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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第2章
26/101

手繰り寄せられて 9

 そうだ、助けに行けば!!


「燿馬……」


 枯れた声で息子に手を伸ばす。


 燿馬は、今にも泣きそうな顔で俺の手を引っ張った。そして、抱きしめ合った。


「親父! はやく行こうよ!! しっかりして、ほら!! 俺が運転するから!」


 情けない。


 自分が情けなくて、下唇を思いきり噛み締めたら血の味がした。


 初めて夏鈴と交わしたキスの味だ。


 俺は、彼女を諦めるつもりなどない。


 冷静になれ。


 燿馬は恵鈴のそばにいて貰わないといけない。


 恵鈴を一人にしてはいけない。


「お前は、恵鈴を守れ。相手はまた、恵鈴を連れ戻すつもりらしいから」


「え!!?」


 驚いた顔が恐怖で歪んだ。


「……取り乱して悪かった。しっかりしなくちゃな。偉そうな爺じゃなくて、人を見下したような性格の悪いクソガキが電話かけてきた。年齢差なんて気にしない、夏鈴の新しい伴侶は自分だと抜かした」


「!!」


 燿馬はこの世の終わりを知ったような酷い顔で、驚いた。


「……俺、そいつをぶん殴る」


「気持ちはわかる。でも、お前は絶対に今度こそ恵鈴を奪われるな。いいな?」


 俺は財布から現金を抜き取って、燿馬に渡した。


「取り合えず15万ぐらいある。警察に知らせても無駄だって言われたが、試してみないとわからない。朝が来て、恵鈴が動けるようなら二人行動を共にしろよ。俺は行く」


 燿馬が震えながら頷いた。


 俺はタクシー専用ベンチに行って電話を掛けた。配車を呼びつけ、コンビニに戻ると自分で借りたSUVに乗り込んでエンジンをかけた。夜明け前で冷えた空気の中を、ハイビームをつけて山道に突入する。


 敵は預言者だ。


 こうした俺の動きも、予め想定しているに違いない。


 だけど、ここでビビって何もしない俺じゃない。


 夏鈴を奪われるぐらいなら、相手と刺し違えることになろうと構わない。


 ふと、行く手に白い光る物体が見えた。目を凝らすと、CGで作られたような白い馬が道路わきに立っていた。そいつがまるで俺を誘導するように駆けだす。自然とあれについて行けばいいのだと、そう思っている自分がいた。


 舗装された道脇に突然現れた道を曲がる。


 白い馬がいなければ、その分岐に気付かずに辿り着けなかったかもしれない。


 暗闇が紺色になりかけた夜明け前の森の中を、光る白い馬と共にまっすぐに走った。古めかしさと最新の素材が組み合わさった立派な門が行く手を阻む。


 いつの間にか光る馬は居なくなっていた。


 道路わきに車を寄せて、運転席から降りるともう一段階寒さが増していた。着て来た上着では対処できないレベルの冷え込みに、息も白くなる。


 門にはインターホンはない。門の脇から両側に伸びた壁を眺め、森の中に足を踏み入れていくと、途端に境界線は途切れた。そこから敷地内に侵入した。


「爺さん、美鈴さん、夏希さん、それから親父とお袋…。誰でも良い、俺を助けてくれ。夏鈴を守ってくれ」


 森の中で俺は死んだ家族たちに懇願しながら、先を急いだ。



* * * * *



 見知らぬ若い男に腕を掴まれ、強引な力で歩き出した。脚がもつれて転びそうになると、男は見かけによらない強さで私を体を受け止めた。


 両手を突っぱねて離れようとしても、両腕を掴まえられて顔が近付いてくる。


「やめて!」


「暴れないで下さい、夏鈴さん。手荒なことはしたくない」


「離してくれたら暴れません!」


 私の叫びが届いたのか、男は手を離した。だけど、今度は腰を掴まれて引き寄せられる。


「やめて!!」


 再び抵抗しようとすると、両腕ごと抱きしめられて身動きが取れなくなった。燿馬ぐらいの体格をした若い男に、いきなり抱きしめられる謂れはない。


「犯罪ですよ!!」


「……しっ、静かにして下さい。おじい様に怒られてしまいます」


「おじい様?」


「そうです。あなたをおびき出せと命令したのは、僕のおじい様です。…それにしても、本当にあんな大きな子供がいる母親なんですか? 近くで見ても、まだ二十代の肌じゃないですか…。青臭い彼女よりも、あなたの方が百倍美しい」


 私は顎めがけて頭突きをすると、強い衝撃が頭部に走った。思わぬ固さで、痛みがものすごい。涙目になりながらも、ひるんだ隙にその腕から逃れて、車の背後に逃げ込んだ。


 蹲って痛みに耐えているその男の肩は大きく上下していた。


 笑っているのか、泣いているのかわかりにくいけれど、どっちでも良い。まだ顔を上げないその隙に、逃げ道はないかと周囲を見渡していると、いつの間にか背後に白鷺が立っていて両肩を掴まれた。


「きゃあ!!」


「逃がさない……。来て貰います」


 さっきよりも凄みが増している白鷺の手が痛いぐらいに腕に食い込む。振り払おうとしても、がっちりと強い力に抑え付けられて抵抗できない。


「痛い! 離して!!」


「ったく、いい加減に自分の立場をわきまえろ」


 急に態度を変えた白鷺に連行されるように、私は歩かされた。


 見た目よりもずっと力があって、もう逃げられそうにない。痛みから立ち直った若い男も私のすぐ隣にやってきて、年上の白鷺に対して偉そうな態度をすると小動物のように萎縮して手を離した。


「この人にそんな荒っぽい態度はやめてくれないか」


「……すいません」


 冷たい目で睨み下ろされた白鷺の顔色は青かった。


 逃げ出す隙なくギュッと手首を掴まれ、若い男の方に引き摺られて建物に向かう。私が最後の抵抗をすると、彼は突然私を抱き上げた。


「やめて!」


 「元気ですね。でも、離しませんよ」と笑いながら、その男の肩に担がれ足をがっちりと抱きかかえられ抜け出せそうにない。両手で背中を叩くと、男の手が私のお尻を撫でた。


「どこ触ってるのよ! 荒っぽいより酷いわ! やめなさい!!」


「ははははは、ぴちぴちですね。それにすごく良い抱き心地だ」


 こんな屈辱ったらない。髪の毛を引っ張ろうと体を起こすと、またお尻を掴まれる。


「いや! やめて! もう、触らないで!!」


「あなたが暴れるからですよ。いい加減、大人しくなってください。本当に怪我させてしまうかもしれない……」


 男の声はもうふざけてはいなかった。


 入り口のドアが開いて、あっけなく連れ込まれてしまう。遠ざかる外の景色に手を差し伸べて、私は心の中でありったけの想いを込めて晴馬の名前を呼んだ。


 怖い、怖い、怖くて泣きたくなる。


 狭い廊下を担がれたままで運ばれていく間中ずっと、恵鈴の残留思念を微かに感じた。つい数時間前に同じような不安な気持ちでこの廊下を歩いたのだ。酷い目に遭ったんじゃないかと、気になってしょうがない。


 負けてたまるか!


 男の首筋に爪を立てて引っ掻くと、突然放り出されて床に転がった。肩と肘と腰骨を打ち付けて、痛みで一瞬意識が飛んでしまう。


「娘よりも暴れ馬ですね。丁重に扱いたいけれど、僕をこれ以上傷付けるならあなたでも許さない」


「勝手な言い分だわ!」


 そう言って立ち上がりすぐ壁に背中をぶつけながらも、身構えた。


「手足を縛ってしまいましょうか?それとも、注射してあげましょうか?どっちを選んでも、あなたにはやってもらうことがあります」


 薄暗いその部屋は四方が全く同じ壁と装飾品を飾るテーブルが置かれていて、大きな壺が飾られていた。照明が向いている壁以外がやけに暗くて、今しがた通った廊下さえも見え難い。トリックアートのような不思議な空間だ。方向感覚を狂わされてしまう。


「どっちも嫌! …それより、私にどんな用なの?」


「今は僕の口からは……。こちらへどうぞ。おじい様が待っています」


 いつの間にか白鷺はいない。開いたドアの向こうにはまた薄暗い廊下が続いていて、その先には装飾の凝った扉が見えた。あの扉の向こうにいる知らない老人は、何を企んでいるのか。


 お母さん、お父さん、お爺ちゃん! 野々花さん! 私を守って……。


 祈りながら、恐るおそるその廊下に足を踏み入れた。

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