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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第3章
34/101

白い龍と黒い龍 4

* * * * *



 駐車場の脇の植木を囲っているレンガ調の花壇に尻を引っ掛けていると、制服の女の警官と男の警官のコンビが近付いてきた。


「東海林さんですか?」


「あ、はい」と、恵鈴が咄嗟に答えた。


 旅行鞄をレンタカーのトランクにのせていたおかげで、やぶれた服から着替えをした恵鈴はうす紫色のシャツと伸縮性のあるジーンズ素材のパンツを着ている。その上に俺のコートを着ているせいで、華奢さが際立っている。


 森の中で逃げ惑ったせいで、可愛い顔に枝でこすった傷がいくつも刻まれ、足首には包帯が巻かれていて、本当ならゆっくりと怪我の治癒を優先させてやるべきなんだろうが、今はそれどころじゃない。


「こちらへどうぞ」と、男性警官に先導されて、ミニパトカーに案内された。運転をするのが男性警官で、助手席に女性警官、後部座席に俺と恵鈴が乗り込んだ。


 車が駐車場から滑るように出ると、一般道を走り始める。平日の午前中で、案外道は混んでいた。いくつかの信号を超えて、例の県道に入り問題の施設が建っている山へと続く道を走っていく。


 「ここ道は私有地なんですよ」と、運転をする男性警官が言った。


 それまでずっと無言だったのに、突然声を発した警官はバックミラー越しに俺達をチラチラと見ている。


「まっすぐ行くと行き止まりになります」


「知ってます。っていうか、大木が道を塞いでましたけど」


「ああ、あれはもう何年も前からあのままんですよ。一応、撤去をお願いしたんですが、放置されましてね。最後に確認したのは昨年の十月頃だったかな」


 男性警官はタクシーの運ちゃんのようにおしゃべりになった。


「この道、わかりにくいですよね」と、徐行してゆっくりと侵入し始めたのは舗装されていない細道だ。


 背の高い雑草が伸びる季節には、完全に見逃してしまうような道。


 「あ、ここ通ったわ」と、恵鈴がつぶやいた。そして、急に俺の腕にしがみついてきて、ぎゅうっと抱き着かれる。握力が容赦なく俺の細指を締め上げてきて、かなりキツイ。本人は無自覚らしい怪力のお蔭で、たぶん恵鈴は脱出口を切り開いたと思われ。


「……ママもここを通ってる……わかる」


 どうしてなのかわからないが、波戸崎家の超能力は女に遺伝するらしくて、俺はそういうセンサー的に何かを感じることはもう殆どない。小さい頃はお袋と恵鈴の気配を強く感じていた気もするけど、思春期が始まる頃には薄れて行った。


「親父のは?」


「パパも間違いなくここを通ってる」


 肩を持ち上げ首をひっこめたような姿勢で、恵鈴は嘆くような表情を浮かべてため息を吐いた。


「……思った以上にこの道を人が行き来しているみたい」


 恵鈴は気分が悪いのか、顔色が真っ青だ。


「え? どうした? 大丈夫か?」


 俺の問いかけに首を振って応えるが、言葉が出て来ない。


 「……なんか、ここ。気持ちが悪いの」と、涙目でやっとつぶやいた。


 俺は恵鈴の肩を抱いてやる。服もコートもとっぱらって、今すぐ素肌に触れて抱きしめたくなってくる。そこに安らぎがあることを知っているから、精神的に辛くなった時ほど俺達は互いの体温で支え合ってきた。


 山道に突然、いかつい門が立ちはだかった。後部座席から見えるフロントガラスの向こう側をジッと睨みつけていると、女性警官が助手席から降りてゴツゴツした表面の門柱に埋め込まれていたであろうスイッチらしきものを、人差し指で押す仕草だけは確認できた。


 特に手入れされているわけでもない原始的な森林に突如として現れた人工物。昼間だというのに薄暗いせいで、よからぬ妄想をしてしまいそうになる。ここに、お袋も親父も来たのだと思うと、不気味に負けて立ち去るわけにはいかない。幸い、頼もしいかどうかは置いといても警察官二人が同行してくれているんだから、何が起きてもきっと大丈夫、のはず。


 女性警官は斜め上を見上げた。その視線の先に目をやると、小さなカメラらしきものが視えている。あちらさんは来客者の姿格好をしっかりと目視できるようだ。


 一見すると見落としてしまいがちな控え目なカメラに、親父は気付いていただろうか?


 ガチャン、と突然大きな金属音がしたと思ったら、ゆっくりと門が開き始めて、金属が擦れているような振動音が一帯に響き渡って行った。それを特に顔色も変えずに見ていた男性警官が、ゆっくりと車を発進させて門を通り抜けた。


 門を通過すると、すぐに門が閉じ始める。開くよりも倍速く門が閉じてガチャ―ンと派手が音が聞こえた。

 女性警官を乗せてから、男性警官は速度を上げることなくおそるおそるといったスピードで緩い曲線の細道を走っていく。木がまるでトンネルのように左右互いの枝を伸ばし、空を隠しているようだった。若葉がうっすらと見え始めた程度の山の森林は、裸の木が細かい枝を伸ばして互いに絡みつき合っているかのように密接している。それが、部外者を拒んでいるかのような錯覚に陥らせた。


「……怖い」と、突然。恵鈴が俺の腕にしがみついた。


 ギリギリと締め上げられて痛いが、男なら文句言わずに堪えてみせろ、と自分に言い聞かせつつ「どうした?」と気を配る。


 恵鈴が俺の目を見て「黒い龍がいる」と言った。



 龍って、神様か何かのことか―――



 はたまた、気のことを言っているのか―――――



 お袋と恵鈴の不思議ワードに慣れ親しんできた俺としては、おそらく後者で間違いないんじゃないかとは思う。でも、その怯えっぷりがあまりにも酷くて、段々と発熱した時のように全身をガタガタ震わせる彼女を抱きとめながら、尋常じゃない何かよからぬものを俺も感じていた。



 「……白い龍が、黒い龍に飲み込まれていく」



 比喩だとしても、白と黒の龍が共食いをするとでも言うのだろうか?



「この施設は昔、知る人ぞ知る偉大なる神様の化身がイキガミ様となって降臨していたそうです。私の祖父は一度のお布施で授かったお守りを神棚に置いて毎日祈っていると、傾きかけていた事業が盛り返して、古い家を建て直してもまだ有り余る富を得たと言っていました。ご利益がものすごいのだけど、お布施の額も相当なものだったそうですよ」


 女性警官がそんな話をし始めた。


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