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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第3章
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白い龍と黒い龍 2

 夢の中だとはっきりわかるその場所で、突然目の前に大きな一枚の絵を描いている背中が目に飛び込んでくる。


 男の人だとわかるけれど、小柄で、まるで少年のような首の細いその男性の髪は肩の乗るほど長く、タオルで海賊のように頭の天辺を縛りあげていて、襟足の髪と耳たぶの光るいくつものピアスがチカチカと光を寄越してきた。


 白いタンクトップにベージュ色のチノパン、腰が細すぎるのかずり落ちたベルトの上には赤と紺色のチェックのトランクスらしき布が顔を出していた。だらしない服の着崩れさえも、この人が着るとそれはそれでありだと感じさせる雰囲気の男の人だ。


 まさか、自分の前世の人物と夢の中で会えるなんて思わなくて、私は萎縮して声を掛けられなかった。彼は名乗らなくても、真正面から顔を確かめなくても、全身から田丸燿平という独特のオーラを放っていた。


 大きな刷毛で白い絵の具を大胆に伸ばす動きをしながら、こちらを振り返った彼は人懐っこい笑みを浮かべて「よぉ!」と挨拶をした。


「お前さんと直接会うのは初めてだよな?」


 筆とパレットを敷物の上に置きながら、手を雑巾で拭いて、まだ落ち切っていない白い絵の具がついた右手を指し出された。それは握手のための手だと思って、私の服の裾でて汗を拭いてから、右手を掴み返す。


 ぐっぐっと小さな子供みたいな握手を済ませた燿平さんは、屈託ない笑顔で私に言った。


「なんか呼ばれて飛び出してきたんだけど、気付いたら俺、まだ絵描いてる……」


 そう言って彼はカカカと豪快に笑った。何が可笑しいのか、私には理解できない。


「あの! 聞きたいことがあるんです!」


 そうだ、私が彼を呼び出したんだ!


 それを忘れてしまう自分に呆れ、反省しながらも数時間前に見せられた田丸燿平の描いた作品を思い出す。複数の作品に書き込まれた白い達磨の意味を私は聞かなければならない。


 「ん? 招き猫で間違いないけど?」と、あっさり回答され。拍子抜けしてしまった。


 「どうして招き猫なんですか?」と聞くと、田丸燿平さんは頭を掻いた。 


「俺の母親、滅茶苦茶な人生送ってたんだ。


 薬中だし、男をとっかえひっかえするし、あばずれで金にも男にもだらしない…。その場しのぎの快楽しか知らないで生きていた女さ。俺の父親が誰かもわかってなかった。


 俺の絵が専門家の目に留まって、大金稼げるってわかった途端に金のなる木扱いさ。そこでやっと俺に関心が持てたみたいだったけど、今更どんな風に接したら良いのかお互いにわからなかった。薬やら煙草やらで体を痛めつけてたせいで、俺が死んですぐに死んだらしいけどさ。薬の摂取量間違えたって聞いてる。


 でも、そんな憐れな母親でも俺を産んで一応育ててくれた人だからさ。


 彼女が幸せになりますようにっていう願いを込めて、サイン代わりに招き猫を描き込んでた時期があったんだ。あれに意味があるって言ったって、その程度のもんさ」


 そう言うと、彼は細マッチョの体を魅せるかのように突然白いタンクトップを脱いだ。


 肩甲骨から腰にかけていばらで連なった四つの薔薇のタトゥーが浮かび上がる。


「おまえのパパを愛してた。その気持ちを体に刻もうとこの薔薇を彫ったんだ。これ彫り込んだ時、おれはもう余命半年ぐらいだったけど。


 生きてきた証を自分の体に刻みたかった。メモリアルだな。


 俺が絵を描くのは理屈じゃなかった。


 何かに突き動かされて、気付いたらどでかいキャンバスが塗りつぶされて。そこは宇宙かはたまた地球のコアか。


 闇の中に瞬く光を描きたくて、頭真っ白にして書き殴ってた。


 この入れ墨は明らかにそれとは違う。


 俺は死んでも東海林晴馬を愛した記憶を失いたくはなかったんだ。だから刻んだ。


 火葬場で体が焼かれてこの世界では灰になったが、それでも消えなかった。


 俺にとって晴馬は、たったひとつの希望の光に見えた。

 

 それが愛というものだと、おまえのママが教えてくれた」


 田丸燿平さんは真剣な顔をしてそう話した。


 そして、


「いいか、恵鈴。


 シンボルは誰のために生まれたかを視ろ。

 それを象徴とした者たちがどんな希望を夢見たのかを視ろ。


 手掛かりは建物、その中に貯め込まれた膨大な記録と、人々の残留思念……。


 お前には夏鈴から分け与えられた波戸崎の血が流れている。

 連中は純血に拘ったきちがいだ。

 お前の血は混血で論外だと切り捨てた。


 血に力があるのには理由がある。


 そこから先は、自分で調べろ。

 そして、お前のママを助けてやれ。


 大丈夫だ、お前ならできる。

 お前はパートナーがいるんだから、な」


 田丸燿平さんはそう言うと、腰に手をあてて格好つけながら消えて行った。


 目が覚めると見知らぬ天井が見えた。

 視線を動かして周りを見ていると、私のすぐ右側に突っ伏して寝ている燿馬の顔があった。私の右手を左手で握ったまま、伏せた瞼が小刻みに震えていた。


「…燿馬」


 何度目かで、燿馬の眉間に皺が寄った。しかめた表情に苦悶の色が浮かび上がる。


 握られていた手を解いて、今度は私が燿馬の大きな手を握り返す。すると、ゆっくりと瞼が上がって行って、懐かしい瞳が私の視線とぶつかった。


「良かった…。ちゃんと目が覚めてくれて」


 愛おしそうに微笑んで、そう言った彼の目尻からぽろりと小さな雫が落ちた。


「…心配かけてごめんね」


 申し訳ない気持ちでそういうと、彼は「お前が謝らなくても良いよ」と言った。



 日が上り、新しい一日が始まっていた。


 燿馬は病院の院内に設置されているコンビニで朝食にと、お弁当とおにぎりをいくつも買い込んで二人で食べた。一晩限りの入院をした私は、背中の傷に大きな絆創膏を貼られて、打ち身は挫いた足には湿布が当てられている。


「この辺は傷に効く温泉が多いから、湯治されて行かれたら?」と、年配のベテラン看護師さんに言われ、お医者さんの診察で大きな問題はないとわかってから会計を済ませて病院を出た。


「今から警察署に行く」と燿馬は言った。


 無免許運転はさすがにヤバい、とつぶやいた彼はタクシーを配車してもらい地元の警察署に送迎してもらった。受付に行くと婦警さんが対応してくれたけれど、私達の話を聞いても表情を変えることなく「担当の者を呼びますので、適当に座って待っていて下さい」と言われた。

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