手繰り寄せられて 1
大いなる力が宿るとき
流れ落ちた星の数だけ
私は祈りを捧げ続けた
この力の根源を知る時
私の中の闇が溢れ出す
そこから連れ戻せるのは
真実の愛を貫く人だけ
◇◇◇
掲示板の赤い文字を睨みつけながら、溜息ばかりが零れ落ちる。こんな時、まず第一にそばにいなかった自分を、どうしたって責めてしまう。大事なら手放してはいけない、というのは違うと考えて、俺は子供たちが巣立つ背中を大人しく見送ったつもりだったが、心のどこかでは何度も「これで良いのか?」と自問自答していた。そんな俺を見透かしたように、妻はいつも寄り添ってざらつく不安を慰めてくれた。
その妻も、今は先に出発して隣に居ない。心細くてしょうがない。
バカみたいに腕時計ばかりを見て、椅子に座ったり立ったりして落ち着かない。搭乗口の渋滞の中でも、家族の非常事態なんだから先を譲って欲しくて何度も暴れ出しそうな衝動を抑え込んだ。そこを通過したところで乗り合う飛行機の所要時間は変わりないんだから―――。
手元の端末に30分置きに夏鈴や燿馬からメールが届いた。レンタカーを借りて東京を出発した二人は信州に向かっている。
「……っくっそ……」
さっきから持て余した苛立ちで指を鳴らし過ぎて節々が痛かった。
夜のとばりが降りた空港の窓ガラス越しに見える滑走路の、やけにキラキラした誘導灯の明りを眺めながら、頭の中で到着後の段取りを組み立ててはやり直す。道内の仕事最優先でやってきて、しばらく離れすぎた東京の状況がわかりかねた。
ジャケットのポケットでバイブレーションが俺を呼ぶ。我に返って手に取ると、真央さんからだった。
『もしもし、晴馬君?』
夏鈴よりもかなりトーンの低い彼女の声を聞くと、何とも言えない心地になる。出会ってからもうすぐ30年も経つのに、まるで昨日のことのように過去の記憶と感情がどこからともなく湧き上がるせいかもしれない。
ろくな反抗期もなく両親を火事で同時に亡くした俺にとって、真央さんとの関係はどこか母と子のようなテイストが混じっていた気がする。夏鈴よりも先に自分の浅はかで弱い部分を見せた相手だから、余計に今更どんな態度をするのが正解なのかもわからない。
「恵鈴の個展、提案してくれてありがとうございます」と、俺はわかっていながら間抜けなことを口走っていた。それを、彼女はほんの一瞬の間で受け止め『お世辞抜きに素晴らしい才能だと思ってるのよ』と返してくれた。
『それより、どうなってるの? 急に恵鈴ちゃんと燿馬君が来れないって聞いたけど、どっちかアクシデントにでも遭ったとか? 心配になっちゃって、居ても立っても居られないから電話したんだけど』
ドタキャンの電話一本で済む話じゃないことぐらいわかっていた。でも、俺は大人げもなく彼女を避けている。夏鈴を裏切っている気分になるから。
22歳から6年間、俺はこの6歳上の当時の上司と不倫関係になった。ひょんなことから付き合い始め、それまで感じたことのない濃厚な関係を築いた。どうしようもなく辛い時に抱き合うという男女の、もつれあうように拙い逢瀬に溺れて、未来を見失っていた。酒や煙草と同じで、ただ今を生きるために必要な体温だったのだと思っているが、それではあまりにも相手に失礼な気もする。だから…
「それが、俺も良くわからないんです。夏鈴は、前に話したと思うけど俺の妻は通常の人よりも鋭い感性を持っていて、そのことが原因で恵鈴が……」
言いかけて俺は躊躇った。
恵鈴が突然消えたのは、本当に誰かに連れ去られたのか。それがはっきりとしないのに、他人にそんなことを打ち明けて大事になっても良いものかどうか、わからない。
『ねぇ、晴馬君。あなたにとっては嫌なことかもしれないけど、私ね。夏鈴さんとは良い友達になれているんじゃないかなって思ってる。彼女はすごく綺麗な人よね。賢いし、自分の心を真っすぐ伝えてくれる…。
女同士で通じ合うものもあって、男のあなたには言ってもきっとピンとこないようなことも彼女と色々と話をしてすごく目からうろこな発見もしたの。もっと早く友達になりたかったなって思ってるのよ。私は友達を作れない欠陥人間だったから、特にね』
そこで一度言葉を切った彼女は、電話口の向こう側で息を飲んだのがわかった。
『私の親、父は自殺して母は誰かに殺されたの。それを見抜かれて、夏鈴さんの能力の凄さを体験してるわ。恵鈴ちゃんの絵の才能の秘密も少しだけ聞いている…。昔の私なら到底信じられない話だったけど、今は信じてる。常人にはない能力のせいで、夏鈴さんも相当苦労してきたってこともわかってるつもりよ。
私は何か力になれることがあれば、どんな協力も惜しまない覚悟があることを言いたかっただけだから。気を付けてね。困った時は連絡頂戴』
賢い彼女はそう言うと電話を切ってしまった。
俺はホッとしつつも、あの嫉妬狂いになって苦しんだ夏鈴が、その原因となった真央さんとそこまで親睦を深めていたことに驚愕と感動を覚えた。
―――俺には真似できない。
もしも、夏鈴に付き合っていた男がいたとしたら俺は冷静になんかなれない。良い歳になっても、俺の独占欲と異常な程の妻への愛は狂気と背中合わせだと自負している。
どこか大人びた印象が強かった夏鈴が、自分を見失うほど俺の過去にジレンマ感じて苦しんだ姿を見て、愛おしさはさらに増したと思われ。




