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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第2章
30/101

手繰り寄せられて 13

「大人しく帰るわけがない! 妻に合わせろ! 無事を確認させろ! 自分たちがどれだけ非道なことをしたのか、わかってるはずだ!」


 俺はにじり寄って、男の顔が良く見える場所まで近付いた。


 白んだ空から降り注ぐ淡い光の中だけでも、その男の顔がやけに幼い気がして推定年齢がわからなくなる。でも、確かに言われてみれば美鈴さんや夏鈴に、いや、燿馬に似ている気がした。年齢も十九歳前後に見える。


「その若さで当主か?」


「僕はこう見えても、もうすぐ三十歳ですよ」


「………」


 美鈴さんは五十七歳で亡くなったが、見た目は今の夏鈴とさほど変わらなかった。波戸崎家の血筋はどうやら老けにくいらしい。


「あなたも五十歳には見えませんね。せいぜい四十台前半ぐらい…、なぜだかわかります?」


 いやらしい笑みを浮かべた男は、目を細めて俺を下から上えと嘗め回すように見上げた。


「毎晩、あの美しい妻を抱いてその精気を吸っていたなら、若さを維持できて当然です。彼女とのセックスこそが滋養強壮剤だった、とは思いませんか?」


 他人の口から夫婦の私生活まで指摘されるなんて、気持ちが悪い。


「黙れ! 口を慎め、分別ある大人ならそんな礼儀作法とっくに知ってる筈だ!」


 けれど男は俺の話を無視して、言いたい放題を続けた。


「夏鈴さんはずっと自分の能力を封印してきているせいで、底知れないエネルギーを溜めています。彼女の力を引き出せるだけ引き出したら、お返ししますよ。その時は普通の人間になってるはずです。


 あなたにとってもその方が安心でしょう?」


 集中しなければ全く意味を介せない。何の話をしていたのかさえ吹っ飛んでしまいそうで、俺は雑念を払うのに必死だ。


「人の妻を油田みたいに言いやがって!」


「油田、面白い比喩ですね。さすが、晴馬さんだ」


 男はけらけらと明るく笑っているが、俺は全く逆で超ムカついていた。この温度差も調子を狂わせられる。


「夏鈴さんて、強いでしょ?


 波戸崎家の女は皆丈夫に生まれてくるのに、野々花さんだけは違った。彼女は兄千歳との間に子を設ける宿命から逃げたので、命尽きるのが早かったんです。でも、お蔭で野々花さんの魂は輪廻転生して、今は夏鈴さんとして生きている。


 先代の当主はまだ現存で、夏鈴さんとまじわればきっと病も記憶も正常に回復できるでしょう。あと一年だけ、波戸崎千歳には生きててもらわなければ困るんですよ」


「誰が困るんだ?」


「教団を必要とする大物たちが、です」


 話がぶっ飛び過ぎている。必要そうなキーワードだけ覚えて、後で考えれば良い。


 俺は聞いた話を即座に把握できない。


 同時に二つ以上のことをこなせない。


 自分の欠点に足を引っ張られ、イライラが最高潮に達しかけている。


「全然、納得できない!」


「でしょうね。だから、電話で言ったんですよ。ぼくは夏鈴さんが欲しくなりました。お爺様の用が済んだら、ぼくが妻にしたいぐらいだ」


「勝手なことを!!」


 もう我慢ならなくなって、俺は飛びかかろうとしたがひらりと身軽に交わされてしまった。鋭い蹴りが飛んできて、みぞおちに奴のつま先が刺さり激痛に膝まづいてしまう。


 奴が俺の背後に来るのを感じてコートの襟繰りを掴もうと体をひねろうとしたら、鎖骨の辺りに鋭い痛みが走った。全身に痺れと激痛が広がる。


「心臓病はお持ちですか?」


 俺にスタンガンを当てながら、能天気な声でそんな笑えない質問をしてきた。




 屈辱と怒りを抱えたまま、俺はねじ伏せられてそのまま昏倒してしまった―――




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