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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第2章
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手繰り寄せられて 10

 背後に立つ男はまだ自分の素性を明かそうともしないのはどうして?


 恵鈴の大学で見た梅田原という男とは違う、この若い男は一体……。


「光栄だな。今、僕のことを考えてますよね?」と、嬉しそうな声で言われ。


 心の中で舌打ちをした。


「あなたは、ご主人以外の男性にまったく免疫がない……でしょう?」


 こんな一回り以上も若い男にそんなことを言われる日が来るなんて、信じられない。立ち止まったらすぐに「止まらないで下さい。夏鈴さん。注射すぐに打っちゃいますよ」と脅された。


 扉が勝手に開いた途端、光が眩しくて目を細めると「立ち止まらない」と催促と共に背中を押されて部屋に入ってしまった。


「連れてきましたよ」と男が言うと、どっしりとした大きな四つ足の椅子に腰かけている和装の老人と目が合った。


 初めて会うのに、なぜか知っている気がする。


 目元と言い、口元と言い、頬杖をする手の指や首の長さ、薄茶色の瞳の色―――。


 皺だらけとはいえ細身で投身の高いその容姿は、紛れもなく燿馬に似ている。


「やっと会えた……」と枯れた声で言われ、老人は手招きをした。


「野々花……、おかえり」


 意外な名で呼ばれて、私は首を振った。


「私は、野々花さんではありません!」


「……いや、同じだよ。お前は野々花だ。私にはわかる」


 背後の男が私の肩を掴んで押してきて、老人の前まで突き出されてしまった。枯れ枝のような手が伸びてきて、私の手を握ったと思ったら。目の前で老人が私を見上げて、その瞳から大粒の涙を流した。


「会いたかった……、死ぬ前にお前にまた会いたかったんだよ」


 詫びながら泣く老人の様子を眺めながらも、触れられたところから虫唾が走る。


「嫌!触らないで!!」


 思わず手を引っ込めたら、老人はまるで傷付いたような目を向けてきた。


「……どうしてお前は、いつから私のことが嫌いになったんだ?」


「いつからって……」


「おじい様。この人は夏鈴さんです。いくら野々花さんの生まれ変わりだからって、彼女は前世を覚えてないんですから、どうしようもありませんよ」


 そんなセリフを聞いて、驚いて男の顔を見ていた。目と目が合う。


 余裕ぶった笑みを浮かべ、なぜか小さく頷いてからウインクをする。こういうタイプはゾッとする。


「ほら、自己紹介がまだですよ。おじい様から言わないなら、僕から言ってしまいますけど、良いんですか?」


 言葉は丁寧だけれど、明らかに若い男の方が主導権を握っている気がする。異様なやり取りを黙って待ってしまう。


 「嘆かわしい」と言うと、老人は椅子の背もたれに身を預けて目を閉じ、さめざめと涙を流していた。すると、私の背後から誰かが駆け寄って、老人の涙を白いハンカチで拭き始めた。真っ白い看護服を着た女性だった。


「夏鈴さんを連れて来るのが遅すぎたみたいです。おじい様は日に日に呆けが悪化している……。そのうち、この僕のこともわからなくなりそうです。


 さ、こちらへどうぞ」


 またしても名も知らない彼に肩を抱かれ、開けたドアの向こう側に連れ出された。


「あなたは一体、誰なの? 何者なのか、早く教えて!」


 半開きの瞳で楽しげに薄ら笑いを浮かべた男は、「そんな聞き方じゃ、答えません」と、また意地悪なことを言った。どこまでもひねくれている。


「要領を得ない会話しかしないなら、もう帰ります」


 私の本気を見た彼は廊下の途中で立ち止まって、壁に私を押し付けた。腕の間に挟まれて身動き取れない格好になると、顔を近付けてくる。


 右手で彼の顔半分を覆って押し返すと、手首を掴まれた。


「さっきから、なにしてるの? あなた」


 毅然として睨み返す。

 それなのに、その男はまたニヤリと薄ら笑いを浮かべて囁くように言った。


「帰しませんからね」


「どういうつもり?」


「まだ廊下なので、僕の部屋に行きませんか?」


「断ります」


「……何もしませんよ?」


「信じられない…。さっきから、あなた調子に乗ってるじゃない」


「だって、全然予想と違うから、ついはしゃいでしまって……」


 男は私の髪の先を持ち上げて、私の目の前でそこにキスした。


 「やめて!」と、髪の毛を払って、体当たりするように突っぱねるけど見た目よりもしっかりしていてびくともしない。


「波戸崎家の血筋の者は平均的に若く見えるんだそうですよ。白髪も皺も出てきません。あなたのお母様、美鈴さんも実際の年齢よりもかなりお若く美しい女性でしたよね?」


 どうしてお母さんのことを知っているんだろう?


 どうして私の力は発揮されないの?


 この男、誰なの??


 男はまた私の腰に腕を回してきて、グッと引き寄せられてしまう。狭い廊下では逃げ場所がないため、再び大きな手が私のお尻の方へと下がっていく。


 咄嗟に思い付いて、足を踏ん付けようとしたら交わされてしまった。男は嬉しそうに笑っている。


「考えが全部顔に出てますよ。夏鈴さん、可愛い」


「あなた馴れ馴れしいのよ?ちゃんと教育は受けたの?

相手が嫌がってることをするのは、自己中心的過ぎるってわからない?


もう、いい加減にして!!」


 精一杯大声で怒ったら、手で口を塞がれてしまった。


「しっ……。おじい様に聞こえるとマズイ。…場所を変えましょう、夏鈴さん」


 私の話など聞こえてないように振舞うから、だんだんと怒り疲れが起きてしまう。話が通じる相手じゃないって、本当に困るし辛い。お手上げだ。


 彼は恋人にするように私をぴったりと抱き寄せながら歩き出した。すべてか窮屈な薄暗い廊下を出ると、さっきの四面の空間に戻り左隣のドアを開けて、そこに引き込まれた。

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