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眠れぬ龍の夢  作者: 森 彗子
第2章
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手繰り寄せられて 2

 それにしても、真央さんはさらりと凄いことを言っていたことに気付いて、自分の鈍感さに情けなくなった。親が自殺と他殺? 俺のトラウマなんて足元にも及ばない。真央さんは、仕事の面では男よりも男らしかった。俺の前ではか弱い女の振りをしていたとしか思えない。


 おかげで少しだけ気持ちが落ち着いた。


 いつだったか死んだ爺さんが言っていたが、人は自分より不幸な話を見聞きすると冷静になるんだとか。本当にそれだなって実感…。


 気付けば搭乗開始のアナウンスが流れ、人が一列に並び始めていた。二泊三日程度の着替えを詰め込んだ小さなキャリーバッグを引いて、俺は新千歳空港発の羽田空港行きの最終便の飛行機に乗り込んだ。結婚してから常に隣に夏鈴がいたのに、今日は一人だ。それが、こんなにも心細い。


 真っ暗な窓の向こう側じゃなく、鏡のように映し出された自分の情けない顔をチラ見しながら、俺は携帯端末を機内モードに切り替えた。


 朝まで待てない俺はギリギリセーフで飛び込んだキャンセル席に腰を下ろして、深く濃い深呼吸を繰り返し、ただひたすらに愛娘・恵鈴の無事を願っていた。



* * * * *



「お袋、どこに向かってるの?」


 助手席でカーナビと睨めっこをする燿馬が話しかけてきて、私は目が覚めた思いがした。さっきから、ついつい夢心地になってしまうのは、視えない力に引き寄せられているせいだと思われる。


 小さい頃から時々起きていた感覚だけど、子供を産んでからはまるで無縁だった。最後にこの力が働いたのは、小さな田舎町で起きた誘拐殺人事件…。あれからは本当に平和で穏やかな暮らしだったのに、と思うと、つい大きなため息を吐いてしまう。


「なんとなくだけど、こっちって感じるのよ。カーナビがあれば、帰り道には困らないでしょ?」


「お袋の力は知ってるけど、知らない土地だしさ。こんな時悪いけど、そろそろトイレに行きたい」


 燿馬が晴馬そっくりな顔になって、隣に居てくれるから心強い。


 さっき買った珈琲はもうぬるくなっていて、私はぐいと最後の一口を飲み干した。時刻は間もなく日付が変わる頃。通りすがりのコンビニの駐車場に車を乗り入れて、トイレと捕食の買い物をすることにした。


 車から降りると奇妙な風を感じた。誰かが呼んでいるみたいな感覚。


「どうしたの?」と、助手席からいち早く降りて、手動のドアを開けて待ってくれている燿馬が聞いても、どう返事をすればいいのかわからなくなる。


 暗い場所を歩く恵鈴のイメージが流れ始め、私は目を閉じて集中した。


「近くまで来れたみたい」


 無意識にそんな言葉が唇から零れていた。

 目を見開いて駆け寄ってくる燿馬の顔も、目を閉じていてもはっきりと見える。


 その不思議な空間には、他にも無数の人影が蠢いていた。


 目だけが光っていて、黒い頭部から肩のラインがしっかりとした人間の形を描いているそれらが、周囲をぐるりと包囲しているように見える。


「…ようちゃん、何か感じない?」


「え?! ごめん! 俺、わかんねぇ」


「謝らなくて良いわ。私達、目的地に着いたみたい」


「…!!」


 燿馬が驚いた顔をして私を見ている。目を開けて周囲を見ても何も見えないけれど、もう一度目を閉じるとやっぱり黒い影達が私達をぐるりと包囲していた。


 とても、嫌な予感がした。


「慣れてなくて、何をすべきかもわからない…。とにかく、食料と水を買って。それから、ウエットティッシュとかタオルも」


 私は急いで店内に入って買い物を済ませた。レジでお金を払い、すぐに晴馬に電話をかけた。繋がらないから、留守番電話にメッセージを遺すことにした。


「今、松本市の郊外にいるの。国道沿いのコンビニよ。…また連絡します」


 再び生温い風を感じたと思ったら、恵鈴の声が聞こえた気がして振り向いた。その視線の先に見える三角の形をした山の方角がとても気になった。きっと、あそこにいるんだわ。


「ようちゃん、運転教えてあげるから。覚えて」


「?!」


 燿馬は驚いて私を見た。道路交通法を守ることは大事だと知っているけど、時には優先順位はめまぐるしく変わるときもある。私がいなくても移動できる手段を持っていて欲しくて、私は燿馬の手を取って運転席に座らせた。


「何が起こるかわからないけど、これは対策のひとつよ。きっと役に立つ。その道を曲がれば交通量の少ない県道になる。ほぼ一本道だけど、いくつかの田んぼの農道に曲がってアクセルとブレーキの感覚を掴んで置いて欲しいの」


「……わかった」


 シートベルトをして、サイドブレーキを下ろし、ハンドルを握ってゆっくりとアクセルとブレーキを踏ませ、それから道路に滑り出して軽快に走り出した。案の定、問題なく運転できている。前後の車がないことを確認して、ブレーキをかける感覚を覚えた燿馬はすぐにマスターした。でも、かなり表情が硬い。


「さすがね。その調子よ。大丈夫、事故を起こさなければ警察には見つからないわ」


「…お袋が、そんなこと言うなんて」


「だって、今は非常事態よ。恵鈴を取り戻して帰る手段がなければ意味がないもの」


「そうだけど、でも。なんでさっきから、お袋がいなくなる前提になってんだよ? どんなことを想定してるのか、話してくれない?」


 燿馬が言うことも尤もだから、私はかなりざっくりとだけ伝えることにした。


「さっきも言ったけど、相手は一般常識が通用しない人達のようなの」


 それから、私は聞いた話の通りに端的に説明した。


 祖母の波戸崎 野々花さんが教えてくれた波戸崎家と縁の深い梅田原家との関係と、その人達が起こした新興宗教の活動内容について。



* * * * *



 ねぇ、夏鈴。きっとすごく驚くことになるから、心の準備をしてちょうだい。


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