
「……あれがぼくらの力の源なんです」
―――意味がわからない。
極度の緊張の直後のせいか、眩暈がした。倒れそうな私を掬い上げるように抱いて、龍が来た道を戻り始める。
「夏鈴さんにお願いしたいのは、僕らと一緒にあの呪いの箱をどうにかする手伝いをしてほしいんですよ」
呪いの箱―――。
まさか、本当に波戸崎家は呪われていたなんて。
この力の源が、あんな………
「……あれは誰の腕なの?」
龍は言いにくそうに言った。
「あれは、……確かチグサという女性の腕です」
その名前。野々花さんに聞いたお話に出てきた人物の名前だった。
あの話はまだ途中までしか聞いていない。
チグサとチエという母娘の物語―――。
「その話、詳しく知りたいんだけど」
「じゃあ、波戸崎当主の宝刀を抜いてくれますか?」
―――当主の宝刀??
今まで不思議な夢を沢山見てきた。その中でも異様なほど存在感があるものが、日本刀の夢。装飾された龍がまるで生きているように動いて見え、私はいつも触れることが出来ないものだった。
―――触れたら何かが変わってしまう。
心臓が。
今まで感じたことがないほど、心臓が締め付けられる。
「はやく、出ましょう」
龍も苦しそうに息をしながら、私をしっかり横抱きして階段を上がる。龍の背中の向こうから異様な視線を感じていた。苛立っているような荒ぶる波動が龍と私の体を貫いていく感覚に、思わず悲鳴をあげた。
螺旋階段の上に出ると、一気に空気が変わる。長い潜水から水面に浮上したみたいに、むせながら息を、酸素を、慌てて求めた。
膝をついて私を床に座らせた龍も、辛そうに顔をしかめながら荒々しい呼吸をして、一言も発っせられないでいた。しばらく無言で、お互いに落ち着くまでじっとしていると、誰かが近付いて来た。
「どうでしたか?」
男性の声だ。
見上げると、私のすぐそばで屈んだところだった。
私を投げかける視線には冷たさしかない。
「自分の投げ出した荷物と半世紀振りに対峙して、どんな風に責任を感じているのか、ぜひ聞かせてもらわなければ」
ロマンスグレーのオールバック。
目元の皺や肌の質感から、推定年齢は六〇歳ぐらい。
―――この人が、梅田原の……。
野々花さんの記憶の中の男と目元が良く似たその男から、何か言い様のない邪気を感じた。こんな人が教団の中枢を仕切っているだなんて信じられない気持ちで、私は心に壁を作り守りを固めた。
「代償を払う覚悟はもう出来てるんだろうな?」
太く武骨な手が触れようとした。
私はありったけの覆気を込めて睨み付けると、手は届く寸前で引っ込めらるた。
「……あなたのお父さんがろくでなしだったから、祖母は逃げた。
祖母だけを悪者にするなんて、私が許さないわ」
梅田原から余裕は消えたかに見えた。私から離れ自ら後退していく。




