白い龍と黒い龍 12
「乱暴なことを考えてるけど、そんなこと一生出来っこない。君は軽率でバカだな」
完全に俺を馬鹿にしている。
「挑発に乗るな、燿馬! とにかく、夏鈴に出てきて貰いたい。早く連れて来てくれ」
俺達を庇うように立っている親父の手も、きつく握られていて震えている。本当は誰よりも一番、この得体の知れない男を殴りたいのは親父なんだ。
「その前に、晴馬さん。あなたに確認しておきますが、夏鈴さんはもうあなたの妻じゃなくなっているとしたら、どうします?」
「……なんだと?」
龍はニタリと笑った。
「貞淑な妻である夏鈴さんは、もうこの世にはいない。今から紹介する彼女は、生まれ変わった波戸崎夏鈴だ」
茶番だというのに、他の誰もがしんと静まり返っていた。その静寂が不自然過ぎて気味が悪い。周りを見てみると、皆死んだような目でこちらに注目していた。表情がない連中が龍と親父だけを見ている。小さな子供まで、波戸崎千歳とかいう老人まで。
「……しょうがないんです。夏鈴さんに居て貰わないと、ここにいる皆さんはもちろん、この世界にとって悪いことが起きてしまう。それを未然に防ぐには、夏鈴さんに人柱になってもらわないと……」
「人柱って!!?」
親父と俺はほぼ同時に叫んでいた。
「では、お見せしましょう。生まれ変わった波戸崎 夏鈴さんを!!」
龍の一声でまた一番奥のどでかいドアが開いた。
そこに居たのは、紛れもなくお袋だ。
ただ、精気のない顔をして突っ立っている。
白いドレスを着て、髪の毛はなぜか肩まで切っていて、本当に別人のように見えてしまうのは、笑顔がないせいだ。
「夏鈴!!」
親父の叫びにも反応しない。
人形のようにただじっとこちらを見て立っているだけ…。
「なにされたんだよ!! ちくしょぉぉ! おまえ……!」
すぐ傍に居る龍の肩を掴もうとした親父に、一歩早く手を回していた龍が何かを親父の肩に突き立てた。細いペンのような注射器だ。驚いた顔をしていた親父が、突然目を開けたままバタリと床に崩れ落ちた。それを、黒服が掴み上げて引き摺って連れて行こうとしている。
「おやじ! …てめぇ、何しやがったんだよ! この野郎!!」
身動き取れない俺は、ただバカのひとつ覚えみたいに叫ぶしか出来ない。こうなったら誰でも良いから、こんな非人道的な行為を許さないでくれ!そんな願いを込めて、俺は見境なく助けを求めた。
「誰かぁぁ! 誰でもいい!! 助けてくれ!!」
―――でも、誰一人反応しない。
みんな人形みたいに大人しくただ、そこにいる。
お袋と同様に、魂の抜けた者たちが異様に着飾ったまま静止していた。
「おやおや、もうすぐ成人する男の子が簡単に泣いちゃ駄目でしょ?」
龍がニタニタと笑いながら俺の前にやってきた。親父は黒服に連れて行かれてしまって、もう姿が見えない。
「君はかなりの臆病者だね? 懐かしいなぁ。この匂い……」
情けないが、俺は震えて身構えるしかできなくなっている。手を出せば、その手を掴まれて腕の付け根ごと千切られそうな狂気を、この男から感じているせいだ。
「その子、君の可愛い妹も美味しそうだなぁ。君たちがただならぬ関係ってことは、一目でわかるよ。双子の兄妹でセックスしてるなんて、血は争えないよね?」
どういう意味だ?
そう思ったけど、もう奴の目を見る気にはなれなかった。爬虫類のような冷たく鋭い視線が刺さって、体中から血が噴き出しそうなほどの覇気が俺を包み込んでいた。
「ぼくのお爺ちゃんさ。君のひいおばあちゃんの野々花と、本当は子供を作らなけれないけなかったんだよ。血が薄まって、大事な力を操れなくなれば溢れ出すエネルギーが災いの火種になるって、預言ではっきりと出ていたんだ。なのにさ、馬鹿な女が惚れた男と駆け落ちしちゃって。運命を放棄したツケを孫子の君たちが払わされるなんて知ってたら、逃避行なんかしなかったかな? どう思う?」
俺には受け入れがたいことが続き過ぎていて、ダメだとわかっていても龍の話を素直に聞くほど余裕がないせいか、どこか上の空で聞いていた。
「でね、黒桜って近親相姦で出来た生まれてはならない子だったんだよ。生贄にするために、そういう子を集めるんだけど、黒桜の場合は特別だった。
君らと同じ、双子の姉弟が作った子だった。祝福されない子は、どこへ行ってもゴミ屑扱いさ。卑しい育ちをして、ろくな教養もなくて、両親と同じ運命を辿るはずだった。つまり、ゴミ屑のように死ぬ運命だったんだ。自分の運命を呪いながらみっともなく死ぬために生まれてきたのにさ、それを野々花が変えてしまったんだよ。
そんな奴のために、大事な力を使ったんだ。その責任を取って貰うために、お前のお母さんの体で払って貰おうっていうわけ」
一方的な説明をされながらも、俺はだんだんと息苦しくなっていく恐怖を感じていた。
生贄だとか、災いの火種だとか、爺ちゃんのことをぼろくそに貶したりとか、聞き捨てならないことだらけの演説を聞きながら、忘れてはいけないと自分を奮い立たせるのが精いっぱいだ。
「やっぱり、女の方が器が大きいんだよ。子供二人も生んで、緩んでるかなって心配だったけど、そんなの関係なくとても最高だったよ。お前のお母さん。ふふふふふ」
龍は不気味な笑みを浮かべて、俺の頬に息がかかるまで近付いてくる。
「しょうがないんだ。肉体の奥にある魂に触れるためには、そこが入り口なんだから。お前のお父さんが年齢の割に若いのは、お母さんの力を分け与えられていたってわけ。
不老不死とまでは言わないけど、夏鈴さんはもしかしたら一族では最高ランクの器の持ち主なんじゃないかなって、ぼくは期待してるんだ」
「……なにが目的だ?」
やっと絞り出した声は枯れていた。
龍は笑顔をやめて真顔になって俺を見下ろしながら言った。
「……暴走しそうな呪いを彼女に引き受けてもらう。
野々花さえ黒桜と駆け落ちしなければ、黒桜があの時生贄になっていれば、こんなことにはならなかったんだ。文句があるなら、お前の先祖を恨みなよ」
静かにそう言うと、今度は踵を返してスタスタと歩いて行って呆然と吊っているお袋の隣に立ち、まるで夫婦のように体を引き寄せ、お袋にキスをした。
「!!」
「もう下がって良い。他所の血が混ざったお前らなんて要らない。だけど、お前らが生む子供は欲しいかな。新しい生贄としてね」
龍の声がまるで頭の中で直接響くように聞こえてきた。
そうか、俺はいつの間にか夢を見ているのか。
抱きしめている恵鈴を離すものかと力いっぱい引き寄せたけれど、龍の狂気の説明を聞きながら最低最悪な気分の俺は螺旋を描いて暗闇に引きずり込まれるようにして、いつの間にか眠りに落ちていきそうになった。
『………ようま。……燿馬。 しっかりしなさい』
懐かしい声が聞こえて、俺は寸前のところで持ち直す。
『………ひとりにひとつずつ世界はある。惑わされるな。お前ならできる……』
爺ちゃんの声が、気弱になりかけていた俺のハートに火を灯した。




