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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第3章
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白い龍と黒い龍 9

 呼吸をしながら苦痛を逃し、消極的に努力を始める。


 服を脱ぐと、彼女はコルセットを私の体につけ始めた。


「これをつけないと格好つかないわ。長い時間、姿勢よくできないでしょ? あなた、背中が丸いもの」


 ―――耳が痛い。


 私は絵ばかり描いているせいで、普段は猫背だし運動なんて無縁だ。


 コルセットを装着し、絞め加減を決めるためにすみれさんが二本の紐を絞めた。


 「く、苦しいんですけど」と言うと「あなた、見掛けによらず寸胴体系なんだもの」と。


 み、耳が痛くてもげそう……。


「女なんだから、綺麗でいなくちゃ。恋人はいるの?」


 上から目線。悪気はないつもりなのだろう。でも、ザラザラとしたサンドペーパーで神経を撫でられているような気分になる。


 恋人ならいます。だけど、容易く誰かに言える相手じゃない―――。


 私は頷いて下唇を噛んだ。言葉には出来ない真実を口の中で溶かして消してしまおうと思って、もう話す気にもなれなくて、目を合わせたくもない。


「男の人は、綺麗な女の子にすぐに心移りするわ。でも、結婚と恋愛は違う」


 何が言いたいのかわからなくて、私は黙って耳を傾けながらドレスを着た。背中のジッパーを上げられ、鏡の前に立つとまるでおとぎ話のお姫様みたいな格好だった。


「結婚は建設的な関係よ。恋愛はいつ終わってもおかしくない綱渡り」


 椅子に座らせて、今度は髪型にとりかかるすみれさんの講義は続く。


「一生恋人ではいられないんだから、自分を磨いて誰からも愛される女性でいるべきよ。あなたは綺麗なんだから、もっと身なりや姿勢、喋り方や笑い方にも気を付けていれば、格段上の素敵な殿方に声をかけてもらえる筈よ。これは一生に一度のチャンスかもしれないんだから、頑張って笑って?」


 かなり上から目線で色々なアドバイスだし、彼女はなぜか私がお見合い婚活パーティーにでも来たかのようなイメージで見ているらしくて、震える。


「ものすごく誤解があるみたいですね」と私が言っても、彼女はマイペースだった。


 すみれさんは美容師のように慣れた手つきで私の髪を整え、化粧に取り掛かっていく。


「選ばれるのを待ってるだけじゃダメよ。自分が男を選ぶぐらいのつもりで、女として誇りを持って。そうすればきっと私みたいに素敵な王子様をゲットできるわ」と、自慢げに言われる始末だった。彼女はどうやら、身に余る幸せを誰かに話したいみたい。


 それにしても、ものすごく手際が良い。


 普段、私のメイクはちょっとファンデーションを塗って、眉と瞼にブラシで色を乗せて、リップをする程度の簡単なメイクだったから、プロのような顔付きで私の顔を仕上げていく彼女は無言で、もはや職人のようだと思った。


「ほらぁ、素敵じゃない?」


 そう言われても、自分で自分の事を素敵ですねとは言い難い。


 ここでも、普段から自分が誰かに話しかけていくタイプじゃないことを痛感する。大学で唯一仲良くさせてもらっている呉さんはあまりしゃべらない私に、打ちやすいボールを投げてくれるから本当に助かっているけど、それ以外の人とは会話が続きにくいのが多少ネックではあった。


 「芸術家は気難しい顔してれば喋らなくても良いのよ」と、呉さんは励ましてくれた。


 でも、大人になって生きていくためには苦手意識にしがみついているばかりじゃダメだと思う。


 ―――誤解されっぱなしじゃダメよ。よし、言うぞ!


 私は意を決して、すみれさんの目を見た。


 急に私と目が合った彼女は、「え?」と驚いたような声を上げた。


「 私がここにいるのは自分の意志じゃないんで」


 するとすみれさんは「だからなに?」と言わんばかりに少しだけ頷いただけで、スルーされてしまった。ブレスレットかと思っていた腕時計を見た彼女は「もう時間よ」と言うと、自分のバッグから細長い宝石箱を取り出して、そこから小さなキラキラとよく輝く石が連なるネックレスを取り出して私の首につけてきた。


「あなたのドレスに似合うアクセサリーを持ってきてあげたのよ。

貸してあげる。ちゃんと返してね」


「……それは、どうも」と、一応お礼を言ったけれどこんな格好したくてしているわけじゃない。心底、感謝できないというのはどこか居心地が悪いものだ。私はため息を吐いた。




 ドアを開けると梅田原 凱彦が待っていた。彼は私をじろじろと眺めると「見違えましたね」と言って笑った。すみれさんが凱彦の腕に絡みついていくと、「ありがとう」と彼にお礼を言われて浮かれているような笑みを溢した。


 廊下を歩いていくと、背の高い扉が見えてきた。そこには燕尾服を着た白髪の男性がうやうやしく頭を下げている。


 「波戸崎家のご令嬢ですね。どうぞ、こちらへ」と案内され、凱彦とすみれとはそこで別れた。



 結婚式場のような二重ドアを抜けると、細長いテーブルに銀色に輝く食器がずらりとならんでいた。日本ではないような雰囲気に驚いてしまう。


「立ち止まらずにこちらへ。ご家族様がお待ちです」


 ダイニングにはいくつものドアがあった。そのひとつに案内され、大人しくついていくと。


 「恵鈴!」と、パパの声がしてハッとする。


 飛びつくように私を抱き絞めたのは、パパだった。



* * * * *



 目が覚めた。見知らぬ部屋のベッドに俺は仰向けで眠っていたらしい。起き上がると、まだ変な眩暈がする。甘ったるい残り香を拭うように両手で顔をこすった。


 「すぐに着替えてください」と、突然誰かの声が飛び上がる。


 見ると、あの不気味が笑顔のおばさん修道女が着替えらしきものを手に立っていた。


 「……なんでわざわざ」「ご主人様の言う通りにしたまでです」とおばさんは飄々としている。悪びれた様子などない。


 「警官は?」と聞いても何も答えようともしない。


 「あんた!!」と、声を荒げようとしたら、「時間がないので急いで下さい。遅れるときっと後悔しますよ」と脅される。


 俺は服を着替えた。今までの人生で着たことがないような、高級そうな生地のスーツだ。ズボンの裾を合わせたおばさんは針と糸であっという間に裾上げを終えた。


 「さ、行きましょう」と、何の説明もない。


 ―――警察でもダメなら、誰を頼ったら良い?


 俺は焦りながらも考えを巡らせたが何も思い浮かんでくれなくて、いよいよ焦っている。


「くっそ! せめて、何が始まるのかだけでも教えてくれよ、おばさん」


 おばさんは半開きの目でぎろりと俺を睨み付けるだけで、無言を貫くつもりらしい。


「あのさ。あんた、命令されたら人殺しもするわけ?」


 俺の声だけが虚しく廊下に反響するばかりで、おばさんは背筋を伸ばしたままスタスタと進んでいく。あの甘ったるい匂いはもうなかった。


 ―――そういえば、なんで俺眠ってたんだっけ?


 「どうぞ、こちらです」


 突き当りで待つおばさんは俺に考える時間も与えてくれない。しかも、愛想笑いもない。丁寧な口調だけど、完全に俺の人権なんて無視していやがる。


 俺は踵を返して廊下を走ろうとしたら、「妹さんがどうなっても宜しいんですか?」と呼び止められた。


 「お前ら! 恵鈴までまた拉致ったのかよ?!」


 おばさんは能面顔で俺を見て、首を傾げた。それはさっさと来いよという合図と見受けられた。めちゃくちゃ怖い―――。


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